第60話 決定

 配球には意図があり、その意図を読む打者がいて、そこからキャッチャーのリードが生まれる。

 福岡城山のキャッチャー立花の思考はシンプルだ。

 大介には単打までしか許さない。

 どうしようもなくなれば歩かせる。しかしストライクゾーンのブレを利用すれば、単打どころか運のいいライナーやフライになるかもしれない。


 初球のスライダー。ボールに逃げていくそれを、大介は余裕で見送った。

 二球目。配球の基本ではあるが、インハイ。ただし内角にえげつないボール球を。

 腕を折りたたんだ大介が強振する。打球は一塁側のスタンドに飛び込んだ。


 アウトローからインハイ、共にボール球であったにもかかわらず、簡単に強振して打ってきた。

 ファールになったのは幸運だ。並行カウントになった。

 なんて怖いバッターだ。

 自分もそれなりにバッティングを評価されているが、本当にすごいバッターというのは、こういう人間だ。

 年下だが、素直に尊敬する。


 次はインロー低めにスライダーを入れる。この軌道ならさすがに上手くは打てないだろう。

 そのリードに応えて投げた高橋の球は、大介に対する認識を間違えている。

 彼はバットが届く範囲は、基本的にどこでも打てるのだ。


 さすがに完全にはしとめそこなったが、右中間のフェンスをダイレクトに直撃した。

 一塁を回って二塁へ。そして三塁も狙えるか?

 三塁コーチャーの水島が必死で止めていたので、大介も止まる。その横を見事なレーザービームが三塁へと向かって行った。

(こりゃ相当深くないと、ライトフライでタッチアップは出来ないな)

 さすがに水島は対戦相手のデータが頭に入っている。

(深くも守ってたからな。水島さん、さんきゅ)




 無死でランナーが二塁である。しかもランナーは俊足の大介だ。

 長打はもちろん、タイムリーでも帰ってくることが出来る。

 そして打者は、四番の武史。

 この試合では一度チャンスを潰してしまっていた。


 もしまたバントのサインが出れば、意地でも決めてみせる。

 だが、今日に限って言うなら、自分には打たせてほしいと思う。


 アレクの調子がいまいちなのは、味方からしても分かる。

 何よりいつもの元気がない。守備ではいい動きを見せているが、バッティングもヘッドが少し下がっているのか、フライで凡退になる。

(俺で決めさせてくれ)

 武史に出たサインは、打て、であった。




 バントでアウトになった打席以外は、武史はいい打球を放っている。

 変化球主体で投げてくれれば、長打も打てる。

 ただムービング系の変化球は、あまり相性が良くない。


 手前でキュッと曲がるのではなく、大きく大胆に曲がって欲しい。

(いや、大きいのはいらないんだ。三塁まで大介さんを送れば――)

 次のアレクが?


