断章 上杉の夏 ~白富東選抜メンバー甲子園へ行く~

第73話 SP1 甲子園へ行こう

※時系列的には第二部より前の話です


×××



 それは八月の登校日が終わり、新生白富東野球部の活動が始まってすぐのことであった。

「誰か、甲子園を直接見に行く人はいませんか?」

 野球部監督の山手・マリア・春香、通称セイバーさんが、練習後にそう言った。


 灼熱の猛暑の中、へろへろになった部員達は、グラウンドに横たわりながらそれを聞いていた。

 太陽と地面の輻射熱が体力を奪っていく。それを見るセイバーもブラウスをけっこう大胆に開け、団扇をボディーガードの一人に扇がせている。

 ……まあ自分で雇っている人間をどう使おうが彼女の勝手だが、外見もあいまって、なぜか「マリー・アントワネット」という単語が思い浮かんだ。

「それは……試合を見に行くということですか?」

 半死半生といった状態で、新キャプテンの手塚が尋ねる。

 前キャプテンがいた頃はそうではなかったが、責任のある地位に就くと、人はそれなりに変わるらしい。

「試合もですが、甲子園周辺の状況や、参加校の練習の様子などを見学して、もし可能なら練習に混ぜてもらうというものです」


 見学まではともかく、練習に混ぜてもらうというのは無理なのではないか。

 そんな当然のことを考えるメンバーであったが、この若い娘さんは、とんでもないところにツテがあったりする。

 そういった手配は任せられるのだろう。ならば訊くべきことは他にもある。

「期間はいつからいつまでですか? それと見学させてくれそうなところとの連絡は?」

「大会初日から、準々決勝までを見てもらいます。それ以降はあちらも、全く余裕はないでしょうし。ちなみに確定しているのが帝都一、春日山、神奈川湘南、勇名館の四校ですね」


