第113話 駄目父の決着と今日一番のご褒美
愛紗は幼い頃の自分の写真を見て首を傾げる。
「……どこで、この写真を?」
「愛菜が送ってくれたんだよ……元妻にバレないようこっそりとね。彼女も看護学校に行き始めた頃だろうか……理由はわからないけど、弁護士を通して唯一この写真だけ送ってくれたんだ。きっとあまりにも可愛かったからだろうね……」
母親である愛菜さんは、まだ直樹さんが好きだと語っていた。
もう寄りを戻す気はない様子だけど、心のどこかでは直樹さんに父親として自覚してほしいと願ったのかもしれない。
そしてようやく自覚した頃には、真っ黒な犯罪者か……。
経緯はどうあれ、遅すぎるったらありゃしない。
「そうですか……それで?」
「この写真を思い出したのは、ようやく借金を返済して自分の荷物を整理していた時だ。ふと出てきてね……それまで、ずっと心の隅に追いやっていた心の霧が一気に晴れた気持ちになったんだよ。それで組織を抜ける決意をしたんだ。そして一目で良いから、今のキミの姿を見たかった」
「……どこまでも自己中心的なんですね」
「返す言葉もない……いやその資格すらない。けど、そんな私のエゴに愛菜は了承し、キミもこうして会いに来てくれた……愛菜はきっと私に潔く自首させようと配慮してくれたんだろうね……それでも嬉しいことに変わりない」
「お母さんはどういう気持ちかは知りません。けど、わたしは何度も言っている通り、彼が……サキくんが傍にいてくれるからです。それに……」
「それに?」
直樹さんが聞き返すと、愛紗は俯いていた顔を上げる。
「――お父さんに、今のわたしを見て欲しかったから」
真剣な表情で、じっと直樹さんの瞳を見つめた。
気持ちが溢れ、彼女の大きな黒瞳から雫が頬を伝って流れ落ちる。
「愛紗……」
「今のわたしは幸せで毎日が楽しいって胸を張って言えるから……」
「ああ、そのようだね」
「だから自首してくれますよね? もう逃げませんよね? わたしとお母さんのためにも償ってください……お願い」
「ああ、勿論だ――愛紗」
直樹さんも自分を抑えきれず、愛紗の手を取って体を寄せる。
彼女も嫌がらず、初めて父の温もりを感じている様子だった。
「……凄いね、愛ちゃん」
俺の隣で、神楽先輩はぐすっと鼻を鳴らす。
「ええ、本当に強い女の子です。愛紗は……」
そんな俺も目頭が熱くなっている。
必死で堪えているも、溢れそうでかなりやばい。
「でも、やっぱり神西くんの影響だと思うよ……」
「俺ですか?」
「そう。だから一番の功労者はキミなのかもしれないね、ふふふ」
神楽先輩は温かく微笑んでいる。
少し俺に身体を預けながら……。
俺は恥ずかしくなり無言になる。
(まさか……)
心の中で呟いた。
やっぱり一番は全てを受け入れた、愛紗だと思う。
普通は絶対にできないことだ。
特に放浪船長の父親や自由気ままなユーチューバーの母親を持つ、俺なんかじゃとても受け入れない事だろう。
でも彼女は受け入れた。
凄いと思う。
同時に――……。
今はそれ以上考えるのをやめる。
でないと今すぐにでも答えを出してしまいそうだから……。
仮に答えを出したとしても直ぐに心の奥でひっかかってしまう、戸惑ってしまう……そんな気がしてならない。
だから焦らなくていいんだ。
今はまだ彼女達もそれを望んでいないのだから……。
ひたすら自分に言い聞かせた。
それから、俺達は直樹さんを警察署の前まで送り届ける。
最後に直樹さんは、俺と神楽先輩に向けて深々と頭を下げて見せた。
「本当にキミ達にはなんてお礼言っていいのやら……」
「お父さん、気にしないでください。全部、愛紗のためですから」
「そう。だから
直樹さんはもう一度頭を下げ、愛紗に向けて手を振り、警察署の中に入って行った。
「お父さん……」
愛紗は切なそうに、その背中を見送っている。
態度や口ではああ言うも、やっぱり心配なのかもしれない。