 武史は深呼吸して、打席に入った。

 右打席。今日はずっと左に入っていたが、高橋の左は打ちにくい。

 送りバントの時も右で失敗していたが、それでも球を見るなら右の方が見やすい。

 ヒットを打つことだけを考える。

 下手な計算をせずに、狙い打った三球目のスライダー。レフト前への打球は速すぎて、大介は三塁で止まってしまった。




 ノーアウト一三塁。

 ある意味ノーアウト満塁よりも、点の入りやすい状況。

 併殺を取ったとしても、その間に三塁ランナーはホームを踏むだろう。おそらくここが、この試合の最大の山場だ。


 アレクは疲れている。正確には体力が上限まで回復しない。

 バテているのだ。

 この試合に勝ったら、一日の休養日がある。そこでどれだけ回復してくれるか。

 バッティングも守備も、アレクは絶対に必要だ。ここで凡退しても、せめてゴロを打ってくれたら大介がホームを踏める。


 頼む。

 応援にも熱が入る。アレクが選んだ応援曲は、狙い打ちだ。

 俺がやらねば誰がやる。

 アレクはゆっくりと打席に入る。


 体が重い。バットコントロールが上手くいっていない。

 狙ったとしても、ちゃんとヒットが打てるかどうか。

 点を取るためには、レフトへの深めの外野フライが一番確実だと言われた。

 そこまで飛ばすほどのパワーが残っているだろうか。


 相手の配球を考えると、スライダーを少し浮かせて内野の頭を越えるぐらいが、おそらく一番ヒットになりやすい。

 ただここで球威には負けたくない。


 ストレートは見逃す。ここまできてこのピッチャーは、まだ全然球威が衰えていない。

 内角へ切れ込んでくるシュートも、打っても詰まらせるだけだ。

(やっぱりスライダーか。それかストレートをミートして、どうにか外野の前に落とす)

 ゆらゆらとバットを揺らす。いつもは自在に操れるバットが、今日はやけに重い。


 重い。なんでこんな重いバットを振らなければいけないんだ。

 苛立つ。打ちにくい球を投げてくるバッテリーにも苛立つ。


 アウトローへ逃げていくスライダー。狙った球だ。このクソ重いバットを、ボールに叩きつける!


 思ったよりも浮いた打球になった。

 飛距離も伸びる。これなら外野の頭を越す。

 武史まで帰ってくれれば二点。おそらくそれで試合は決まる。




 歓声が上がった。

 フェンスの前でレフトが、観客席を見上げている。

(あれ?)

 アレクは途中から自分の打球を見ていなかった。

 ただ目の前を走る武史が、ゆっくりとベースを回っていく。


 振り返った彼は、サムズアップした。

「入ったの?」

「入ったよ。見てなかったのか?」

 手に残るのは、これまでにない重い球の感触。

 そうか、ホームランになったのか。


 呆然としたまま、しかしさすがにベースを踏み忘れることはない。

 スコアは4-1に。これでおそらく、試合は決まった。

 ベンチに戻ってきたアレクは、そこでやっと笑顔になった。




 もう何も起こらない。起こさせない。

 九回の表、マウンドに立つ岩崎。

 大丈夫だ。ここから投げきる体力は残っている。

 残っていないなら、骨の髄から振り絞れ。


 先頭打者を三振。ここから打撃強豪の代打攻勢だ。

 一人目の代打は、セカンドゴロになった。

 二人目の代打は、コースを厳しく攻めすぎて四球を与えてしまった。

 ラストバッターにも代打だ。ここで終わらせたい。

 だがあせるな。


 ジンのリードに従って投げる。

 あちらのバッターも、最終打者にはなりたくないのか、緊張しながらバットを振っているのが分かる。

 フルカウントで追い込んで、最後の球は、アウトローへのストレート。

(球速は抑え目?)

 ジンのリードに引っかかるものはあったが、わざと打ちやすい球でつまらせようというか。

 サインのままに、コントロールには気をつけてアウトローへ。

 ゾーンに入っている。相手のバッターは見逃す。


 ああ、そうか。ここでボールになるかもしれない球は、振れないのか。. 

 球速から判断してしまえば、スライダーと錯覚する。

 いや、スライダーと思いたかったのだろう。

 見逃し三振で、ゲームセット。

 白富東は、これまた未踏の、全国ベスト4に進出した。




 テレビの前に集まって、試合見ていた春日山の選手は息をつく。

 勝ち越し点が入ったところでほぼ決まったと思っていたが、最後まで岩崎が投げきったのが偉い。

 ベスト4の三校が決まったので、ここからのくじで準決勝の相手も決まる。

 本日のハイライトを見通す中で、球場に待機させている部員の連絡を待つ。


 インタビューの後にキャプテンがクジを引くので、少しの間がある。

 その間に、春日山のキャッチャー樋口は、相性を考える。

 今日フルイニング投げたので、一日置いても準決勝で岩崎が投げてくる可能性は低い。

 先発はおそらく佐藤。そして佐藤なら、一人で一試合を投げきってしまうことも可能だろう。

(戦力評価はAだけど、佐藤が投げるならSランクと考えた方がいい)


