第34話
気がつくと、まりこの耳に外で何かが倒れるような音が届いた。ドアスコープも怖くて覗けないでいると、鍵の開かれた扉が開けられる。チェーンでドアが止まった。
「君島さん、大丈夫? 今、警察を呼んだから! 」
「え? 」
困惑するまりこ。よくよく見ると、外の街灯に照らされ目に入ったのはどこか見覚えのある顔。
「あなたは? 」
「ああ、ごめん。覚えてないかな、塾の講師だった椎名健太郎だよ」
「え……ああ、でも何で? 塾の先生がここに? 」
チェーンをしたままドア越しの
会話が続く。
「そうか、よく知っているのは僕の方だけだよな。妹のさとみと仲が良かったみたいで、うちにもたまにきていただろ? 俺も家に居たんだけど、顔を合わせたことはなかったよね」
「え、椎名にお兄さんなんていたんだ。ごめんなさい、聞いたことなくて……。ご挨拶遅れて申し訳なかったです。でも、警察って……? 」
「……うちの母親が、理由はわからないけど君島さんを襲おうとしてたみたい、何だよね……。で、俺が偶然気がついたから、止めに来た。もう、ウチではどうしようもないから、警察を呼ぶことにしたよ。母さんも今は、ここで気を失なっちゃってるから、安心して」
「そうだったんですか……助けてくれてありがとうございます……」
まりこは視線を落とした。
そのチェーン越しに見たのは紛れもなく小太りで中年の、先程口論した相手である俺とさとみの母であり、その足元にはチェーンカッターが落ちている。
「…………」
はだけたコートの中には、まりこの学校の制服を着た母さんの姿。
髪をまっすぐなストレートに、まりこに似せた薄化粧で、顔の小じわも隠せていない有様が痛々しかった。
俺は窓から母の姿を確認すると、急いで駆けつけアパート下に放置されていた廃材で母を殴り静止させたのだった。
数分後駆けつけた警官たちにより、連行された母さんは常軌を逸していた。まるで自分がまりこであるように言って聞かず、夫である拓海の名を挙げて、彼が助けに来るのだから、だとか、彼を罰しないで、と繰り返していたのだ。
どうやら母さんは自信の妄想を小説として書いていくうちに、現実と妄想の区別がつかなくなってしまったようだった。
何が母をここまで狂わせてしまったのか。
小説内でまりこに起こった悲劇の一連は、過去実際に母が経験した被害であり、そんな母を精神的に支えたのも、のちに出会った父さんだったのだろうと、後になって精神科医は言っていた。
だから母は当時の自分とまりこを重ね、今度は本当にまりこに成り代わって父に救ってもらおうと、計画的に犯行を企てたらしいということだった。
──その後、もちろん両親は離婚、母は入院措置。俺は事件を未然に防いだとして警察から表彰され、それからは心を入れ替え一人暮らしを始めた。
それに伴い大学受験もやめて、社会に直接貢献できる職に就きたいと思いたち、公務員試験に向け新たに塾講師をしながら日々勉強に身を投じている。
まりこも学校を変えたらしいとさとみから聞いた。親によって地元に近い進学校へ編入させられたようだ。妹は相変わらず、不干渉主義の父さんの元で、自由に女子高生生活を謳歌しているようだ。
家族にとっては衝撃的な事件だったと思う。だけど人生何がきっかけで大きな帰路となるかは誰にも分からないのだ。
彼女は大変だっただだろうけど、彼女のおかげで淡い恋も経験し、人生の転機も訪れた。彼女の裏垢は病んだ母の奇行であり、暴露されてすぐ削除された。名誉毀損で訴えられかけなかったのだが、実際に顔が映された裸体がないことと、まりこ自身が実際に自身のアカウントでパパ活をしていたこともあり、示談の形でまとまった。
それにより、まりこのパパ活アカウントも親に知られ、今は彼女のアカウント自体も消されてしまっている。
今、俺から彼女へ自分の言葉を伝えるすべはもう残っていないが、俺は彼女に対して感謝の念さえ抱いている──。
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