一章5 『僕の日常その4 ―でえと?編―』

 げっぷ。

 おっと、すまない。黒茸だ。

 たらふく食べたせいで、ゲップが出てしまった。口からね。


 たまに僕は、頭が口だと思われるんだ。

 もやっとした四角に包まれてるせいかもしれない。

 てんちゃんにも最初、誤解されたんだ。


 どうしてだい?

 てんちゃんにだけは訊いてみたことがある。

 そうしたら、こう言われたんだ。

『……何かに、似ている気がする』

 何にと重ねて問うと、彼女はずっと考え込んだ後に、『うんと、何かに』って。結局その何かの正体を知ることはできなかった。

 まあ、別になんでもいいけど。




「げっぷ」

「黒茸さん、お腹いっぱい?」

「うん、いっぱい」

「……そっか」


 なぜかちょっと、しゅんとするてんちゃん。

 落ち込んでいる女の子を放っておくのは、僕の主義に反する。

 主義や矜持なんてのはただ持っているだけでは役に立たないが、それを忠実に守ることで個という存在を確立し、やがて個性が生まれる。あるいはレゾンデートルと呼ぶ。自分って薄っぺらいヤツだな、と思っている方はぜひなんらかの主義や矜持を持って、それを大切にしてみてほしい。そうすれば、少しは自己愛が芽生えるかもしれない。


 僕は落ち込んでいるしおちゃんの方を見やって訊いた。

「どうしたんだい?」

「……なんでも、ないよ」

 ぎゅっと鞄を抱え込む。


 今までの会話と行動から、てんちゃんの心を読み解こうと試みる。


 ……なるほど。

 とある結論に至ったが、いかんせん今の僕は彼女の望みに応えられる状態にない。

 時間を稼ぐ必要がある、あと3、4時間ぐらいは。


 僕は少し考え込んでから、てんちゃんに言った。

「ねえ、てんちゃん。今日は何か予定ってあるかい?」

 てんちゃんは顔を上げてこちらを見やり、軽くかぶりを振った。

「じゃあ、どこかに一緒に出掛けないかい?」

 うんうんと大きくうなずいた。行動の一つ一つにてんちゃんの瑞々しい感情の片鱗が覗き見れて可愛い。すっかりすれてしまった僕とは大違いだ。まあ、生まれた時からこうだった気もしないではないけど。


 思えば、てんちゃんと一緒にどこかへ出掛けるのは初めてだ。

 それに彼女の趣味嗜好に関してあまり詳しいとは言えない。


 こういう時は僕の方から行く先を提案できたらスマートなんだろうけど、それで失敗したら目も当てられない。今回は素直に相談するべきだろう。

「ねえ、行きたい場所ってあるかい?」


 てんちゃんは少し考えてから、小首を傾げて言った。

「黒茸さんが行きたい場所でいいよ」

「どこでも?」

「うん、どこでも」

 悩みの種が頭の中に埋まり、芽を出す。


 これは多くの人――特に優柔不断な友人や恋人がいる、もしくはいた人なんかは特に――が承知している事実だろうけど。実際のところ、『なんでも』を許容できるほど器(うつわ)の大きい人は滅多にいない。

 多かれ少なかれ、好みやこだわりはあるものだ。

 もしかしたら僕のような致命的な欠陥を持っている可能性もなくはない。たださすがにそれは自己申告をしてくれるだろうけど。


 つまるところ、相手の『なんでも』は信用するべからず、ということである。


 さて。

 目的地を決めるうえで、僕とてんちゃんのパーソナルデータを加味し、考慮してから決定する必要がある。

 僕は人に触れることができない。つまり人だかりができる場所には行くことができない。

 ただ今日は平日だから、どこも人の入りは少ないはずだ。心配する必要はそこまでないだろう。

 問題はやはりてんちゃんの好み、か。


「ねえ、てんちゃん。普段行く場所とか、教えてくれないか?」

 てんちゃんは瞬きを二回してから、膝を抱え込んでそこに顎を乗せて言った。

「ないよ」

「ない?」

「うん」

 彼女は膝小僧に顎を擦るようにしてうなずいた。


 会話の流れから意味をサルベージし、真意を探るべく精査していく。

「……つまり君は普段、あまり出かけないってことだね?」

「そう」

 てんちゃんは頭を下げて上げる。三度目である。僕が勝手にそう思い込んでいるだけかもしれないけど、うなずく角度は毎回ほぼぴったり同じ気がする。家で鏡を見て練習しているみたいに。


「そうか……。好きなものは?」

「マンパイ」

 ふいに出てきた単語に、僕の記憶のローカルディスクが数秒読み込み中状態になる。

「……美味しかったんだ?」

「とっても」

 Tの音をやや強めにてんちゃんは言った。


 あげたものを喜んでくれたのは嬉しいが、今は大した情報にならない。

 どうしようかとうんうん心の中でうなって頭をひねっていると、ぼうっと空を眺めていたてんちゃんがふと空を指差して「黒茸さん」と呼んできた。

「なんだい?」

「あれ」

 一度言葉を区切り、若干声のトーンを上げて言った。

「うさぎみたい」

 言われて見上げる。

 細く短い指先が差していたのは雲だった。

 確かに二又に分かれている形は、うさぎの耳部分に見えなくもない。


「うさぎ……か」

 頭の中にふあぁっとまりもが浮上するように、一つのアイディアが浮かんだ。

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