第75話 SP3 軍神 上杉
甲子園大会二日目、屈指の好カード。
下手をすれば事実上の決勝ではないかとさえ言われる試合が、この日の第三試合に行われる。
新潟代表 春日山高校 対 東東京代表 帝都大付属第一高校。
上杉勝也の、甲子園最後の夏が始まる。
とは言っても、第三試合だけを見るわけではない。
早朝から場所取りに早乙女はでかけ、六人分の席をバックネット裏に確保していた。
「アルプス席とは違いますね」
観戦の経験があるジンも、バックネット裏では見ていない。
「色々と戦力について考えたのですが、秋季大会でうちの最大の敵となるのは、東名千葉だと思いました」
ジンの言葉をスルーして、セイバーはそう説明する。しかしその格好はなんであろう。
帽子にタオル、そしてTシャツ。下もラフなスカート。
隣の早乙女はさらにひどく、麦藁帽子に作務衣姿である。甲子園の暑さ対策ではあるのであろうが。
「勇名館の吉村投手が最大の壁かと思っていましたが、東郷選手の代わりを務める捕手がいません。それに打力も確実に低下。うちの敵ではありません」
セイバーの言葉は辛辣であるが、事実でもある。
千葉県でやはり一番組織的に選手を集めているのはトーチバで、次が東雲だ。
あとはこの夏はあまり勝ち進んでいなかったが、公立でチーム力の高い学校がある。上総総合もその一つだ。
統計上の数字だけを当てはめれば、90%ぐらいの確率で優勝出来るそうだ。もっともシードなどの運要素があるので、あくまでも目安でしかない。
勝てると思って油断したら負ける。世の中はそういうようになっている。
千葉県で準優勝までなら確実に関東大会に出場。およその目安として関東大会ベスト4でセンバツに出られる。
センバツの出場校の選抜基準はけっこう謎なところもあるのだが、勉強や多様な部活で有名な白富東が、話題的にも選ばれる可能性は高い。
「ああ、だから神奈川湘南を」
ジンは納得した。神奈川湘南も選手集めに定評があり、毎年一定以上の戦力を保持している。
関東では東京を除くと、圧倒的に神奈川が、地区としては強いのだ。
「関東大会では準優勝を目指します。間違って優勝していはいけません」
「え、なんで?」
大介は驚く。ジンと手塚もだ。
直史は、それは時間が取られなくていいな、と考える。
優勝は狙わない。だがセイバーにもちゃんと育成方針があるのだ。
「神宮大会に参加したくありません」
またも高野連のみならず、高校野球に喧嘩を売ってそうなセイバーの台詞である。
神宮大会は秋に行われる大会で、秋季大会の各地区の優勝校と、東京の代表によって行われるトーナメントである。
トーナメントだが試合回数は少ない。そして甲子園を中心として考える高校野球においては、カラーが完全に違う。
「まあ神宮大会は甲子園よりさらに短期決戦の大会なので、出場してしまったらもちろん優勝を狙います。ただ優勝してもあまり得な部分がないんですよね。全国の強豪と戦える経験は得られるかもしれませんが、うちがそれをやるとしたら、来年からです」
来年。二年の秋ということか。
「手塚君には申し訳ありませんが、神宮、センバツ、夏、国体の全制覇は、大田君の代で目指してもらいます」
「それはまた……」
さすがのジンも絶句する。彼は神宮で優勝するのも難しいと知っている。正確には、出場することすら難しいのだ。ある意味甲子園の比ではない。
「まあ、それは後の話で。いよいよ始まりますね」
甲子園大会、二日目の試合が始まる。
熱気、音響、スタンドの揺れ。
マリスタでも感じたことであるが、甲子園球場はさらにそれを上回る。
「甲子園の歴代優勝校は、かなり関西と四国に偏っています。対して神宮はむしろ少ない。これは何を意味するのでしょう?」
試合を見ながらも、セイバーは解説していく。
「地元有利、ですか?」
手塚の答えに、セイバーは頷いた。
