第11話


「ん?」


 ソファーの上に置かれた朱華は、テレビから目を離してこちらを見た。


「わからない。でも、ここにあるものは、たべられない」


「…………え?」


 朱華(はねず)は両手を使ってリモコンを操作し、チャンネルを変える。


「わたし、私、きみ、君、あの、そこ、その……」


 朱華はぶつぶつと呟きながら、目まぐるしくチャンネルを変える。


 次第に、朱華の言葉がハッキリしてくる。


「もしかして、覚えているのか? 言葉を」


「うん。大体のことは、覚えた。まだ、少し勉強足りないけど」


 片言だった日本語が、ほんの数秒で流暢な日本語に変わっている。イメージとしたら、平仮名で表記されていた文章に、漢字が混じったような印象だ。


「凄いな、流石、神様の子だ……、いや、俺の子か?」


 管頭衣を着た朱華の後ろ姿を見ながら、俺は複雑な心境になった。


 果たして、朱華は俺の何なのだろうか。本当に、ティッシュに付着した精子を使って、出来た俺の子供なのだろうか。


 疑問はいくつも頭に浮かぶ。だが、答えはいくら考えても出てこない。全ての解答を持っているのが、あの玉依しかいない。


 俺は朱華の横に腰を下ろすと、ジッとテレビを見つめる朱華を見た。


 不意に、彼女がこちらを見上げ、はにかんだ笑顔を見せた。小さな口から僅かに覗く八重歯が可愛い。


「覚えた」


「覚えた? 言葉をか? もう?」


「うん。もうちゃんと話せると思う」


「そうか、凄いな……。いや、マジで本当に凄いよ」


 これが人間だったら、アインシュタインやニコラテスラもびっくりの天才になるだろう。


 テレビの前から離れた朱華は、興味深そうにリビングを見て回っている。部屋の隅に溜まっている埃を見つけると、それを手に取って匂いを嗅いだ。


 クシュンッ


 朱華は小さなくしゃみをした。


「コラコラ! ダメだよ!」


 言葉を覚えたとしても、まだ一般常識や教養、風俗などは欠落しているようだ。


 クシュンッ クシュンッ


 連続してくしゃみをする。口を開け、目を閉じてくしゃみをすると、ピョンッと小さな体が飛び跳ねる。愛くるしい仕草の一つ一つが、まるで3Dアニメを見ているかのようだ。


 俺は、駆け足で朱華に駆け寄ると、彼女の手から埃を取った。そして、彼女を優しく掴むと、テーブルの上に上げた。


「よし、朱華、出かけよう」


 時計を見ると、時刻は十一時を指そうとしている。麒麟が帰ってくるまで、時間はまだある。だが、朱華の世話をしていると、あっという間に時間が経ってしまいそうだ。


 俺はリュックを二階から持ってくると、タオルを敷いて、そこに朱華を入れた。これで、少しは居心地がよくなるだろう。


「どこに行くんだ?」


「買い物。まずは、着る物だな。と、その前にトイレ。朱華、オシッコとかは出ないか?」


「オシッコ?」


 リュックから顔を覗かせる朱華は、頭にクエスチョンマークを浮かべている。


「えっと……」


 俺は固まった。オシッコ。お小水、尿、ションベン……。他にも言い方はあるけれど、どうやって説明をしたら良いのだろうか。まさか、ここで男性器を出して、実演するわけにもいかない。


 生まれて一時間も経っていない朱華は、まだ排泄をしたことがない。


 いや、そもそも排泄するのか? 排泄器官があるか調べるか? ……完全に変態じゃねーか……。


「あの、なんて言うのかな……」


「なんて言うんだ?」


「こう、お腹の辺りがムズムズしない? 痛くなるというか、何かを出したくなると言うか……」


 言いながら、俺は自分の腹部を摩る。


 リュックに入っているため見えないが、朱華は俺の手の位置を見て、自分のお腹をさすっているようだ。


「お腹……。ここがお腹か……」


 そうか。言葉はしゃべれるけど、意味が分かっていないのか。


 俺はスマホを取り出すと、オシッコの動画を探した。


 当然、アダルトサイトが最上位に来る。断っておくが、俺はスカトロには興味が無い。断じてない。


「…………」


 百聞は一見にしかず。俺が説明するよりも、動画を見せるのが一番だろう。


「これ」


 俺は朱華に、セクシー女優が和式トイレでオシッコをしている動画を見せた。


 もの凄い罪悪感だ。これが人の子だったら、虐待になっているはずだ。だが、相手は神様。ここはノーカウントにしてもらいたい。


「これがオシッコか? そういえば、出るかも知れない」


「マジで? じゃあ、トイレにいこう」


 俺は、リュックのまま朱華をトイレへと運ぶ。


「見たのと違う」


「あれは、和式。こっちは洋式だから。でも、やることは同じだ。便座に座るのは、無理か。とりあえず、この縁に立ってさ、しゃがんでオシッコして」


「分かった。服を脱ぐ」


「え? 脱がなくて良いよ」


 朱華はおもむろに服を抜き出した。


「どうしてだ? あの女の人は、裸でオシッコをしていたぞ?」


「あれは、そう言うのだから良いんだ。深く考えないで忘れてくれ。朱華は服を着たままで良い」


 俺は朱華の裾をたくし上げる。


 朱華は屈んでオシッコの態勢をとる。


 俺は見ないように、朱華を支えながら壁に目をやった。


 チョロチョロ……


 小さな音が聞こえ、すぐに止まる。


「出たぞ」


 俺はペーパーで下腹部を優しく拭くと、流した。


 渦を巻いて流れていくペーパーを見送った朱華は、「面白い」と言いキャッキャッと笑っていた。


「今度、私も流れてみたい」


 リュックに収まった朱華は、顔を出してそんなことを言った。


「ダメに決まってるだろう。朱華、あまり顔を出すなよ。あと人前じゃ絶対に姿を見せちゃダメだ。分かったか?」


「うん。分かった」


 俺は原付に跨がると、少し離れた街へと向かった。向かう先は、おもちゃ屋だ。


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