第97話 20 目の前の未来

 秋期関東大会一回戦。


 千葉県代表三里 対 埼玉県代表浦和秀学


 序盤の三回が終了した時点で、三里が1-0とわずか一点ながらリードしている。

 しかしリードされているウラシューの監督正田は、全く動揺していなかった。


 これが力負けして一点も取れていないなら、確かに動く必要を感じただろう。

 だが対戦相手の三里は、主に二枚のピッチャーと、時々左腕を入れて回しているだけだ。

(野手出身の指導者は、どうしても野手の心理だけで考えてしまうものだ)

 目先を変えることで、確かにウラシューの打線は、まだ点を取れていない。

 だがこんなにコロコロと代えられたのでは、ピッチャーの精神的な消耗が段違いだ。


 今はいい。わずか一点のリードで、緊張感の中でプレイしている。

 だがこの極限状態が続いた後、終盤で集中力を維持する体力が残っているだろうか。

 ありえない。

 正田はこれまで、プロになるような選手までも、何人となく見てきた。

 だからこそ言える。必ず三里は終盤で自滅すると。




 国立は、そう思われることは承知の上で、この作戦を採っていた。

 元より正面から戦って勝てるほど、戦力は整っていない。

 リスクを考えた上で、この作戦を採用したのだ。

 星をはじめ、三人の投手だけでなく、他の控えやセンターの西まで、投手として使う可能性を話してある。


 総力戦だ。

 明日のことなど考えない。ひたすら目の前の一勝を狙う。

 この試合で燃え尽きてしまっていいわけではないが、それぐらいのことをしないと勝てないだろう。

 ここで勝てばまず、センバツ出場が決まる。

 すでにもう一つの千葉代表である勇名館が負けているので、もう一校千葉から出る可能性は高い。


 優勝を意識して、この試合すらも一つの練習として、ウラシューは監督も選手も臨んでいる。

 だから一点のビハインドでも、慌てて策を打ってこない。

 正面から力で叩き潰す。それは確かに全国制覇を目指すほどのチームであれば、必要な心構えなのだろう。

 だが野球は、正面からの力比べだけで勝てるスポーツではない。

 ベースボールならそれもありなのかもしれないが、日本でやっているこれは、野球なのだ。

 上から目線で圧倒するのは、精神的なことを考えればありなのかもしれないが、対戦相手から何も得ないのであれば、勝つのは三里だと考える国立である。

 三里は敗北の中から、接戦の中から学び、成長してきたチームなのだから。


 三里からプロへ進む選手はいないだろうし、大学に進学してまで野球をするという者も、ほとんどいないだろう。

 だが、だからこそ、この高校野球で燃え尽きる覚悟で、全てを試す。


 問題は星の集中力だ。

 継投の回数の多さにあちらは目がいっているかもしれないが、他のピッチャーから星に代わることは多いが、星から誰かに代わることは少ない。

 東橋は回の頭からは投げるが、途中で代わることはない。

 星の負担が東橋や古田と比べても、極端に大きい。だからこの試合は、星が崩れたら終わる。

 だが全ての部員が、星で終わるなら仕方がないとも考えている。

 星自身はそれすらも気付かず、ただひたすらにプレイをしているだけである。


 野球バカ。

 国立自身も、小学校の頃からずっと、そう言われ続けてきた。

 プロ野球選手になりたいと、甲子園に行きたいと、ひたすら思い続けながらも、とにかく目の前の野球に立ち向かい続けた。

 はっきり今から思えば、要領は悪かった。プロになるには、甲子園に行くには、どうすればいいかをはっきりと分かっていなかった。

 高校のチームメイトからそれは指摘され、大学でやっと本格的な指導を受けることが出来た。

 しかし大学のコーチや監督は、選手ファーストではないと気付いたのも遅かった。彼らは高校の指導者以上に、自分たちが結果を残すことを重要視していたのだ。

 悪いことではない。今ならそれが分かる。


 だが、ああいう指導者にはならないと思ったからこそ、国立は今ここにいるのだ。


 そして星を壊さないためにも、甲子園はセンバツで行っておきたい。




 現在はまだ10月。センバツの三月までに、まだ半年ほどの時間がある。

 ここを完全に鍛えるために使えば、三里の選手はまだまだ伸びる。

 だが、それでも三里が来年の夏、白富東に勝つにはいくつもの奇跡が必要だろう。

 そこそこ強い大学でしっかりと鍛えれば、まだまだ伸びる選手は多い。


 一番伸び代がはっきりしているのは東橋だろう。

 フォームを改善し、春までに彼のストレートを、常時130kmまで上げれば、甲子園でもまともに戦える戦力になる。

 複雑なプレイなども色々と教えられるし、新一年生の中にも素質のある選手もたくさん入ってくるはずだ。


 全ては、甲子園に行ってこそ。

 甲子園に行くためになんでもするというわけにはいかないが、甲子園に行けば世界は変わる。らしい。

 ウラシューは来年の夏、自力で甲子園を目指せばいいだろう。三里に敗北すれば、あちらもまた伸びる。

 だからここでは、こちらが勝つ。

 こういういい方はなんだが、ウラシューは三里に負けた方が、来年の夏は強い。

(センバツ優勝してるくせに、全体的には夏の方が成績はいいんだよね)

