三章6 『図書館の姫 その6』

「あっ、ご覧ください」

 オモヒメの指した先には、青い海の星。もうすぐ間近に迫っている。

「地球かい!?」

「いいえ。あれは火星ですよ」

「……火星?」

 僕はもう一度件(くだん)の星を見やった。

 白くうねった雲に、緑と黄土色の大地。北極と南極らしき白い地もある。それ等は海の中に各々(おのおの)連なるように、あるいは孤立するように存在している。

「……どう見ても、地球じゃないか」

「そう見えるかもしれませんね。でも、火星なんですよ。昔、昔の」

「あるところに地球に似た火星がありました?」

「そういうことですわ」

 僕は漫然とした思いで地球――ではなく、火星を眺めた。


「あそこに人間は澄んでるのかい?」

「眺めてみます?」

 そう言ってオモヒメは着物の袖からオペラグラスを取り出し、差し出してきた。

「どうぞ」

 ふと好奇心を掻き立てられ、訊いてみた。

「そこには他にどんなものが入ってるんだい?」

「え? ……たとえば、こんなものが」

 取り出したるは望遠鏡。

「こっちの方がよく見えそうな気がするんだけど」

「でも、持つの疲れませんか?」

「いやまあ、大きさ的にはそうだけどさ……」

「あとはこんなものが」

 広辞苑が出てきて、どさっと畳の上に置かれた。

「今更だけど、よく宇宙空間でものが視認できるね?」

「まあ、仮想宇宙空間なので。そこら辺の融通はきくようにしてますわ」

「なるほど?」

「それとこんなものも」

 2リットル・ペットボトルが雪崩(なだれ)のようにどさどさと出てきた。

「……その着物は四次元空間にでも繋がってるのかい?」

「ふふふ、さてどうでしょう?」

 僕は2リットル・ペットボトルを持ってみた。当然、重い。こんなものを袖に入れて歩いていたら、よほど怪力でないとふらついてしまうだろう。


「……あの、もっと単純に考えれば、袖の中でものを生み出したとおもいつきそうなものですけれど」

「え? ……ああ」

 言われてみればそうだ。この世界はオモヒメによって作られたものである。なれば他のものも彼女の作り物、という可能性がある。なぜすぐに思いつかなかったのだろう。

「じゃあ、あの火星も作り物っていうことかい?」

「さあ? フィクションかもしれないし、あるいはノンフィクションかもしれません。それは神のみぞ知る、ですわ」

 袖で口元を隠し、わざとらしく笑うオモヒメ。

 僕は肩を竦めた後、望遠鏡を手に取り火星カッコカリを見やった。

 やや原始的な文明――岩に穴を開け、そこを住居として住まう人々が視界に映る。

 火星人は地球人と何ら変わらない姿をしていた。タコみたいな姿はしていない。普通の人型だ。肌の色もそう変わらない。頭に触覚が生えているわけでもない。黒茸の僕の方がよっぽど宇宙人っぽい。いやまあ、僕個人としては地球人の一人のつもりなんだけどね。マインド的には。

 着ている服は大きな葉を加工したモノっぽい。毛皮みたいなものを着ている人はどうやらいないようだ。


 誰もが穏やかそうな笑顔を浮かべていた。ずっと離れたここから見ているだけでも彼等の時の流れはゆったりとしており、幸福に生きていることが伝わってくる。あくせくとしている地球人とはだいぶ違う。

 食事をしている人達がいた。草や野菜、木の実などを調理したものを器に入れて食しているようだ。

 人里離れた場所を見やると、草を採取している人々を見つけた。男女両方いる。皆、仲睦(なかむつ)まじそうだ。


「……平和そうだね」

「でしょうね。そういう時代に来るよう設定いたしましたので」

「なんだか含みのある言い方だね?」

「ふふふ。まあ、もうしばらくは火星をご堪能ください。生命のいる星や一国を勉強するにはまず、平和な時代を知ることが肝要ですわ」

「なんで?」

「植物に例えるなら、平和な時代は土壌です。そこに破局の種が植えられ、栄養を蓄えてやがて目を出すのです」

「なるほど。さすが知恵の神だね」

「お褒めいただき感謝感激です」

 僕は曖昧な笑みを返した。


 望遠鏡を覗き、火星の観察に戻る。

 また気付いたのが、男女共に同じ仕事をしているということだった。

 男がやるべきはずの狩りは行われていないからだろう。動物達も動物達で、人間を襲うことなく、彼等と共に仲良く暮らしている。

「どうして動物達まで、人間と仲良くしてるんだい?」

「火星人のことを友人だと思っていたようですわ」

「と、友達? 言葉すら通じないのに!?」

「そんなに訊かれても困ります。知恵の神と言えども、わからぬことはあるのですよ」

 僕はちょっと申し訳なくなり、「すまなかったね」と頭を下げた。オモヒメは「いえいえ。顔を上げてくださいと言ってくれた。


「一応わたくしは知恵を司ってはいる者の、心臓部のようなものでして。森羅万象全てを把握しているわけではないのですわ」

「つまり脳ではない?」

 僕の問いにオモヒメは「そういうことですわ」と一回うなずいた。

「まあ、でも脳の中を覗けるわけですけれども」

「なかなか面白い事情だ」


「そうなのでしょうか?わたくしは生まれつきこうだったので、よくわからないのですけど」

 知能ある者は生まれつき、何かしらを備え、背負っているものだ。よくも悪くも。

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