第93話 16 道の途中
二回のイニングが終わって、スコアは2-1となっている。
倉田のホームランの後、東橋はさらにヒットを打たれたがどうにかその後の追加点は防ぎ、三里は二回にもヒットを打ったが、それは得点に結びつかなかった。
佐藤直史が、今日は打てる。
キャッチャーのリードではなく、おそらくピッチャーの問題だ。
ツーアウトまではそれなりのボールで抑えてくるのだが、そこからは甘い球が来る。
ランナーを出すと、またそこそこ集中力を取り戻すのだが、絶対的な安心感がない。
これは、もしかしたら。
そう思う三里の期待を背負って、三回の表からは星がマウンドに登った。
この回の先頭は、二巡目の中村アレックスから。
アンダースローの星からは、さすがの中村もそれほど打てない、はずであった。
初球は見逃したが、二球目の胸元から落ちるボールを、ジャストミートしてライトフェンス直撃。ツーベースヒット。
続く鬼塚も右中間の深いところへ。西が追いついてダイビングキャッチをしたが、中村は悠々とタッチアップ。
(抜けたかもしれない当たりなのに、タッチアップ前提か)
国立の目からしたら、その判断はおかしい。
このあたりも少しちぐはぐに思える。
それにしても東橋と星とを代えた影響が、ほとんど出ていない。
サウスポーの後にアンダースローというのを、期待しすぎていたか。しかしこれまではそれで通用していたのだ。
二打席目の白石は、当然ながら敬遠。ワンナウト一三塁で、迎えるのは四番の佐藤武史。
低目へと制球したボールを軽々と外野へ。やや深めに守っていた西がまた追いついたが、とてもホームへは間に合わない。
これで3-1となった。
おかしい。
(いくらなんでも、星君がジャストミートされすぎている)
星のアンダースローは、バッターの手前でどろんと沈むのだ。
それをややアッパースイング気味に、ほとんどの打者がミートしている。
ここまでは外野の守備に助けられているが、西がどうにか追いかけているだけで、当たりは完全に長打のものだ。
五番の倉田。ツーアウトからなら、フライは怖くはない。
そう思ったが、振りぬいた打球はレフト前へ。
ミートしているだけではなく、ちゃんと振りぬいているのだ。
(仕方ない。昨日だけの奇襲のはずだけど)
星へのサイン。星もまた、強く頷く。
とにかく投球というものは、打者の意識の間隙を突けばいい。
速いストレートが打たれないのは、振ろうとする意識をも上回る速度であるからだ。
アンダースローに、オーバースローを混ぜる。
体力の消耗は激しいだろうし、とりあえず目先をごまかす程度のものであるが、使わざるをえない。
白富東の得点力は、下位打線は途端に低くなる。
少なくともこんな良い当たりは連続して出ないだろうと考えたのだが、六番にもジャストミートされて、センター前へ。
俊足の白石が帰って、4-1へとスコアは変わる。
次を打ち取ってようやく、スリーアウトになった。
白富東の攻撃に関しては、おそらくではあるが原因は分かった。
星対策だ。
三里は継投策を使うが、一番長いイニングを投げるのは星である。
その遅さと球筋に慣れた頃に、速球派の古田に代わって、速度差で最後を封じる。
つまり星対策をしているなら、古田に早めに代わればいい。
だが普段は140km台をコンスタントに投げてくる岩崎を打っているだろう白富東を、確実に封じられるとは思わない。
そして佐藤の投球の特徴も分かった。
ノーアウトの先頭打者に対しては、かなり集中力を高めて投げている。
アウトカウントが増えるにつれて、その集中力がなくなる。そしてまたランナーが増えれば、集中力が高まっていく。
明らかにメンタルのおかしな状態である。しかし慌てているのは倉田だけで、他には内野陣も全く動じていない。
打たれることを覚悟の起用ということか。
佐藤直史の投げる試合は負けない。
少なくとも今年のセンバツで負けて以来、負けていないどころかこの試合まではずっと得点を取られていなかった。
