36-1 神よ!



 




 色鮮やかに彩られ、香ばしい香りを放つ料理の数々に私は顔をひきつらせた。


 目の前にいる領主はさも当たり前のように肉にナイフを入れるとひとくち大の肉をフォークで頬張り、咀嚼し飲み込む。

 その動作に迷いもためらいも見られなかったが、私は領主のように滑らかに動く事は出来ないだろう。


 ぶ厚いステーキは味覚が狂ってしまうのではないかと心配するほどに胡椒が振られ、緑や黄色、赤で彩られた豆のサラダには甘いドレッシングがかけられている。


 美味しく感じる甘さではなく、クドさを感じる甘さだ。


 それに私がいつも食べているものとは違いレタスやキャベツといった葉菜類は少なく豆ばかりで、何処か物足りなく感じてしまう。


 口の中の違和感を拭おうと林檎で作られたジュースを口にするもそれも甘く、一番美味しく感じられたのはレモンのような柑橘系の果汁が入った水でうっかりため息が出そうになった。


「ーー口に合わなかったかね?」


 険しい顔をしているのだろう私に領主はそう尋ね、その言葉に私は出来るだけ明るい笑顔でとても美味しいですとお世辞で返した。

 隣にいるスヴェンにも美味しいねと声をかければ、引きつった顔で頷き美味しいですと全く同じ言葉を放ち、本心クソ不味いとか味が濃すぎだとか思っているのは私にもわかる事だが、敢えて口に出さないのは自身の立場故なのだろう。


 流石の私でもこの場で一番偉いのは領主であり、その領主から誘われた昼食を貶せるほどの地位に私達がいないという事はきちんと心得ている。



 地獄のような食事を終えると案内されたのはとても綺麗な客室で、どうやら領主は私達をこの屋敷に宿泊させる気でいる事が窺える。良い取引相手として引き止めておきたい気持ちと、長旅を労う気持ちから用意された客室なのだろう。



 隣にいるスヴェンの顔を確認すると大人しく厚意を受け取れといっている様にみえ、私は大人しくその部屋の中へ入った。

 一礼して退がる従者に私も頭を下げ、扉がしまったのを確認した所でベッドにダイブする。

 ふかふかの布団にふかふかの枕。懐かしき記憶の片隅にある寝心地のいい寝具にとても良く似ていた。


 別に家にある寝具が気に入らないわけではなく、十二歳まで慣れ親しんだぺったんこの寝具も中々気に入ってはいるが、やはりふかふかの体を包み込む寝具に埋もれて寝たいという気持ちはあるのである。


「ふぁぁあーーーーゲプ」


 ふわふわの布団に埋もれているとやはり旅の疲れが出たのか睡魔が私を襲った。けれどもうとうと船をこぐと同時に、腹の湧き上がった空気が口から音を立てて漏れる。


 それは先ほどまでの地獄の食事の最中に無理矢理飲み込んだ空気の一部であり、私の眠気は虚しくも消え、どうしようもない苦しみを生み出した。


 今寝たら起きた時にまたあの地獄が始まる。そして明日の朝も、否、ここに留まっている間ずっと地獄は続く。


 ウチのご飯が恋しい。コメを食べたい。醤油、味噌を食べたい。薄味のスープが飲みたい。しょっぱいドレッシングのサラダが食べたい。家に、庭に帰りたい。

 嗚呼、家に帰りたい。


 祖父を恋しがるわけではなく飯を恋しがっているが、ホームシックに似た現象なのだろう。

 体に見合わない精神を持っている私でもどうしようもなく家へ帰りたくなり、それでも帰れない葛藤。どうしようもない苛立ちを込めてふかふかの枕をぎゅっと抱きしめ、珍しく溢れ出した涙を拭った。


「……不味いご飯はイヤだ」


 声に出してしまうほど私のお腹はアノ食事に対して拒絶反応を示しているが、ふとある一種の記憶が蘇る。

 それはイチゴジャムが入ったピンク色をしたシチューであったり大量のビールとコーラで煮込まれた鶏肉だったり、シーフードカレーという名をつけたくさやカレーだったりプリンに似たクソ甘ゼリーだったり、エトセトラ。思い返してみれば以前私が作ってしまっていた口にするのもおぞましい料理の数々からすればまだ食べられるだけマシなのかもしれない。

 何故こんな時に不味い料理の数々を思い出してしまったのかと悔しく思うが、その記憶のせいで尚更美味しい料理が食べたくなってしまった。


「ご飯ご飯ご飯ご飯ご飯! お家にかえりたいぃぃい!」


 大きなベッドが軋んでしまうのではないと思う程暴れ、拳を何度も振り下ろし、私は枕に顔を埋めて美味しいご飯が食べたいと叫んだ。

 たったそれだけの行為で憂鬱な気持ちが晴れることはなかったが、致し方なしにベッドから飛び降り部屋をグルリと見渡した。


 寝ても地獄、起きても地獄ならば今後見ることないだろうこの客間を物色する事に集中するとしよう。

 領主の屋敷の一室だ、私の知り得ない家具や道具があるかもしれない。

 ほんの僅かな好奇心だけを心の支えとし、私は手始めにと設備されていたクローゼットを開く。


 もしかしたらとんでも魔道具があるかもしれない、もしかしたら青狸が出てくるかもしれないと、本当に気休めになる物はないかと考えたのだ。


「ーーーーへ?」


「な、な、なんで!」


 そしてその結果どうなったかおわかりだろうか?


 私の目の前には家に残してきたレドが居るではないか。

 夢でも見て居るのかと頬をつねってみるも痛みを感じ、そしてゆっくりとクローゼットの扉を閉じる。

 少し扉から下がり上から下まで観察してみるとそこにあったのは造りの立派なただのクローゼット。

 意を決してもう一度扉を開くとそこにはまたレドがいる。


「ア、ハハハーー。 おぉ神よ!」


 貴方に感謝します。

 そう述べ祈りを捧げ目の前のレドに抱きつき、その背中の籠に入れられていた林檎を奪い齧りついた。


「お嬢、いつの間に帰ってきたんです? むしろそんなところに扉なんてありやしたか?」


「いやぁ、全ては神のお導きだよ」


 美味しいご飯が食べたいと願ったからクローゼットは庭につながったのだ、きっとそうに違いない。

 林檎を齧りながら一度クローゼットをでて、今度は廊下に出る扉に手をかけ願う。


 庭に繋げ、庭に繋げ、庭に繋げと。


 そうして扉を開けば又してもレドは目の前にいて唖然とした顔を私に見せた。

 何度も何度も他の扉で試してみたが何れも庭につながり、願うのを止めれば普通に屋敷の扉としての役割を果たす。

 どのような原理が発動したかは知らないが、此れならば何れだけ旅をしてもメシマズな場所にいても美味しいご飯は無限に手に入れられる。

 それにきっとこの扉も庭に続く木の根元と同じように、私の許可なしでは入ることのできないものなのだろう。

 私がここの扉からこの屋敷に入るとどうも庭の扉は消えて無くなるらしいし、きっとそうに違いない。


「取り敢えずスヴェンにも話しておこう。 そうすれば色々と商売し易くなるだろうしね!」


 今度は新しい住人も連れてくるよとレドに伝え、私は屋敷の客室に戻るとスヴェンの元へ向かったのである。




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