90-2 隠せない好奇心

 

 


  救済者でもなければ偽善者でもない。

 スヴェンにはその言葉がやけに耳に残った。


 スヴェンの知るリズエッタはいつだって自分中心で他者に目を向ける事はあまりない。けれどもこうもあっさりと他人を切り捨てる人間であるとは考えてはいなかったのだ。

 孤児や亜人に実験的な行動を示していた事は勿論知っていたが、それは後ろ盾のないものだからできた所業。ホアンのように街に根付いている人間に、それも簡単に足のつくような人間を相手にするとはスヴェンは思っていなかった。


 話を聞くに何故そうなってしまったかは理解する事はできたが、だがそれでも助ける理由には欠ける。そして何より態々醜態を晒す薬師にさらなる餌を撒くわけにはいかない。

 ここは誰かの命がかかっていてもそれを回避するのが正解だ、とスヴェンは頭では理解していた。


 然し乍ら心の奥底である好奇心が疼いてしまった。


 本当にそれが実現出来るのか、と。

 試してみたいと。


 台所で鼻歌を歌うリズエッタを見ながら、スヴェンの良心には何かが突き刺さってしまったのである。




 翌る日スヴェンはその好奇心に耐えられず、一つの考えを導き出した。

 要はリズエッタがやったとバレなければいい、ホアンと接触させなければいい。俺ならば商人故に視点を逸らすことが出来ると安易に考え、瓶を掴み取った。それが大それたものだとわからないように自分が売りさばいている食品と同じ籠に詰め、寝ているリズエッタを一人残し家を出る。

 以前の面接でホアンの家を把握していたためまっすぐ向かう事は容易かったが、阿呆な事をしでかした薬師になんらかの圧をかけなければならない。そのためニコラの家に立寄り、どうにかならないかと相談を持ちかけたのである。


「ーー若造どもがそんな事を。直ぐに対処は出来ないが私の方からもホアンに話を聞いておこう」

「ニコラさんはホアンをご存知で?」

「私だって薬師だ、その娘を知っている。 そしてその病も、治す方法がない事も、な」


 眉間に皺を寄せ深く息を吐くニコラは、目を閉じながら言葉を続けた。


「……あの娘の病は三大疫病の一つ、石死病と云う医師にも薬師にも治せない病だ。 決してあの小娘の薬草でどうとなるものではない。 それは薬師をしているものなら知ってて当たり前の常識だと云うのに、それを治るなどと全く酷な事をしてくれる」

「ーーーー治ることが、ない?」

「嗚呼そうだ、治せるとした神ぐらいだっ!」


 悪態をつき項垂れニコラの言葉に、スヴェンは思わず拳を強く握る。

 そして同時にそれすら治してしまえるとしたら神の所業ともいえるのではないかと、思わず唾を飲み込んだ。


 もし仮にどんな奇病も治せるとしたら難病も治せるとしたら、この先どんな事が起こっても怖くない。

 旅の最中に病に倒れる事も、毒に侵されて死ぬ事もないく五体満足で、安心で安全な生活が保障されているようなものだ。


 試しておきたい。それが非道な事だとしても。

 明らかにしておきたい。リズエッタの力を。


 いつの間にかリズエッタの思考に染められていたのか、はたまた人のしての欲が出たのか定かではないが、スヴェンはただ溢れ出る高揚感を抑え込み、ニコラに薬師の後始末を頼み込んだ。




 それからスヴェンは一度市場により、果実や酒、栄養がありそうな食材を二、三買い込みホアンの家へと足を向ける。

 いうなればそれは見舞いの品なのだが、正確にはリズエッタが作ったのもを隠すためのカモフラージュ。これで治ったと思わせない為の品である。


 市場から離れ路地を進み、行き着いたのはあまり綺麗と言えない一軒家。スヴェンは立て付けの悪そうな扉を三度叩き、そして室内へと足を踏み入れた。


 室内は思いのほか整理整頓されていて、埃もあまり落ちていない。目の前にはテーブルに頭つけているホアンの姿が見えたが、その目は赤く腫れ上がっているのがみてとれる。

 そっと近づき方を叩くと、ホアンは呻きながらも目を覚ました。


「ーーんだ、あんさんか。 何の用だ?」

「うちのリズエッタの所為で迷惑かけたみたいだからな、見舞いに、な」


 見舞い品が入った籠をホアンの目の前に置き、スヴェンは対面に腰をかける。そして悪かったなと小さく謝罪を述べた。


「あんたの娘の事情は聞いたが、アイツの薬草で病は治らない。 期待させて悪かった」

「……いんや。 あの子に縋り付いたおれが悪い。 ーー昨日三人も来てな、何べんも謝られた。 分かってたのに、縋ったおれが悪かったんだぁ」


 誰も悪くないと肩を落とすホアンの瞳は真っ黒に染められており、それはまるで絶望を模した色のようであった。

 スヴェンはその瞳を見て自分がしようとしている事がどんなに非道なことかと、胸を締め付けられる思いだった。


 いっそ治せる薬だと言ってしまおうか。

 これを飲めば大丈夫だと渡してしまおうか。


 本当に治るのかも分からず、その後の事など何も考えず、同情心に任せて預けてしまえればどんなに楽なことか。


 けれどもそうしてしまえば今度は薬師だけではなく怪我人も病人も、数多くの人がこれを求めてスヴェンの元へと訪れるだろう。そうなればきっと勘の良い奴はリズエッタの存在に気づく。気づいてしまう。

 リズエッタの作る保存食を需要としている領主には確実にリズエッタが作ったと感づかれる。


 それだけは避けなければならない。


 好奇心に踊らされたことを後悔し下唇を噛めば、僅かに血の味がした。


「ーーいきなり来て悪かったな。 これはあんたらで食ってくれ。 なるべく栄養のあるものを市で選んだつもりだ、果物と飲みもんなら娘さんも口にできるだろう」

「悪りぃなぁ。 助かる」


 笑顔にならない引きつった顔をホアンは浮かべ、スヴェンはそれを見ずに背を向けた。

 もしホアンが娘にリズエッタのジュースを飲ませれば治る可能性はあるだろう。だがそれを示唆することはない。

 あくまでも、そうあくまでも。

 なんらかの原因で病が治ったのならば、それはそれでよかったではないか。


 なぜ治ったかは分からなくても、解明できなくても。

 それはスヴェンもリズエッタのも知る由のない出来事だと思わせればいい。


「じゃあ、またな」


 背を向けて手を振り、スヴェンは一人外へ出る。


 この行動がもたらした結果なんて、わざわざ聞きに来ることはない。

 どんな情報であれ不治の病が治れば噂にはなるだろうと、スヴェンはいずれ来る噂に耳を傾ける事となったのである。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る