それだけの投手であるのに、こうやって崩れることもあるのか。
「四球、出てませんね」
国立の違和感を見抜いたのか、そんなことを星は言った。
「ちょっとスコアを」
ざっと見た限り、スリーボールからは確実にストライクを入れてきている。
おかしい。
メンタルの乱れは制球の乱れだ。それがないからこそ、佐藤直史は最高のピッチャーと言われるのだ。
気分の浮き沈みが激しすぎる。世界大会のパーフェクトピッチングはなんだったのか。
長い時間集中を持続するという点でも、今日のピッチングはおかしすぎる。
夏の甲子園、準決勝のパーフェクトピッチングは、参考記録になってしまったものの、史上初のものだ。
世界大会の舞台まで踏んだ佐藤が、そこまで乱れるのか。
身内のごたごたがあったと言うが、それがまだ尾を引いているのか。
それともう一つ。
スルーを投げていない。
精密な指先の感覚が必要であると言われる魔球だが、あれこそメンタルが安定していないと使えないもののはずだ。
メンタルは乱れているが、肝心なところでは集中するという感じだ。
キャッチャーとしてはリードしづらいだろう。
星が思ったよりも打たれる。
元々打たせて取るタイプのピッチャーではあるのだが、オーバースローも混ぜたアンダースローでさえ、確実にミートされる。
守備陣の集中力でどうにかアウトにしているが、打たせて取ると言うよりは、打たれても取るといった感じだ。
ここまでノーエラーというのが素晴らしい。国立が鍛えてきた以上のプレイを本番で見せている。
(本当は練習の八割の力を出せれば、それで充分なはずなんだけど)
それではこの試合には勝てない。
打たれている星だが、崩れない。
崩れないから、甘いボールを投げない。
この試合に限って言うなら、星の安定感は佐藤よりも上である。
責任回数の六回が終わる前、相手打線が二巡したところで、古田への継投。
あれからさらに一点は取られたものの、こちらもスクイズを成功させたので、5-2と点差は変わっていない。
星の遅い球に慣れたところで、速球派の古田へ。
いつもは古田よりさらに速い岩崎を打っているのかもしれないが、遅い球に慣れたところへ、速い球は打てないはず。
そう思ったところで、白富東は中村アレックスがスライダーを叩く。
外野の頭を超えて、フェンス直撃のスタンディンダブル。
緩急差があまり効いていないのか。
続く鬼塚もスライダーを右に打って内野を抜く。
打球に勢いがあったために二塁ランナーは三塁でストップ。
ノーアウト一三塁で白石。
ここは敬遠するしかない。満塁にすれば内野ゴロでフォースアウトが取れる。
(普通なら次が四番で敬遠するのはおかしいんだけど)
四番の佐藤武史と、五番の倉田。この両者は秋から打撃の成績もかなりいい。
一番から五番までは、全員が四割を超えている。さらに誰もが長打を打てる。
ノーアウト満塁で、四番の佐藤武史。
内野は全身守備、外野は後退。
ここで一点を取られたら、おそらく負ける。
佐藤の投球はあまり変わらないが、逆に言うと落ちてもいない。
むしろ倉田がリードの仕方を変えたのか、いい当たりは減ってきている。
ここを抑えれば。
だが世の中はおおよそ、思い通りにはいかないものである。
古田の鋭いスライダーを、高くセンターへ。
深く守っていたのが幸いしたが、タッチアップの防ぎようがない場所であった。
これで二塁の鬼塚も三塁へ進んでいて、続くバッターの倉田もレフトへの深いフライ。
二連続タッチアップで、二点を追加。
終盤で7-2という数字は、普通ならかなり絶望的な数字であるが、白富東は今日の佐藤を代えない。
ならば逆転のチャンスはある。
「そう思っていたころが僕にもありました」
思わず呟く星であった。
倉田のリードが上手く噛み合ったのか、七回から明らかに、佐藤の投球が変わった。
連続三振を含む凡打の山で、ここまではなんだったのかというパーフェクトピッチング。
その間に古田はもう一点取られたが、堅守に支えられてどうにか崩れるのを防ぐ。
