第5話 本能と理性
「そりゃ、徹夜していて、結果的に泊まっている人もいますけどね。いい迷惑なんですよ。あちこち回って『帰ってください』って言わなくてはいけないんですから」
「警備員さんって大変なんだ」
「そうなんですっ」
ちょっと鼻の頭を赤くした警備員は胸を張った。
そうだ。こうして下支えしてくれている人たちがいるって、ちゃんと理解しておかないといけないのだなと思いつつ、それにしても、どうやって帰宅をしようかと思案する。
この雪では、車の雪を降ろしたところで、駐車場から脱出できるかどうか疑問だ。と、いうことは、徒歩で帰宅するしかないということだ。
––––この大雪の中を歩いて帰るだって?
道すがらのことを考えると「冗談じゃない」としか言いようがなかった。そんな個人的な葛藤に苛まれていると、隣に立っている
「どうやって帰るの?」
他人ごとみたいに。
「どうやってって……どうしようか思案中です。いや、歩いて帰るしかないんですけど。天沼さんはどうするんですか。人の心配するより、ご自分のことを考えないと」
十文字は意味が分からなくて、首を横に振った。
「おれは別に心配なことなんてないし。田口の後輩くんなんだろう? ここで一緒になったのに、一人で放り出すわけに行かないじゃないか」
それは話が飛躍しすぎだろう。別に、彼に面倒をみてもらう筋合いはない。それに『後輩くん』と呼ばれるのは不本意だった。
「あの、後輩くんってやめてもらえます? おれは、十文字と言います」
「ああ、ごめん。後輩くんじゃ嫌だよね。先輩も後輩もないか」
そんなことを話していても、
「あのさ」
「はい」
「家に来る?」
「え?」
––––どういう、こと?
警備員も二人の様子を面白そうに眺めていた。
「家、そこなんだよ」
彼はそう言うと、すぐ目の前のマンションを指さした。
「え? そ、そこなんですか? 天沼さんの自宅」
「そうなんだよね。だから、泊まっていったら?役所に泊まると、この方の迷惑みたいだし」
「そうそう、迷惑なんですよ」
警備員は力強く頷いた。そんな彼を見て、それから天沼を見る。
しかし、天沼は、十文字の恋愛指向を知らない。ここで出会った人間が、女性だったら「泊まる?」なんて誘えるはずがないのに、同性だから大丈夫だと思っているのだ。
だけど、自分は……。
––––いやいや。一緒に泊まるからって、何事かある訳でもない。
そうなのだ。自分が、そこのところをしっかりすれば、何事も起きないのだ。大丈夫。誰でもいいってわけじゃない。
そう自分に言い聞かせていると、天沼は、彼が黙っている理由を別に見出したらしい。
「おれね、怖くないよ? 別に身ぐるみ
「え?」
「十文字くんみたいな若い職員脅したって、昇進できる訳もないし」
「あの」
「ああ、そっか。下僕? 下僕にするとか、そういうこともおれはしないし」
「天沼さん……」
唖然とした顔をして、彼を見つめていると、我に返ったのか、彼は顔を赤くした。
「や、やだな。なんだよ。止めてくれないと……。おれ、妄想半端ないっていうか……」
恥ずかしそうに視線を伏せる
––––か、可愛いじゃないか……っ!
一度意識してしまうと、動悸が止まらない。
––––やばいぞ、やばい。このままお泊りだなんて、理性を保てるのか、おれ……。
心が揺らぐ。
「この雪のせいだよ。こんな雪。なんだか現実とはかけ離れていて、別の世界に迷い込んだみたいだ」
恥ずかしさで潤む瞳で、雪を見つめている彼の横顔は、十文字の心をグイグイと締め付けてくる。収拾がつかなくなりそうな予感にめまいを催しそうになっていると、警備員の男の声に引き戻された。
「なんだか、この人のほうが危なそうですね」
警備員は天沼を指差して苦笑した。
「あの、いいですよ。役所に泊まっていっても。なんだかこの人、危ないじゃないですか」
「あ、危なくはありませんっ!」
警備員の言葉に、天沼は抗議をした。
「ちょっと、妄想家ですが、別にそれらを行動に移したことはないし、まったくもって健全な人間です。人に後ろ指を指されるようなことは一切ありませんからねっ」
そんなのは、見ていれば分かる。人の
十文字はそんなことを思いながら、彼に声をかけた。
「泊めてくれるんですか」
「え、そ、そうだけど。でも何もないからな。床に布団敷いて寝てもらうだけだから」
「構いませんよ」
素直に了承すると、天沼は、戸惑っているような表情を見せた。自分から提案してしたくせに、どういうことなのだ。そんなことを思いながら見つめていると、天沼は「じゃあ、行こう」と小さく呟いた。
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