「まあ周囲を見ても分かりますが、どの方も皆、熱心な高校野球ファンのようで」
周囲の声は関西弁ばかりなので、はっきりと分かる。
「対して神宮は関東が極端に強いわけでもない。甲子園の観客は、別次元のものなのでしょうね」
なるほど、これを意識していなければ、まともに試合が出来ないかもしれない。
「一回戦で兵庫県の代表と当たりでもしたら、初出場校はとても勝てないでしょうね」
しかし、とセイバーはノートPCの画面を変える。
「センバツと夏では、優勝校に違いがあります」
それを見るに、明らかに夏の方が、近畿圏は強い。特に四国まで含めると顕著だ。
「夏を制覇するための試金石が春。甲子園の後も国体がありますが、基本的に高校野球の最後は夏の甲子園ですね」
確かに。誰もそれに異論は唱えない。
第一、国体は地元有利が過ぎる。野球に関してはさすがにそれほどでもないが、マイナー分野では顕著だ。甲子園で結果を残した上で出場が決まるので、大半の球児には関係がない。
「トーナメント次第ですが、力技で関東大会をベスト4にまで進むことは出来ると思います。そして春で甲子園を経験し、夏で制覇する。国体は……勝てるようなら勝ちに行きましょう。そして三年目は――」
明確なビジョンがある。誇大妄想と言われようと、思い描くことさえ出来ないなら、その入り口にも立てない。
「全部勝ちましょう」
セイバーは簡単そうに言った。
試合が続いていく。
第一試合こそ接戦であったが、第二試合は割りと一方的な展開である。
「ここまで勝ってきたにしては粗い」
直史が呟くが、その感想は全員同じである。
「でも負けててもフルスイングだな」
大介が見るのはそういうところだ。
三回のイニングが終わったところで5-0というスコア。
「う~ん、予想と全然違う……」
第一試合のスコアと展開はかなり当てたセイバーであったが、どうやらこの試合は外しているらしい。
「予想では?」
「7-1で負けてる方のチームの勝ちです」
「う~ん、ピッチャーがノックアウトされて、外野に行かされたのがきついですね」
ジンとしては、別に意外ではない。だが自分が捕手であったら、かなりしんどい展開である。
エースが乱れて打者を塁に出し、甘いところを攻めて打たれる。よくあるパターンと言えばよくあるパターンだ。
「このチームはよくあることなので、修正してくると思ったのですが」
「予選からこんな感じですか?」
「いえ、監督が」
「監督?」
そのセイバーの言葉には、全員が振り返った。もっともジンだけは理解の色を浮かべていたが。
「ここ、公立だけど監督が30年変わってないんですよね?」
よく知ってるなという周囲の視線に対し、セイバーは頷いた。
「甲子園常連校で、大味な野球に逆にファンがいたりもするのですが、優勝は一回もないんですよね」
「監督かあ……」
逆にジンには感慨深いものがあるらしい。
甲子園に来る球児たちは、多くてもその機会は五回。それに対して監督は、ずっと続けて同じ学校にいることもあれば、次々と学校を渡り歩いて結果を出す者もいる。
ここでセイバーとジンが注目したのは、教員が監督を兼任しているチームだ。就任して10年目に初めて甲子園に出場し、それからは常連となって久しい。
「最高がベスト8でしたっけ?」
「そうですね。こういうチームは……それなりの選手を、三年間かけて伸ばすわけですね。攻撃が荒っぽいのは確かですが、力がないわけではありません」
魅力的なチームではあるし、面白い監督でもある。しかしセイバーの目的には全く役に立たない。
プロとしては、高い勝率を維持しつつ、いざという試合で確実に勝つ決定力が必要なる。
高校野球のトーナメントを勝ち進むには、一つ一つのプレイにも目を配る細かさが必要だ。
そう思っていたのだが、これはこれで強い。
考え方を変えたのは、負けていたチームが中盤で一気に攻撃が爆発し、得点で逆転したからである。
