第6話 おれの振興係


 保住と野原との打ち合わせを終えて、部署に戻ると、ここのところの日常が繰り返されていた。一番新入りの冨田は、谷川に意地悪をされて泣きそうになっていた。


 しかし今日は少し違っていた。十文字が間に入っていたのだ。いつもは「面倒は嫌い」「巻き込まれたくない」という顔をしているくせに。少し先輩としての自覚が出てきたようだ。


「谷口さん。そんなに言ったら冨田だって傷つきますよ」


「お! なんだよ~。冨田のこと庇うのか? 十文字くん」


「そりゃ庇いますよ。おれの後輩です!」


 はっきりと言い退ける十文字に谷口は苦笑した。


「おいおい、先輩ぶっちゃってさ……」


 十文字も変わろうとしてくれているのだな。自分も変わらなくてはいけないのだ。

渡辺はそう理解し、声を上げた。


「どれ! ではその可愛い後輩くんへの初仕事行きますか!」


 彼の言葉に谷川と十文字は顔を上げた。


「係長、とうとうやるんですね!」


「そろそろな」


「そんな時期だと思いました」


 まだ来たばかりの有坂は「何事だ」とばかりに目を瞬かせていた。


「冨田。記念館のサロンコンサートの企画やってみ」


「さ、サロンコンサート? ですか?」


「そうだ。十文字、企画の概要を説明してやれ」


「了解です!」


 十文字は椅子を移動させて、冨田の近くに行った。


「『これから忙しくなる』ってこの事だ」


 冨田は眉間を寄せて不安そうな顔をしていた。


「企画だなんて! おれにできますか?」


「できるようにしてやるから、安心しろ。その代わり!」


「は、はい!」


「よくおれや谷川さん、係長の言うことをよくきくこと! いいな?」


「は、はい!」


 有坂が抜けているのは仕方がないことだが、ここで取りこぼすのは良くない。

渡辺は有坂を見る。


「有坂はオペラ開催の準備を頼むな。わからないことは、おれか谷川に聞くこと」


「承知しました」


 有坂という男は無駄口は少ないが仕事に口答えもない。ある意味、使いやすいと言えば使いやすい。だが時折見せる視線には不満や非難の色が浮かぶ時も多い。だからこそ自分も彼には触れたくないという思いが強い。


 しかし係長として、どの職員とも関わらなくてはいけないのだ。苦手とか得意とか言っている場合ではない。


 ――触れにくいなら、逆に触れてしまえ! 食わず嫌いは性に合わない。


「あ、そうだ。それから、冨田の企画書が合格点になったら歓迎会をしようか? まあ、いつになることやらで有坂には申し訳ないけど」


「あ、いいっすね」


「飲み会ですね!」


 嬉しそうな谷川と十文字とは他所に、冨田は顔を青くした。


「おれが企画ができなかったらやってもらえないのでしょうか?」


「できないとか言うなよ。仕事だからな。やるの!」


 十文字は突っ込む。


「は、はあ……」


「あの……おれは歓迎会なんて結構です」


 有坂は手を上げた。


「は?」


「お前、なに言い出すの?」


「そう言うの好きではないので」


「好きとか嫌いとかの問題?」


 呆れた顔で谷川は有坂に突っ込みを入れる。


「そういう問題ではないですか? 業務時間外のお付き合いまで強制されるのは好きではありません」


「はいはい。わかりました」


 軽くあしらわれるような答えに、有坂はむ〜と不機嫌そうな顔をした。それを見て渡辺は苦笑する。


「そう固い事を言うなよ。十文字。お前、店予約しておいてよ」


「わかりました。五名でいいですね」


「そうだな……課長誘ってみるか」


「課長も来るんですか!? それって豪華な歓迎会じゃないですか。いいんですか?」


 冨田は目をキラキラさせて喜ぶが、隣にいる十文字が水を差す。


「お前。課長も誘うんだ。絶対にスムーズに企画通さないとな」


「うう……プレッシャーですね」


 渡辺は苦笑してから有坂を見る。


「ほら。課長も来るかも知れないぞ? お前はそれでも断るのか」


 さすがに有坂は閉口した。こういう真面目なタイプは権力に弱いものだ。


 ――うん、なんとか理解してきたぞ。


「はいはい! 予約は十文字に任せて、仕事しましょうか」


渡辺は手を叩いて、様々な思いが交錯する雰囲気を中断させた。


「さあ、やろうか」


 満面な笑みの渡辺の様子は、オロオロとしている自信のない自分とは違う。


 ――さあ始めようか。振興係。




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