 元気な佐藤と一試合付き合う。それならまだしも、帝都一と戦った方がいい。

 本多もすごい投手ではあるが、一試合の間に何球かは失投がある。そこを狙える。

 佐藤には、失投がない。

(あれ、でも待てよ)

 センバツで白富東が負けた試合、佐藤が失点したのは失投が原因の一つだ。

 あの時は、雨が降っていた。

(明後日の天気予報も、けっこう降水率高かったよな)

 調べてみると、50%。激しくは降らないだろうが、適度には降ってくれるかもしれない。

 こういった天運任せの時点で、戦っても厳しいとは分かっているのだが。


 白富東か、帝都一か。

 そう考えていた部員たちのスマホに一斉にメッセージが届いた。

『準決勝第一試合で大阪光陰VS白富東』

 つまり春日山の相手は、順当にいったら帝都一か。


 樋口にとっては、まだしも戦いやすい相手だ。

「大阪光陰とは決勝か」

「今度こそ去年の雪辱を果たす!」

「今度こそ日本一だ!」


 春日山にとってみれば、大阪光陰は最大の壁だ。

 去年の夏のみならず、その前の春も決勝で敗れている。

 今年の春は当たる前に負けてしまったが、大阪光陰はここまで春夏春と、全国制覇を三連続で成し遂げている。

 これは今までの歴史で、大阪光陰のみが成し遂げた記録であり、よって今年の大阪光陰が史上最強チームと言われる理由でもある。




 そんな燃えている先輩たちを横目に、樋口は考えていた。

 これは、千載一遇のチャンスなのでは?

 一回戦で、一年坊の真田のピッチングを見た時、また今年も大阪光陰か、と諦めかけたのは確かである。

 樋口の分析は的確すぎるがゆえに、チーム力の差を明らかにしてしまうのだ。

 神奈川湘南という同じSランクのチームを相手に、完封したような一年がいるのだ。

 トラも二年生にして150kmを投げる超高校級の投手ではあるが、大阪光陰の150km継投は反則すぎる。


 しかし、白富東はイレギュラー的な強さの方向性を持っている。

 切れ目のない打線と言われる大阪光陰だが、初戦の神奈川湘南との試合では二点しか取れなかった。

 そして150km継投と言っても、白石大介はホームランを打てる。

 去年の夏、天下無双の上杉勝也のストレートに、あれだけ反応したのだ。

 間近で見た樋口が断言する。白石大介は去年の時点で、日本の高校生では最高のバッターだった。

 白富東の首脳陣が白石を上手く使えれば、大阪光陰のチート継投からでも、最低一点は取れるだろう。

 そして佐藤が完封する。


 大阪光陰を全力で叩いて、その疲れが残っている状態で決勝に進んでくる。

 それが春日山が優勝出来る、一番高い可能性ではないか?

 まあその前に、準決勝の帝都一との戦いも、かなりシビアな戦いにはなるのだろうが。

 戦力に余裕があまりないのは、こちらも同じことだ。


 今のところは本庄の頑張りと、樋口のリードのおかげで、トラの疲労度はそれほどでもない。

 だが帝都一相手に本庄を先発というのは無茶だ。トラに最後まで投げてもらうしかない。

(いっそ俺が白富東のキャッチャーをやってたらな)

 ふとそんなことを考えてしまうのは、去年の夏、あの佐藤をリードしてしまったからだ。

 決められた球種を、決められたコースへ、決められた速度で投げる。

 データが頭の中にあったとはいえ、自軍のレギュラーが面白いように凡退した。

 あのピッチャーと組んでいるのだから、白富東のキャッチャーは幸せである。


 それに白富東は、選手の平均値は地方予選の強豪程度であるが、突出した能力の持ち主がいる。

 佐藤と白石はもちろんだが、150kmを投げた佐藤の弟と、外国からの助っ人は、全国レベルでも上位だろう。それに今日、岩崎の名前が加わった。

(少なくとも投手はうちより揃ってるんだよなあ)