8-2という点差で九回の裏。
既にツーアウトまで追い詰められて、本日五打席目の西。
六回まではボコボコに打たれていたのが、七回以降は別人である。
中盤までと終盤では、まさに全く異なる完璧な投球。
スルーを使って西を三振に打ち取り、試合は終わった。
展開としては予想も出来なかったが、順当に強い方が勝った。
これで白富東は県大会は、秋、春、夏、秋と四期連続で優勝である。
しかしマスコミとしては、大事なのはそこではない。
佐藤直史の無失点記録が途切れたことだ。
終盤の投球内容を見るに、単に不調であったというのとも違うだろう。
マスコミに囲まれているのは、佐藤の他にはキャプテンの大田と顧問の高峰、それとやはり白石に倉田である。
「バッテリーで新しい試みをしていたので、打たれることは分かっていました」
佐藤はそんなことを言っているが、その内容までは口にしない。
これから先、関東大会もあるのだから、情報を洩らせないということであるのだろう。
それは他のメンバーも同じで、白富東は相変わらず、マスコミからは嫌われるチームになるのだ。
もっとも大介だけは別である。この試合もホームランを打ち、出塁率10割。
盗塁もしていて、やはり止められない選手である。
準決勝でトーチバを虐殺し、この決勝でも一度もリードを許さなかった。
逆に三里は、佐藤の無失点記録を止め、長打を打たれながらも試合を壊さなかった。
つまり、やはりこういう質問が出てくる。
「21世紀枠での出場も決まったのでは?」
国立は変わらず答えるのみである。
「今はただ、出場の決まった関東大会を、一戦一戦戦っていくのみです。全ては最後の夏と、それにつながる春に向けて練習の日々です」
県大会の決勝まで勝ち残ったことで、関東地区での21世紀枠選出は確実となった。
勇名館までが関東大会でベスト4に残ったら分からないが、正直そこまでの力はないと思っている。
それに三里は、その勇名館に勝っているのだ。
関東大会まで約10日。
それまでの短期間にどこまで微調整を行えるか。
甲子園への切符は、まだ発行されていない。
取材の時間も終わり、あとは学校に戻ってミーティングである。
しかし国立には、どうしても白富東に聞いておきたいことがあった。
誰に聞けばいいのか、迷うところではある。もちろん一番なのは、今日は完全に指揮に徹していたキャプテンの大田なのだろうが。
見ればぽつりと、佐藤兄がストレッチなどしている。
どこまでもマイペースというか。しかし白富東は自分なりの調整法を確立している者が多い。
むしろ個人が本当に必要な時だけ、集団として結束しているという面がある。白石や佐藤などはその極端な例だ。
「佐藤君、ちょっといいかな」
どうもいまいちの投球内容だった彼に聞くのも、ちょっと酷なのかもしれないが。
「なんですか?」
ストレッチを止めないまま、それでも佐藤は受け答えしてくれる。
「うちの投手をあまりにも簡単に打ち崩していただろう? 特に星君をあっさりと攻略していたのが、不思議でね」
不調の理由は色々あるだろう。それに終盤では一気に集中力を取り戻していた。
だからそこは彼個人の問題だ。しかしこちらのピッチャーを、特に星をあっさりと攻略したのは何か理由があってほしい。
佐藤直史は秘密主義者だと言われているが、別にそんなことはなかった。
「いや、普通に昨日の試合で見て、対策しないとと思って対策しただけですけど」
やはり、星の上下両方からの投球は、頭の隅にさえあればそれなりに攻略出来るらしい。
それにしても対応が早すぎると思うが。
「なんでしたらまた合同練習してみますか? うちの監督とキャプテン次第ですけど」
「それは、確かにしてもらえるならありがたいけどね」
「分かりました。お~い、ジン!」
そこからあっさりと、三日後の合同練習が決まったのである。
部長である高峰の意思は、全く無視されていた。
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