46 今更じゃない


 



 もしも誰かにお前の嫌いものはなんだと問われたのならば、私は声を張り上げ、喉が掠れるほどの大声で叫びたい。


 私の幸せを邪魔するものだ、と。


 私を不幸にするのならば相手の感情など心情など知ったこっちゃない。

 傷つき砕け、恥を晒し憐れみの目で見られようとも、それがお前がしてきたことの結果だと私は笑ってやる。

 私は、私の考えで、意思で生きていくのだ。他人の言葉に常識に、従ってやる気なんてさらさらない。


 私はそんな決意を胸に、家を出る準備を始めたのであった。


 家を出る為に鞄に詰め込まれた私の私物はそれほど多くはなく、スヴェンの荷馬車の場所をとることはない。それになにより必要なものは庭に置いときゃどうにかなるのだ、一々鞄に詰めるのも馬鹿らしいし、ほとんどは庭に置きっぱなしだ。


 スヴェンと祖父と話し合い、あれから一週間経った今日、私はこの家を出る事になったのである。


「そんで、君らに問う。 パメラ、シャンタル、君達はどう生きる事を望む?」


 庭には私とレド、パメラとシャンタルのみしか存在しておらず、仁王立した私はじっと彼女達を見つめた。

 私の中では既に彼女らが選ぶ道は決まっているのだが、念の為、二人の意思を聞く事にしたのである。

 私の言葉に二人は真剣な顔つきで見つめ合い、そして意思を固めたように頷き、そして開かれた唇からは私の望んでいた言葉が返ってきたのであった。


「貴女を、貴女達を信用しきったわけでは決してないけれど、私達は此処に残りたい」


「もうあんなひもじい思いはしたくない。

 だから、だから私達はお前に従おう」


 嫌だけどと小声でシャンタルが呟いた言葉は聞こえなかったふりをし、私は両手を出して二人に握手を求めた。

 何が何だかわからない二人は差し出された手をまじまじと見つめ、そして意を決したように、勢いをつけて、私に抱きついてきたのである。


「へ?」


「な、なにをお嬢にしてるんだっ!」


 ほうけた表情をしている私からレドは二人を引き離し、二人は不満げに口をすぼめ、私の意思に従っただと言ったのだ。


「両手を広げると言うのは抱きしめろと言うことだろ?」


「レドもよくそうやってお嬢を抱っこしているではないですか」


 そう言われてみれば確かにそうだ。

 私はレドに肩車して欲しい時に両手を前に出し、またレドのモフモフを堪能したい時も両手を広げる。

 つまりは私の日頃の行いのせいでこの二人は誤った認識をしていたのだろう。

 となると彼女たちがした事は間違いはないとしか言えない。


 それなら、私がするべき事はただ一つ。


「パメラ、シャンタル」


 自分の背丈より大きな二人に抱きつき、そしてその柔らかな胸に顔を埋めにへらと子供らしく笑いかけた。

 私のその笑顔に二人はキョトンとした顔をし、そして私の体を優しく抱きしめた。


「ーーこれから宜しく頼むよ。 君らは貴重な戦力なのだから」


 私が幸せになる為の、レドが幸せになる為の大事な働き手。

 そして、二人が幸せになる為の大事な取り決めなのだから。


「ーーそれじゃあ、レド。 ちょくちょく来るけど、此処の管理はレドに任せるよ。 今度こそ、宜しくね」


「ーーわかりやした」


 少し拗ねたように尻尾を揺らすレドに抱きつき頭の柔らかな毛を撫でてやれば、目を細め気持ちよさそうに、でも何処か不安げに、私の言葉に頷いた。


 美女二人と可愛い愛犬を愛で癒され、私は向かうべき場所へ向かったのである。



 私が今日しなければならないのはラルスへの拒絶。

 ただ、それだけ。


 エスターに足を踏み入れた時感じるのは、やはり村人たちの生ぬるい視線。そして人の気など知らずに祝福する声。