 国立はそういった深いデータまで把握していた。


 同じ甲子園である。出場校は春の方が少ない。

 純粋に各都道府県の一番のチームが出場するわけではない。

 春は夏に比べると、世間の感心も低い。そもそも夏こそがほとんどの高校三年生の、最後の大会なのだ。

 白富東は最強の一二年が二三年になる来年の春と夏が、おそらく一番強い。特に来年の夏は、高校野球史上最強のチームになる可能性が高い。

 星や西のために甲子園に行くには、この試合が最大のチャンスなのだ。




 三里の作戦の異常さはウラシューの、奇策に慣れた監督や選手からしても想像外であった。

 サウスポーの東橋がツーストライクを取ったところで、星へ継投。

 どろんと落ちる球に対応出来ず、内野ゴロになる。

 そのまま次の打者まで打たせて取り、ヒットがあっても後続を絶つ。

 基本は内野ゴロを打たせるが、東橋に代わればその球威の差で、内野フライになったりもする。


 誰の何を選んで打てばいいのか分からない。

 非常識すぎる三里の継投を、理解して対応しようとして、ウラシューの選手はドツボにはまりそうになる。

 最初の思惑通り、力尽くで正面から対抗すれば、この三里の奇策とも言えるべき無茶を、突破出来ただろう。


 だが、三里は揺るがない。

 ベンチの中の国立は揺るがず、淡々と選手のポジション替えを行い、イニングの間に指示を出している。

 ウラシューの正田は、どちらかと言うと本来動くタイプの監督だ。あの若さで動揺を見せない国立に、不安を感じても無理はない。

 それに動揺しないのは、国立だけではない。

 庄田は理聖舎から転校してきた古田については、事前の偵察で警戒していた。

 しかし実際に目にしてみて、つくづく思い知らされるのは、星を中心とした三里の守備だ。


 三里の守備は、崩れない。

 ヒットでランナーを出しても、そのランナーを殺すことに全てのナインが集中する。

 星の投球も、ベースの手前でどろんと沈むボールがほとんどで、これもゴロにしやすいものだ。

 高校レベルでは金属バットと守備の不徹底により、ゴロを打つことは基本戦略になっている高校も多い。

 だが三里の守備は、確実だ。驚いたようなスーパープレイはないのだが、とにかくエラーがない。

 イレギュラーで弾いたボールを、他のポジションがすぐにフォローして、チャンスと見て走塁したランナーを、逆にアウトにする場面もあった。


 そして星は牽制も上手い。

 特に二塁へランナーが進んでからの牽制だ。確実にアウトにするほどのものではないのだが、セカンドとショートがこっそりと動いて、リードを小さくしようとする。

 彼のような遅い球、まして沈む球のピッチャーからは、本来なら盗塁はしやすい。

 だが現実は、二塁への盗塁を決めたランナーが、牽制でアウトになってしまったのが一度。

 ウラシューは下手に地力で上回っているだけに、奇策ではなく堅実に点を取ろうとしてきた。

 それがことごとく裏目に出るのは、三里の幸運と言うよりは、何か目に見えない、他の力が働いているように思える。




 ランナーが出て、ワンナウトながら二塁へと進み、バッターのカウントはツーストライクワンボール。

 ここでまた、古田から星へとピッチャーが代わる。

 星の球は、アンダースローから放られるので最初は浮き上がるように見えるが、実際にはベースの手前ででろんと落ちる。

 分かっているのだ。分かっているのだが、実際に古田の球を見せられた後だと対応出来ない。

 さらに時々、オーバースローから投げてくる。これでさらに対応が難しくなる。


 ありえないとは思いつつも、実際に出現している目の前のピッチャーに、ウラシューは適切な攻略法を見出せないでいた。

 現実的に考えれば、カットで粘って球筋を見極めれば、打てないピッチャーではないはずだ。

 しかしここまで、事実として存在するのは、0の表示が五つ。

 四番から始まった六回の裏も、既にツーアウト。

 マウンドの星は、これまたこのイニングを東橋から交代してオーバースローとアンダースローを使い分ける。

 とにかくひたすら、タイミングがとりづらい。