 そこが一番うらやましい。

 トラを全力で一試合投げさせても、次の試合をどうにか休ませられる控え。

 そんな余裕は春日山にはない。

(佐藤と白石が揃ってるだけで、充分すぎるだろ)

 とは思ってみても、現状が変わるわけではない。


 帝都一をまずは超える。

 そのための対策を、盛り上がってる他の部員をよそに、樋口は考えるのであった。




 宿に戻るバスの中で、白富東のメンバーは静かであった。

 普段は軽口を叩くことのある大介も無言であるし、あまり喋らない直史も考え込んでいる。

 大阪光陰。

 春からずっと、最終的な仮想敵であった。

 三期連続優勝の、間違いなく今年も優勝候補筆頭の、史上最強かもしれないとさえ言われているチーム。

 ジンが考えるのはまず、どうやって相手の打線を封じるかだ。


 そして大介が考えるのは、どうやって自分とまともに勝負させるかだ。

 ストライクゾーンにさえ入ってくれれば、緩急差をつけても打てることは打てる。

 だがホームランにまですることは難しい。

 前の塁が全て埋まってたら勝負せざるをえないとは思うが、さすがにそんな状況に持ち込むのは難しいだろう。


 己が歩かせられない場合。もしくは――。

「一番に白石君というのも、ありかもしれませんね」

 セイバーがそう言葉を発した。

「九番に佐藤君を置いておけば、塁にいる可能性があります。あとは敬遠気味に勝負を避けられた白石君を、後続が全力でホームに帰す」

 どうやら計算上は、それが一番確率は高いらしい。


 しかし150kmだ。

 勇名館の吉村と比較しても、そうそう打線がつながるとは思えない。

 春季大会で本多と対戦したときも、きっちりと打っていけたのは大介だけだった。

 大介に最も打席が多く回ってきて、それをきっちりと帰せる可能性が高い打者を後ろに置く。

 しかしピッチャーの投げる150kmにちゃんと対応出来るのは、他にはアレクぐらいだろう。


 一番ショート白石。

 聞いただけでぞくぞくとする打順であるが、塁に出た大介を他の打者で帰せるのか。

 それに大介だって、10割を打てるというわけではない。三里の星と対戦した時は、凡退したこともある。この甲子園でも、150km以下の投手でも彼を打ち取ったことはあるのだ。

「去年の決勝よりは、大阪光陰には不利ですね」

 セイバーが付け加えた。

 去年の甲子園決勝。大阪光陰は春日山と対決した。

 正直に感じたまま言うと、ルールのおかげで勝てたようなものだ。あれが決勝以外なら、タイブレークの導入で春日山が先に点を取っていた可能性は極めて高い。

 決勝でタイブレークがなかったため、大阪光陰の投手はヒットを打たれても、散発となり得点につながらなかった。

 そして投球数制限がなければ、上杉の無失点記録はどんどんと伸び続けただろう。


 この試合は準決勝。13回からはタイブレークが適用される。

 直史がランナーを出さなければ、誰かがヒットを打ってくれる。そして一本のヒットで得点になる可能性が高い。


 直史の投球数が500球を超える可能性は0だ。直史が12回までを完封して、13回以降をノーノーに抑えれば、勝てる。

 最後の最後では自分を信じる直史であるが、それでも一点を取るには、誰かに頼るしかない。

 相手がどう継投してくるのかは分からないが、タイブレークの状況からなら、ヒットが期待出来るバッターはいる。

(それこそアレクをベンチにしておいて代打に……は、さすがに守備が危険か)

 限りなく自己本位。

 直史の思考は、勝つためだけに向けられていた。




 この日の第四試合で帝都一が勝利し、準決勝は白富東と大阪光陰、春日山と帝都一で争われることとなった。

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