そして外野から戻ってきたエースが復活。そこからは凡打の山を築きだした。
終わってみれば12-10という打撃戦になっていた。逆転勝利だ。
高校野球の未熟さと、そして若者の爆発力を感じさせる試合であった。
「全国制覇までは目指していないのでしょうか」
ふとセイバーは呟いた。
先ほどの試合、監督はほぼノーサインであった。一番多くあったサインは「打て」である。それサインちゃう。
しかし粗い打撃とは別に守備は鍛えられていたし、得点は多く取られたもののエラーはなかった。
勝てば楽しいが、勝つだけが全てではない。
それを体現したかのような試合であった。
「将来を見据えた場合はどうなんでしょう?」
「プロを目指すような選手は、最初から名門に野球留学しますよ」
セイバーの自問にジンは答えたが、それだけでは満点ではない。
「中学生の段階ではまだ体が出来ていなかった子達は?」
「そういうのが集まるのが、強い公立じゃないんですかね? 大学や社会人からでも、プロのルートはありますし」
年々先細りの社会人野球だが、それとは別に独立リーグと言うのもある。
野球を続けるだけなら、道は残されているのだ。
野球指導者。ジンの将来の目的だ。
しかしその明確なビジョンはまだ決まっていない。
勝利を望むのか、育成を第一とするのか。
それともそれを同時に行うのか。
強豪校を優勝へ導くのか、新設校に勝利の方程式を叩き込むのか。
どちらも楽しそうであるのが困る。
さて、本日のお目当ての第三試合である。
スタンドの空気からして、既に前までの試合とは違う。
「そういや、春日山と帝都一はどちらも見学予定になってますけど、これでどちらかは消えますよね?」
ジンの質問に対し、セイバーは溜め息をつく。
「まさかこんなカードが組まれるとは思いませんでしたから。一応大阪、神戸、福岡、愛媛あたりの代表の練習スケジュールは抑えてあります。見学はともかく偵察は出来るでしょう」
「どちらが勝ちますかね?」
その手塚の問いに、残りの全員の声がハモった。
「春日山」
「やっぱり」
手塚自身もそう思っていた。
春の巴戦での試合では、レギュラースタメンの両校の試合では、勝ったのは帝都一であった。
しかしながらこの試合は春日山が勝つ。全国制覇への最後のパーツが揃ったからだ。
一年のキャッチャー樋口兼斗。他のメンバーが上杉を慕って集まったのに対し、上杉自らが勧誘しに行った、同年代ナンバーワンとも言われるキャッチャーである。
シニア出身であり、上杉兄弟の所属していた春日山シニアとは何度も対戦していたチームの出身だが、その力は誰もが認めるところなのだ。
上杉が一年の時に全国制覇を出来なかったのは、彼自身がまだ未熟であったのと、さすがにチームの総合力が低すぎたからである。
そして二年の時にも達成出来なかったのは、キャッチャーが原因だ。
充分すぎる能力のキャッチャーであったが、上杉の球を捕るというのは、充分すぎる程度では無理なのだ。
春の試合も、樋口がスタメンで出たのは、上杉弟の投げた白富東との試合であった。
あの時は三打数三安打で、ベンチだった上杉兄の代わりに攻撃の主軸となっていた。
春日山のベンチメンバーには三人の一年がいるが、そのうちスタメンは樋口だけである。
「あら」
とセイバーが言うほどに、そのスタメンは意外であった。
三番がピッチャーの上杉勝也、四番がキャッチャーの樋口兼斗である。
「う~ん、地方大会では、四番の上杉君は固定だったんですが」
上杉は投手としては超人レベルであるが、打撃の方も超一流だ。
甲子園においてさえ打率は五割に近く、ホームランも通算で10本打っている。
間違いなく投打の要であり、樋口の打撃も凄まじいが、さすがに上杉ほどではない。
上杉は投打の両方をこなすことに、負担を感じるような柔な性格でもないはずだ。