 目の前にいるラルスに至っては歓喜あまったような顔で私に声をかけくる。


「話を聞いて」


 たった一言呟くも、ラルスにも村人にもその声が届く事はなく自分勝手に話を進め、死んだ魚のように冷たい私の瞳に気づく事はない。

 婚姻の儀はどうしようか、どの様な花嫁衣装がいいか、いつ式を挙げようかと。


「話を、きいて」


「嗚呼、リズエッタ。 心配しないでくれ、君は家で織物をしていてくれればいい。 他は全て俺がやろう、君は隣で笑っていてくれればいいんだ」


 彼らの中では私がラルスに嫁ぐのは当たり前で、家の中で大人しく、此処にすむ女たちの様に織物を仕事とし、愛する夫の帰りを待つ、そんな考えなのだろう。

 伸ばされたラルスの腕は私に向かって伸び、その指は頬の輪郭を撫でる。

 気色悪いその笑顔が、どうしようもなくいやらしい。


「話を、きけ」


 仏の顔も三度まで。

 話を聞かない、否、聞こうとしない輩に私は三度も話を聞けと呼びかけ催促した。

 けれども彼らは聞き耳など持ちやしない。

 ならばもう、私だって聞く耳など持ってやらない。


「ーーーー私、もうエスターには来ない」


「……リズエッタ? 何をーー」


「もうエスターになんか来ないし、お前の顔を見たくない。声も聞きたくない、姿も見たくない、触れて欲しくない、名前を呼ばれただけでも反吐が出る。嫌いなんてもんじゃない、存在すら否定する。目障りだ、もう二度と、お前のいるエスターになんか戻るものか」


 ラルスだけじゃない、勝手決めつけて勝手に私の幸せを壊しにかかるこんな村になんて戻る気もない。

 頬を撫でる手を払いのけ唾を吐き、軽蔑し、見下すような目でラルスと村人を流し見た。

 周りにいた村人は何を言っているだと怒り出すものもいたが、殆どものは唖然と私を見るだけで、普段は礼儀正しい私の変わり様に驚いているのだろう。


「それに私の幸せは私が決めて、私が作り上げていくんだ。なんで赤の他人に決めつけられなきゃならない。あんたらにとってラルスが好物件かも知れないけど、私から見れば最低最悪の物件だっつーの! 何で私の話聞かない奴の嫁に行くのが幸せなの? 私に感情なんてない人形になれって言うの? 何で嫌いな奴の嫁に行って、出来ない仕事やらされて、嫌いな男に犯され子供なんて作んなきゃいけないんだよ。 それが女の幸せならテメェらの娘を差し出しゃいいだろうが、クソどもめ」


「リズエッタ、待ってくれ。 何で今更そんな事ーー」


「今更ぁ? 私は今までお前の嫁にならねぇって言ってきたじゃねぇかよ、都合よく聞こえない耳なんて切り落としちまえ。 それに私がお前の話なんて聞くと思う? 今日だって三回も話を聞けと言ったのに勝手に話を進めてたじゃないか、それなのに私に黙れと? 巫山戯んなよ、私の意見なんて聞かずに嫁になれと? テメェが死んでから言え」


 聞こえない聞こえないと耳を塞ぎ、暴言をだけを続けてそしてまた唾を吐いた。


「お前の嫁なんて死んでも嫌だ。お前は、ここの住人はお前の幸せだけを考えて私の幸せなんて願っちゃいない。 そんなとこに嫁いで幸せとか笑わせんな。私はもう此処には戻らない、死んで死体になっても戻ってきてやるものか。 お前達は私を苦しめ不幸にする。 お前らなんて大っ嫌いだ!」


 ぺッと三度めの唾を吐き、眉間に皺を寄せ汚いものを見る様な目でラルスを最後見て四度めの唾を吐く。


「お前、気持ち悪いんだよ」


 それは、最後の最後に私がラルスに向けた、心のこもった言葉だった。



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