 球速はとにかく遅いのだが、その遅い中でもさらに遅い球を投げてくるので、引っ掛けて内野ゴロか内野フライにしてしまう。

 これもまたピッチャーゴロでスリーアウトとなった。


 三里の攻撃は、点につながる攻撃にはならない。

 一回に芳賀から一点を取ったが、それ以降は四球で出た以外に、まともなヒットさえ打てていない。

 だが、攻撃時間は長い。

 難しい球は打たず、甘い球を狙うことを徹底し、際どい球はカットする。その技術を持っている。

 あるいはツーストライクからセーフティなどという小技も使ったりする。


 打撃は恐ろしくないが、しぶとい。

 その点は投手と共通している。


 星の投球の恐ろしいところは、テンポの早さだ。

 星は基本的に首を振らない。もしもそこが打たれると思えば、ボール球を投げる。

 とにかくテンポを早く、バッターに考える隙を与えない。そこが東橋や古田とも違う、星の長所だ。

 相手に考える暇もなく投げて、凡打の山を築く。

 県大会の準決勝で戦った勇名館も、超高校級とまでは言わないが、それなりに優れたバッターはいた。

 だがそのレベルまでのバッターなら、星は封じられる。


 先発はしていないが四番としてファーストに入っている成田には、ほとんど敬遠に近いようなボールしか投げない。

 それ以外のデータが揃っているバッターには、無心でとにかく投げ続ける。

 打たれるか、打たれないか。

 それだけを考えて、ひたすら投げ続ける。




 自軍の守備は長く、攻撃は短い。

 監督正田は、選手たちに疲労が溜まっていくのを感じていた。

 そもそもウラシューというチームは、新チームは二年を中心として、毎年強いチームを作るタイプなのだ。

 センバツに出場して優勝した例は、本来のウラシューの勝ち方ではない。

 もちろん勝利を目指さないわけではないが、この時期のチームにはまだ、安定した強さがない。

 そしてこれと言える、強みを持った戦術がない。


 正田も試合の流れを変えるべく、選手を少し入れ替えたりはした。

 しかし打線はぎりぎり三里を攻略出来そうであり、芳賀は一回以来まともにヒットを打たれていない。

 この調子の芳賀を代えることに、躊躇がある。この出来の投手を代えるということは、せっかくの成長の機会を奪うということでもある。


 夏に最高の戦力を目指すか、この目の前の一勝を貪欲に食らうか、明らかに前者を意識しているため、思い切った手が打てない。

 八回の裏もツーアウトから二三塁にまでランナーを溜めたが、星のオーバースローとアンダースローを絡めた投球に、あと一本が出なかった。

 八回までヒットと四球で13人のランナーを出しながらも無失点。

 星の力だけではない。東橋もワンポイントとして己の役割を理解し、失投が一つもない。

 古田も星と自分の違いを意識し、高速スライダーで着実にアウトを取っている。


 だが、星が凄すぎる。

 こんな選手が、こんな精神力を持つ高校生が、他にいるだろうか。

 星のスタミナは切れかけている。だがその集中力が切れない。

 おそらく技術で高校ナンバーワン投手の佐藤直史であっても、星ほどの精神力は持っていない。

 こんなキャプテンがいるのだから、甲子園に行けてもおかしくはない。


 あと一回。

 一点取られる前に三つのアウトを取れば、甲子園に行ける。

「ここからが本当の勝負だ」

 国立は気を引き締めにかかる。

「これだけの舞台、これだけの相手に、あと一回。それで勝てると思っていたら、おそらく負ける」

 これだけの緊張感がある試合は、国立の現役時代にも一度もなかった。

「目の前のプレイ一つ一つを、ちゃんとやっていこう。まずは攻撃からだ」

 九回の表の攻撃は、三番の東橋から。ひょっとしたら、ここで一点入るかも、などと思ったら負ける。

「最後までしつこく、点を取りに行こう」

 国立の険しい活に、怯える選手は一人もいなかった。


×××


次話「栄冠は君に輝く」

間章最終話

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