 ほう、と誰もが感心した。

 神奈川湘南を除く三校とは試合の経験があり、特に勇名館は決勝で惜しくも敗北した、千葉県の代表校である。

 試合内容から、またドラマティックな、同時に呆気ない幕切れから、試合終了直後は日本中を騒がせた対戦であった。

 東日本に偏ってはいるが、帝都一と春日山は優勝候補であり、神奈川湘南も激戦ブロック神奈川県の名門校なので弱いはずはない。

「でも、西日本の学校はないんですね」

 ジンの問いに、セイバーはかすかに頷いた。

「大阪光陰を見たかったんですけどね」

「一番大事なとこですね」




 現在の高校野球は、大阪を中心に回っていると言う人間さえいる。

 実際に最多優勝の都道府県であり、全国から選手を引っ張ってくる強豪校があり、逆に全国に選出を輩出する特別な地区だ。

 その中でも最も強大と言われるのが大阪光陰であり、実際に春の選抜も優勝している。去年の夏もベスト4に進出しているので、優勝候補の筆頭と言ってもいい。

 そしてジンたち鷺北シニア出身のメンバーにとっても、特に注目しているチームだ。

「結局リキのやつ、ベンチに入れなかったんだよな」

「スマホで連絡してみたけど返信なかったわ」

「まあ、あっこ陸の孤島で普通には連絡つかないんだろ?」


 岩崎を抑えてエースを張っていた豊田力(ちから)。通称リキと呼ばれていた元チームメイトのことは、素直に応援していた。

 だがさすがに王者と言うべきか。選手層が厚すぎて、一年の夏はベンチに入れなかったようだ。

「ジンも一応誘われてたんだよな」

「ほんっっっとうにお情けみたいな感じだったけどな。ブルペンキャッチャーとして優秀になる自信はあったよ」

 たっぷりの皮肉を込めてジンは言うが、別に隔意があるわけでもない。

 人数を絞った強豪のスカウトがあったというだけでも充分に凄いことだ。


 強い学校に行き、強いライバルと競い合い、レギュラーを獲得して甲子園、そして全国制覇を目指す。

 まあ普通に高校野球の球児としては、ごく自然なコースであろう。

 別に野球ばかりの脳筋というわけでもなく、一般入学の生徒には、難関国公立や難関私立への合格者も多い。

 大学野球を目指しているジンにしても、おかしくはない進路であった。その場合はまあ野球での進学になっただろうが。

「バカみてーに野球漬けの日常らしいし、俺にはちょっと合わないと思った」

 白富東で個性的な文化部との付き合いがあるジンを見ると、確かに納得出来る。

「あんなに野球ばっかやってると、野球嫌いになるよ」

 そう言うジンであるが、彼が野球愛に満ちた人間であるのは、チームの全員が知っている。

「あ、でもあたしには大会前に連絡あったよ。ベンチ入れなかったから見に来るなって」

 そう言ったのはスポーツドリンクを用意していたマネージャーのシーナであり、同じ鷺北シニアで女ながら、レギュラーメンバーのクリーンナップを打っていた。


 シニアメンバーの顔が歪む。

「まああいつ、女には絶対に連絡欠かさないやつだったからな……」

「でもあっこ、スマホも持てないとか聞いたけど、どうやって連絡したんだ?」

「山の中の寮で修行僧みたいな生活なんだろ?」

「休養日は月一ぐらいしかなくて、平日も10時まで練習してるとか」

「うちとは違うなあ」

「あいつのことだから一ヶ月ぐらいで問題起こして帰ってくると思ったけど」

 シニアメンバーの評判はこんなところだ。


 特に興味もなかったので直史もそれまで気にしなかったのだが、今の会話の中で少し気になる部分があった。

「そんな生活で、いつ勉強してるんだ?」

 これである。


 どこか空虚な目で直史を見つめる部員たち。

 直史はそれなりに野球のことを自分で調べているのだが、その調べ方には偏りがある。

「あそこはさ、大阪光陰野球部に就職するってもんなんだよな」

「そうそ、それなりの伝手使って、ちゃんと三年生活したら、大学とか社会人に送ってくれるらしいし」

「まあそういう意味ではリキのやつも合ってたのかもな。あいつもなんだかんだ言ってジンとは違う方向にプロ志向だし」

 ふむ、と頷いた直史は寝転がった体勢から柔軟に入った。

 中学時代完全に無名であり、別にそこまで人生を野球に依存させるつもりのない彼には、それ以上は興味のないことである。




「俺も練習見に来ないかって言われたことある」

 発言したのは大介であった。

 この小さなスラッガーは、やはり中学時代は無名であったが、公式戦の投手成績で未勝利という直史ほどはひどくない。

「あ~、誘われたのか」

「大介によく目をつけたよな」

「でもあそこって、体格で選別してるんじゃなかったっけ?」


 フィジカル偏重は野球だけに限らない。しかし実際、大介のバックスクリーンビジョン破壊というホームランは、日本野球史上においても五例目の快挙?である。

 小さいから打てないというのは間違ってるし、県大会決勝まで七割五分以上の打率を誇っていたのだから、こいつは本当にどうしてこんなところにいるんだろう、という選手である。

「まあ、うちはその頃家がゴタゴタしてたからな。けど行かなくて良かったよ。このチームは最強だ」

 男らしくイケメンスマイルを決めてくれる大介であったが、周囲の反応は微妙である。

「お前は野球就職した方が良かったんじゃね?」

「期末前のテスト勉強、ジンとシーナの足を引っ張ったのお前だからな」

「今更だけどよくここ入れたよな」

「マンガだったらテンポ重視でスキップされるかもしれないけど、下手すりゃ補習で試合出られなかったからな」

「それでミネセンのおかげで課題出てたはずだよな? どこまで進んでるんだ?」


 夏の大会において一番の敵だったのは、今思うと大介の学力であったと思う。

 平均点の60%を取れていないと補習というのが基準であるが、大介は狙ったように英語と数学でそれ以下の点数であったのだ。

 文武両道と言いつつも、どこかゆるい空気を持つ白富東でなかったら、もっと問題になっていたかもしれない。

 顧問教師の高峰や、前キャプテン北村、前生徒会長篠塚らの集団の懇願にて試合には出られたものの、その代わりに通常の三倍の赤い課題が出ていたはずである。


 大介は遠い目をした。

「……日本に住んでたら、英語なんていらないよな?」

「ばっか! ふざけるなよ! お前のせいで部活禁止期間とか作られる可能性もあったんだからな!」

「ジン! 夏休みの宿題、一緒にジーンズブートキャンプ開催しようぜ!」

 大介にプロレス技をかける部員達であるが、頼られたジンの方は、半笑いになるしかなかった。

「ごめん、俺もう昨日終わらせた」

「! ――このマジメが!」

「そんな優等生でいいと思ってんのか!」


 なぜジンが責められるのか、直史には分からない。

 だがそれを聞いていたセイバーは、ぱん!と手を打ち合わせた。

「なるほど分かりました。甲子園と言っても道中や夜は自由時間です。その間に私が勉強を教えましょう。この! 東大現役合格者であり、英語検定を取る必要などないほど英語ペラペラでビジネス英会話も問題ない私が!」

 薄い胸を張って言うセイバーに、おお、と歓声が上がる。

「というわけで、白石君は甲子園行きです」

「あ、でもうち婆ちゃんの介護の手伝いを」

「私が、私費で介護士を雇いましょう」

「でも、甲子園まで行く金が」

「旅費も宿泊費もその他も、全て私持ちです。同行者には二万円ずつのお小遣いもあげましょう」

 おお、と歓声が上がる。

「それで宿題を終わらせている大田君、他にそういう感心な子はいますか?」


 しん、と鎮まりかえる一同。大介が飛びぬけてアホなだけで、シニア組もそれほどたいしたことはない。とくにこの夏は、県大会を決勝まで勝ち進んだので、そこまでの余裕がなかった。

 ジーンズブートキャンプを期待していた一年は多い。

「おれは一応終わらせてます。キャプテンとしても、行かないといけないかなと」

 手塚が手を上げる。さすがはキャプテンである。

 他には手が上がらないが、セイバーの視線は直史に向けられる。

「佐藤君はどうですか?」

「あ、俺は他の勉強があるので」


 まただよ、という空気がグランドに満ちた。

 セイバーも理解して、すぐさま案を考える。

「もし良ければ私が佐倉さんに頼んで、同行出来るようにしましょう。それが無理でも、課題を作ってもらうなり、判例集を読むなりすればいいでしょう?」

「さすがにそこまで迷惑はかけられませんよ。なら普通に勉強道具持って行きます」

 この、淡白さ具合。


 あの日、直史が甲子園を目指すのをやめなかったのは、明らかに佐倉瑞希の説得があったからだ。

 しかしここでセイバーが提案すると、あっさりとそういう気配を消してしまえる。


 おそらくこの二人はそういう関係か、その一歩手前ぐらいなのではと考えていた一同だが、どうもそうでもない気もする。

 そもそも直史の恋愛観というのが、よく分からない。シーナの知る限りでは、中学校時代に浮いた話はなかったようだが。

 むしろその弟の方が明らかにモテていたらしい。今となっては信じられないことだ。


 それはそれとして、だ。

「では、甲子園に行きましょう」

 セイバーの支払いで。

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