第9話 絶対王者は呼ばれたい①

 絶対王者こと、冠城侑李には夢があった。


『ねぇ母さん! 聞いて聞いて!!』


 ──んんっ……、夢、か?


 目が覚めると、なにやら嬉しそうに跳ねる小学生の頃の侑李と両親の家のリビングにいるのが見えた。

 じゃあ、その場にいる自分は何者なのか? どこから彼らを見ていたのか? 

 そんな疑問をそっちのけで、侑李は彼らの会話に耳を傾けた。


『ふふっ、どうしたの?』

『算数教えた友達がね、塾のテストで百点取ったんだよ! 僕と一緒!!』


 ──あー、思い出した。その頃から僕は、誰かに勉強を教えたくて先生になったっけな……。


 勉強を教えた友達の成績が伸びて喜ぶ当時の侑李の頭を優しく撫でて、母は屈託の無い笑顔で言った。


『凄いじゃん! さすが侑李だね!!』


 ──先生……。懐かしいな、その響き……。


『先生と名乗りたくば、まずは名門の私立中学に受かれるくらい自分の勉強を精々頑張るんだな』


 母の言葉に反応し、当時に高校教師を務めていた父は新聞を見ながら言う。


『……うん』

『ちょっとあなた、そんなに厳しく言わなくても──』

『ふんっ、侑李などまだ早いわ』


 侑李に厳しく、その厳しさ故に自分を強くしてくれた父が漏らした『先生』という言葉も今は懐かしく──


 ──父さん、母さん……。今の僕は、立派な『先生』になれるかな?


 自然と目頭が熱くなり、侑李は鼻をすすった。


『わかった。僕、ぜったいに父さんよりもすごい先生になる!』


 これが、当時から今までの間、長年抱いていた夢であった。


『……そうか』


 そんな一面を、いわゆる神視点で眺めていた今だからだろうか。


『父さん、とは言ってくれないんだな』


 ボソリと、誰にも聞こえない声で呟く当時の父の声が聞こえた。

 あまりにも寂しげな声に、喉の奥が少し痛むが──


 ──ごめん、父さん。でも、やっぱり僕は父さんよりも凄い先生になるよ。


 侑李のこの決意は、決して自分に厳しかった父への嫌忌の表れではない。自分らしい教師像を描きたい、けれども父よりも多くの生徒を導く存在になりたい、という意志の表れだった。


 …………………………………………………

 ……………………………………………

 ………………………………………


「──やっぱり、夢か……」


 朝。侑李はベッドから身体を起こし、目元についた水粒みつぼを拭った。


 普段から朝には弱いタイプの侑李だが、今日は身体が一段と軽い様子。

 侑李は背筋を伸ばすこと無くベッドから降り、軽快な足取りで一階のキッチンへ向かった。



 〇



「おじさん、桃香ももか、朝ごはんできたぞ」


 キッチンから侑李は二階に向かって声を上げた。

 身につけているのはエプロン。実は彼、三食の料理はおろか、洗濯や掃除もこなす家事のエキスパートでもあるのだ。


「ほら、おじさん起きて」

「ん~だよぉ~、こっちは眠いんだよぉ~」

「寝るなら食べてからにしてくれ」


 ボサボサな金髪の初老過ぎ男は、子どものように唸りながら布団にしがみつく。

 妹の桃香はすぐに現れるのに、叔父おじは食卓に姿を見せない。そんな彼を二階から起こしにいくのが、侑李の日課である。


 侑李は中学の頃に両親を不慮の事故で亡くし、父の姉にあたる叔母の家に預かられたのだ。

 そんな彼の日常は、仕事で単身赴任中の叔母に代わって家事全般をこなすこと。

 もちろん、家事の合間を縫って欠かさず英単語帳を開く。さすがは絶対王者だ。


 そんな彼には一つ、学校の先生になる以外の大きな目標があった。


 それこそが、身寄りを失った自分たちを預かってくれたことへの感謝を示すため、これ以上の負担をかけさせまいとするために『大学の授業料全額免除』が約束された学校長推薦を受けることであった。


 そしてその目標こそが、彼が絶対王者で有り続ける原動力の一つでもあるのだ。


「……ったく、いつになったら朝に一人で起きるんだか」

「おはよう兄さん、朝から大変そうだね」


 ベッドから出てこない叔父を諦めてリビングに戻ると、妹(元は従妹じゅうまい)の桃香が優しい声で労わってくれた。


 触ると指通りが良さそうな程、整った綺麗な黒髪のショートボブが特徴で、千尋と同じ制服を身にまとい、その下には白のカーディガンと、これまた千尋と同じ水色のリボンを付けている。

 すなわち彼女は千尋の同級生で、文武両道の完璧才媛さいえん

 そのため同級生からは『学年一の才女』『絶対女王』と呼ばれ、慕われている。ちなみに非公式のファンクラブも存在するとのこと。

 しかも学業におけるスペックは、絶対王者の侑李をも凌ぐ。


「あぁ、おはよう桃香。相変わらず早いな」

「だって私のいつも通りだからね。六時半に兄さんの挽くコーヒーの香りで目を覚まして、兄さんの呼ぶ声がするまでに身支度を済ませて、七時に兄さんの美味しい朝食をいただく。──この『いつも通り』、兄さんのおかげだよ♪」

「そうか、そう言われると毎日頑張れそうだ」


 ハハッと爽やかに笑う侑李。けれど心の中では──


(あぁぁぁ! 好き!! 神か? 朝から神なのか?? 僕だって桃香が優雅な朝を迎えるため、6時半に美味しくて香ばしいコーヒーを挽いてるし、朝から桃香神の可愛い笑顔を拝むために朝食を懸命に作ってると言っても過言ではない!!)


「うん、今日も兄さんの作る卵焼きが美味しいよ〜」


(はい、いただきましたぁ! 桃香のとろける表情!! 今日もありがとうございます!!)


 溢れんばかりの愛を必死に抑えていた。

 ちなみにこれはまだ序の口だが、この先はコンプラ的にアウトな可能性があるので披露することはないだろう。たぶん。



「それじゃあ、先に行くよ」


 桃香より先に朝食を終え、侑李はリビングから玄関へ向かう。


「今日も学校で放課後の準備?」


 この言葉からわかるように、桃香は侑李が放課後、歳下の後輩に勉強を教えているのを知っている。ちなみに生徒が誰かは知らない。


「あぁ、立派な教師になるためだ。準備を怠らずにスムーズな授業をしたいからな」


(それに茨木、真面目すぎるから手抜くとマジでキレるんだよな……)


「そっか、頑張ってね!!」


 侑李の背中に向かって、桃香は純粋無垢な笑顔で言った。


「侑李

「……あぁ、ありがと」


(侑李先生、か)


 嬉しいような、少し気恥ずかしいような気持ちに駆られた侑李。振り返ることなくリビングの扉を開けて、


「それじゃあ、行ってきます」


 再び桃香の方を振り返ってはにかんだ。


 侑李がどれほど先生らしく振る舞えているのかはわからない。

 だけど生徒のために頑張る侑李の姿は、桃香にとっては立派な先生像に見えたようで。


「いってらっしゃい、兄さん」


 そんな彼の、今まで見たどの先生よりも真っ直ぐ整った大きな背中を、桃香は微笑みながら見送った。


(あー、もう最高。死んでもいい……)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る