「……けど、神西くん。一つだけ謎が残ったわね?」
神楽先輩が顔を覗かせてくる。
「え? 何がです、先輩?」
「
「いや、俺がお父さんなら、全て正直に告白してますよ……だって、愛紗だから」
「……なるほどね。やっぱ不思議ね、神西くんは」
「言わせてもらうけど、神楽先輩の方がよほど不思議先輩ですよ! 何せ、あんなコスプレ作戦を思いつくんですからね!」
「神西くんの強さを信じていたからだよ……ねぇ、神西くん」
「はい?」
「――そのぅ、これからは私も『サキくん』って呼んでいいかな?」
「勿論。じゃあ、俺も『ミカナ先輩』って呼ばせてもらいますよ」
「いいよ、サキくん。あっ、私バイトだから行くわ! それにジャスピュア衣装もクリーニング屋に届けに行かないといけないから、じゃあね!」
ミカナ先輩は、満面の笑みで大きく手を振って去って行く。
本当に彼女の方が不思議な先輩だと思う。
それから夕方になり。
俺は愛紗を送り届けるため帰宅路を歩いていた。
もうすぐ、彼女が住むアパートに到着する時。
ぎゅっ。
不意に愛紗が俺の手を握ってくる。
チラッとその横顔を見ると、愛紗は何かを思いつめている表情に見えた。
「どうしたの? お父さんのこと……やっぱり辛い?」
「ううん、違うよ……嬉しいの。だって、またサキくんに守ってもらったから」
「いや、俺は何も……」
「その頬の傷」
「え?」
「殴られたか蹴られたんでしょ? きっと、お父さんが話してくれた仲間の誰かに……」
「う、うん、まぁ……でも腫れも引いたし、きっちり仕返ししたからね、大丈夫だよ」
顔を引きつかせ笑う俺に、彼女は唇を噛みしめて瞳を潤ませる。
やばい……泣かれちゃうのかなっと思った。
「ねぇ、サキくん。お願いがあるの……」
「え、何? 俺に出来ることならなんでも聞くよ」
「あのね、目をつぶって少し屈んで欲しいんだぁ」
「わかったよ」
俺は言われた通り立ち止まり、両目をつぶって両膝を曲げる。
すると――
ちゅっ。
傷ついた左頬に触れた、とても柔らかく優しい感触と甘い吐息。
え――?
何、この素敵な感触?
俺は両目を開けると、頬を真っ赤に染めて微笑んでいる愛紗の顔が間近にあった。
「……本当はルール違反なんだけど、でも気持ちが抑えられないの……ごめんなさい」
え? え? え?
まさか、ほっぺに……チュウって。
――キスをしてくれたのか?
さっきまで、ずっとヒリヒリしていた頬の痛みが一気に引いていく。
異常に心臓が高鳴り爆発しそうだ。
俺は放心状態となり、その場で硬直してしまった。
「そ、それじゃ、サキくんまたね! 今日は本当にありがとう!」
愛紗は真っ赤になった顔を俯かせ、恥ずかしそうに手だけ振ってみせる。
逃げるように自分のアパートへと戻って行った。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ……」
俺の思考回路は何かが可笑しい。
脳が熱くショートしてしまったのだろうか。
何が起こったのか、わかっている癖に状況が掴めないでいる。
「ほぉ、ほおぉぉぉぉぉぉーっ!!!」
近所迷惑承知で、とりあえず叫んでみた。
ハイテンション過ぎて自分でも抑えきれない。
今日一番のご褒美をもらった気分だ。
幸せな家に帰ると、夏純ネェが相変わらずニートしている。
今の上機嫌の俺には大した気になる光景じゃない。
が、しかし。
「なぁに、サキちゃん? その男になったってドヤ顔?」
「はぁ!? んなんじゃねーし!」
変な勘繰り入れやがって、この姉ちゃん、うざっ!
ブブブブブッ
いきなりスマホが鳴った。
リョウからの着信だ。
あいつが直接連絡してくるなんて珍しい。
とりあえず応じてみる。
「リョウ、どうした? LINE以外で珍しくね?」
『サキ……俺さぁ、千夏と別れようと思う』
へ? なんですと?
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