三宝寺池の鏡
真堂 美木 (しんどう みき)
第1話 スイレンの雫
池のスイレンに小さな雨粒が落ちるのを眺めているとまるでモノクロの映画を見ている気分になってくる。6月とはいってもまだ梅雨には入っておらず早朝の公園内の空気は清々しいものだった。先ほどから降り出した雨粒は朝露と間違えてしまう程度のもので何か神秘的な世界観を漂わせている。
私がこの公園に初めて訪れたのは桜の花びらが舞う頃だった。なぜだか懐かしい気がして一緒に来た母に尋ねたが「似た公園でもあったんじゃあないの」と軽くあしらわれてしまった。この街での母との生活は始まったばかりで、まだ心を許せる友のいない私はあの日以来一人でこの公園を散策するのが息抜きになっていた。
いや、本当のところを言うと引っ越し前から友人は少なかった。
幼いころから自分はほかの人と感覚みたいなものがずれている気がしていた。周りのみんなが喜んだり悲しんだりしていてもその感情の中に心から入っていくことができなかった。きっと自分には何かが欠けているのだろう。そう、共感という感情が。
園内は想像以上に広くこの池にたどり着いたのは今日が初めてだった。池に浮かぶ濃い緑の葉とそのはかなげな白い花が雨粒を纏う様子は私を現実世界から幻の世界へ誘うような魅力を持っていた。
かなりの時間をその景色にとらわれていた気がするが雨脚が強まってきたことに気付き写真だけ撮ってから帰ろうとする。だが、慌てたのがまずかった。スマホが滑って左の手のひらから離れ池の中に落ちそうになる。咄嗟に自分も落ちてしまうのではないかというほどに身を柵から乗り出して何とかつかみとる。同時にスイレンの隙間に浮いている円形の鏡が目に入った。
その鏡は古い時代の品のようで縁は銀色の精巧な細工が施されている。鏡をのぞき込むと自分の顔が映ったような気がした。頭の中に「やっと会えた」と声が響いた。その声も自分の声のような気がした。自分と同じ顔の瞳に吸い込まれるように私の意識は記憶のトンネルをくぐっていく。
これが走馬灯というやつか。やっぱり池に落ちてしまったのか。お母さんごめんねという言葉が脳裏をよぎるが、その映像は自分の記憶ではないとすぐに確信する。時代がかなり古いのだ。遠い遠い昔の物語を見ている気がする。
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