二章8 『スローペースはドリームライフ その8』

「……い。おい、生きてるか?」

 声が聞こえた。

 だみ声というのだろうか、妙に濁った響きの声だ。


 こりゃ、閻魔大王か鬼かな?

 きっと僕は地獄に落ちて、これから酷い目に遭(あ)わされるんだ。

 本で得た知識によると、地獄には八つの熱い場所と寒い場所があって、罪に合わせた場所に連れていかれるという。

 その苦行に耐えぬいてようやく転生の許しが得られるというが。


 ……まっちゃんのいないところに転生させられるぐらいなら、そのままそっとしておいてほしいな。そんなワガママ、地獄では通らないのだろうか?


 そんなことを考えながら、目を開けると。

「……おっ、目が覚めやがったか」

 鬼がいた。

 二本角の、体表が緑色のヤツだ。とにかくデカい。岩に手足が生えたように筋肉で体がゴツゴツしている。

 鬼は絵本とかでよく見るような虎柄の布を纏(まと)っていた。スタイルとしては旧石器時代ぐらいだろうか。あまり文化的とは言えない格好だ。


「ビックリしたんだぜ。オメェ、いきなりアソコから落っこちてきやがったんだからな」

 指差した方を見やると、天に届くんじゃないかってぐらい高い崖(がけ)があった。ウォールクライミングをしろと言われても、こんだけあるなら挑戦する前から諦めるだろうってぐらいに高い。バンジージャンプだったら足がすくんで踏み出せないだろう。

 

「体の方はどうだ? なんともねえか?」

 鬼に問われて僕は体を起こして、動かしてみた。そもそも高所から落ちてきたのに動ける時点でおかしいのだけど。

 痛みはなく、エアロビクスさえ軽々とこなせた。

 調子がいい、体に羽が生えたかのようだ。

 軽快な動きを見せる僕を、鬼はうんうんとうなずいて見ていた。

「よしよし、ちゃんと薬草は効いたみたいだな」

「薬草……っていうと?」

「薬草は薬草だ。ケガとか病気を治すヤツだな」


 鬼は毛皮のパンツの中から一切れの草をひょいと取り出した。見た目は特に異常なさそうではあるが……。

 僕は少し複雑な心境になって訊いた。

「……それを僕に使ったんですか?」

「おう。ひっでぇ怪我をしてたんだぜ、オメェ。もしもオレっちが通りかからなかったらオメェ、今頃永久に目覚めてなかったぜ。ちゃんとオレっちに感謝するんだぞ」

「はぁ……、どうも」

 ――あんなバッチィもんで治療されるぐらいなら、このままくたばってしまえばよかったのに。

 とはさすがに言えないから黙っておくことにした。時に嘘は使い勝手のいい道具となる。閻魔様に舌を抜かれるというが、目の前のおっかない相手の怒りを買わないことを何よりも最優先すべきである。


「でもなんでオメェ、急に落ちてきたんだ?」

「ええと……」

 僕はかいつまんで事情を説明した。


「……というわけで僕は山菜を採りに来たんですけど、兎に鈴を盗まれて……」

「あの崖から落ちてきたわけか」

 うんうんとうなずく鬼に、僕は訊いた。

「あの……、僕はこれからどんな罰を受けるんでしょうか?」

「ん、罰?」

「だって地獄に落ちて来たんですから、僕は罰を受けなきゃいけないんですよね?」

 ぱちくりと目をしばたいた鬼は、やがてぷっと吹き出したかと思うと腹を押さえて豪快に笑いだした。


「ちょっ、なんで笑うんですか!?」

「がはっ、がははッ、がーっはっはっはッッッ!! オレっちが地獄の鬼と勘違いするたあこりゃ傑作だぜ!!」

「え、ち、違うんですか?」

「当然よぉ。なんてったってオレっちは、神鳴山に住まう雷神様だぜ」

「……ええっ!?」

 僕はまじまじと目の前の鬼を見てしまった。

 確かによく見れば、屏風に書かれた雷神と似ているようにも見える。ただ記憶にある姿よりも眼前にある実体の方が何倍もガタイがいいが。


「そんで、オメェは?」

「えっと、僕?」

「ああ、そうだよ。なんかおもしれぇ姿してるし、ただの人間とか動物ってわけでもねえんだろ? 何者か教えちゃくれねえかい?」

 僕はちょっと背筋を伸ばして言った。

「僕は黒茸と言います」

「黒茸? 黒茸、黒茸……ああ、なるほどね」

 合点がいったように雷神が何度もうなずく。


「アイツが生み出したヤツか」

「僕のこと、知ってるんですか?」

「まあ、風の噂でな」

 どうやら僕のことは神様の間で話題になっているらしい。少し恥ずかしい。

「……あの、もう一つ訊いてもいいでしょうか?」

「ん、なんだ?」

「その薬草で僕の呪いを直すことはできませんか?」

 雷神は手の中の薬草と僕とを見やった後、かぶりを振った。

「いいや、それはできねえな」

「……そう、ですか」


 落ち込んだ僕の肩をばんばんと力強く――それはもう、林檎を叩き割れるんじゃないかってぐらいだった――叩いて雷神は言った。

「なあに、そんな不景気な顔をするもんじゃねえ」

「はあ……」

「人間は触れることはできねえかもしれねえが、神様はこうしてオメェに触れることができるんだからよ!」

 僕は驚いて目を見開き、雷神の顔と彼の手を見やった。

 そういえば、動物以外の誰かに触れられたのは、今が初めてだった。……痛みが勝ってすぐには気付かなかったけど。

 彼はギザギザの歯を見せて、にっと笑った。

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