第3話 家族と自分


 昔からそうだった。他人を見て「自分より優れている」とか、「自分には、ないものばっかり持っていてズルイ」とか、考えてきた。劣等感の塊というやつだ。


 十文字じゅうもんじ春介しゅんすけ。29歳。身長180センチメールちょっと。別に、好きで梅沢市役所に就職した訳でもなく、だったから入っただけ。とくに高いこころざしがある訳でもない。


市役所を選んだ理由は、就活で失敗したくないだけのことだったのだ。


 十文字の父親は元市長だった。自分が高校時代の話だ。祖父が県議会議員けんぎかいぎいんを務めていた家系で、父親は梅沢県庁けんちょうに就職したものの、地元からの後押しがあり、退職。それと同時に梅沢市長選に立候補し、見事に当選を果たした。


 十文字の父親は、温厚な人柄の割に、決断力もあり、スピーディな市長主導の行政運営を行なった。彼はあっという間に、市民からも市役所内部からも、人望を集め、稀に見る人気市長に躍り上がった。


 ところが、任期途中にがんわずらってしまう。今だったら、短期の入院程度で復帰できたろうに、在職したまま、闘病生活を行うことは困難だと医師からの判断が下され、結局は、任期途中での退任を決断するしかなかったのだ。


 その後、彼の体調は軽快したが、任期途中での退任という汚点は、市長への再チャレンジの機会を奪っていた。


 現在、父親は県内で、検診業務などをこなす労働健康センターの理事を担っており、のんびりと暮らしている状況だ。


 十文字は、その父親の次男として生まれた。兄は、父親に従順な人で、期待を一身に背負い、東京大学に進学。田舎の梅沢市から、東京大学に進学するのは、年に数名程度という難関だったが、見事にそれをクリアした強者つわものでもある。そして、現在は外務省に勤務。


 数年前に結婚をして子供がいるものの、彼自身は海外赴任をしているところだ。


 そんな兄を見てきたから、いや、きたから。到底、自分を好きになど、なれるはずがない。全ての局面で、確実に成功を掴み取る兄の精神力に、自分が敵うわけがなかった。


 逆に、スムーズに進む兄の後ろ姿を見て、「失敗しちゃダメだ」という強い脅迫観念にさいなまれて、余計に失敗をしそうになってしまう。それが恐ろしくて、何かを選択する場面では必ず安全な道を選んできた。


 無理をして上を目指すなら、ランクを落として安全な道を取る。無理はしない。頑張らない。それが自分のモットーだった。


 だけど、今年の四月から配置された梅沢市役所教育委員会文化課振興係は、そういった甘えは許されない部署だった。


 出来ない奴。

 グズでお荷物。


 そんな評価を突き付けられて、精神的に追い込まれる部署であったが、教育係である田口をはじめ、係長の保住、係長補佐の渡辺、そして谷口に見守られ、励まされ、時にけなされて、ここまでやってこられた。


 なのに、いろいろなことが落ち着いてみると、こうしてお世話になった田口に対して嫉妬みたいな気持ちが沸き起こるって、本当に嫌な奴だ。


 自分が心底、嫌になった。


 自責の念に苛まれつつ、大きくため息を吐いて、ふと顔を上げると、周囲は帰宅の準備をしていた。もうこんな時間?


 デスク上に置いてある時計に視線を落とすと、17時15分を回ったところだった。


「十文字、帰るぞ。今日は大雪警報が出ているから」


 田口の声に、「そうだった」と思い出す。今日は、夜から大雪になるだろうと、朝のニュースの天気予報で女性キャスターが伝えていたことを思い出したのだ。


「そうでした。……でも、ちょっとだけ。まだ、まとまっていなくて」


 それはそうだ。仕事とは違うことばかり考えていたのだ。コートを羽織り、帰宅の準備ができている係長の保住が自分を見ていた。昼間、機嫌が悪いと渡辺たちが言っていたが、どうやら機嫌は治っているらしい。隣に控えている田口のおかげなのだろうか。


「残ってもいいが、18時前には出ろ」


「は、はい。わかりました」


「気をつけて」


「早く帰れよな」


 渡辺や谷口も、そう言いながら事務所を出ていった。みんなが帰ってしまうと、事務所は静まり返っている。天気のせいで、ほかの部署もみんなが帰宅の準備だった。


「早くやっちゃおう」


 ぼんやりしている場合じゃなかった。十文字は慌ててパソコンに向き合って、作りかけの書類の作成を再開した。





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