バックネット裏のお客さんもどよめいているが、それは上杉の投球練習が始まるまでだった。
一球投げるごとに、甲子園が揺れる。
軽く投げても150kmというその球速と球質は、プロから見ても垂涎の的である。
12球団のどこだって、彼のことは欲しいだろう。というか、他の球団に行かれるのが嫌すぎる。
「でも帝都一も投手揃ってるしな。春日山は明らかに、打撃力は帝都一以下だろ」
ジンの分析としてはそうである。だが、突出した力は、平均的な総合力を上回る。
これから、そんな試合が始まるのである。
上杉は神ではない。
負けもするし、点も取られる。
だがもし高校球児で最も神に近い選手を選ぶとしたら、全ての人が彼を選ぶだろう。
もはやどよめきの揺れが、彼の投げる一球ごとに繰り返されるだけである。
回は九回の裏、帝都一の最後の攻撃。
スコアは5-0で、ほぼ試合は決まっている。だから関心は違うところにある。
ここまでにポテンヒットがあるので、完全試合はおろかノーヒットノーランさえ達成しえないのだが、観客にとってはそんな字面はどうでも良かった。
七番代打空振り三振。
八番代打空振り三振。
そしてラストバッター代打、空振り三振。
併殺を含む27人で、試合が終わった。
球数は95球。奪三振は23。
ヒットで出たランナーを併殺にするためにゴロを打たせたことを除けば、残り25人のうち23人が三振ということだ。
しかも四死球は0。内野フライが二で、内野ゴロが一つ。
「……人間じゃねえ……」
ひくつきながらも声を出したジンであったが、横を見れば直史さえもが固まっている。
「どうやったらこの人負けるんだ?」
直史ですら、この超人の敗北するところが想像出来ない。
そして、一同の目が、大介を見る。
打者としてみた場合ならば、大介は上杉より上と言えるかもしれない。
千葉県最強の打者であることは間違いないし、彼を全て凡打に抑えた投手はこれまで存在しない。
「……三振しない自信はあるけど、あれまだ流してただろ?」
大介の指摘に、聞きたくないものを聞いてしまったと感じる他一同。
この日の上杉の記録したストレートの最高速は159kmである。
だが地方大会では何度も、160km以上を記録しているのだ。
帝都一は、ほとんど毎年優勝候補に挙げられる、全国でも屈指の強豪である。
それがまさか、こんなことになるとは。
完封されるぐらいは予想していたが、全力でない上杉相手に、ここまでの惨状を晒すとは。
「ジン、全力を投げさせずに帝都一を完封したのは、樋口のリードか?」
直史の視点はまた異なる。あのピッチャーをまともに攻略するのは不可能だ。
バントをしようとしてさえほとんど失敗するような球を、どうやって打つのだ。
「ゲッツー打たせたのは樋口のリードだろうね。140kmのチェンジアップって、それもうチェンジアップじゃないと思うけど」
140kmのチェンジアップ。なんだそれは。高速チェンジアップというものか。
基本的に上杉の球種は、ストレートだけである、それを握りを変えることによってムービング系にすることはあるが、基本はまっすぐをコースに投げ分けるだけで、試合が終わる。
「……やっぱり見に来て正解ね」
頭はくらくらするが、セイバーは成果はあったと言う。
これはもう、高卒からいきなりアメリカに行ってもらったほうがいいのではなかろうか。
「……高校じゃもう、この人とは対決出来ないのか……」
大介の言葉に、硬直する他一同。
この圧倒的なパフォーマンスを見てもなお、対戦してみたいと言えるのか。
やはりこの少年の精神性も、超人的である。
かくして、上杉の甲子園初戦は終わった。
白富東のみならず、他の全ての観客に、強烈な印象を残して。
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