4. 第二の試練 1

 TickTockと時計は動く。

 チッチッチッと時計は動く。

 かちりかちりかちりと時計は動く。

 

『彼女』は眠っている。『彼女』は動かない。

 ただ、『彼女』は夢を追い求めている。

 愛しい人に、会いに行く夢を。

 それはもう何年も、何年も、見られた例しがない。それでも、『彼女』は夢を求める。

 

 所詮、崩れるものと知りながら、

 砂上の楼閣に手を伸ばすように。


     ***


「はい、ここが君達の部屋です! どうぞーっ!」

 意気揚々と、カグラは扉を開いた。途端、豪華な一室が露わにされる。

 中央本部の左翼、片隅での出来事だ。

 教室でのツバキとの戦闘後、丁度、【百鬼夜行】の『授業』は全て終了したらしい。

 後は、各自自由時間だという。

 初日は疲れただろうからと──カグラによって、コウは『寮の部屋』へと案内された。

 連れて来られた一室を前に、コウは唖然とした。

 床には長毛の絨毯が敷かれ、ベッドは天蓋に飾られている。他の家具も全て、古めかしい本物のアンティークだ。内装は費用面は度外視で、居心地の良さだけが追求されていた。

 その装飾振りは、ある意味馬鹿馬鹿しいと称せる。

 コウは室内を指差した。恐る恐る、彼は確認する。

「これ……確実に、『寮』用の部屋じゃありませんよね?」

「あはっ、バレた? 【百鬼夜行】は存在しないクラスだからね。中央本部内に、元々寮なんてないの。だから、来客用の貴賓室を必要分、寮として占拠してます。専用の厨房と食堂もあるよー。不便があったら、何でも言ってね! 先生、融通するからっ!」

 それじゃーと、カグラは軽やかに立ち去りかけた。その肩を、コウはガシッと掴む。だが、カグラは無言で進み続けようとした。強制的に彼を引きずり、コウは部屋の前へ戻す。

 正面から向き合い、コウはカグラに尋ねた。

「ベッドが一つですが」

「そだねー」

「白姫とどうきんしろと?」

「だって、君達夫婦じゃーん。当然でしょ?」

「道徳観念に乏しい」

 思わず、コウは嘆いた。出会って間もない男女が同衾する習慣は、彼の脳内にはない。

 だが、別にいいじゃなーいと、教師たるカグラはへらへらと笑っている。文句を重ねるべく、コウは口を開いた。途端、カグラは纏う空気を切り替えた。冷たく、彼は口を開く。

「言ったよね? 彼女は人に似ているけれども、人じゃない。【キヘイ】だ」

「それは……そう、ですが」

「実は、コレは第二の試験でもある。各【花嫁】の制御は、【花婿】の役割なんだよ。『病める時も健やかなる時も、二者は共にいること』が義務づけられている──例外は認められていない。故に、自身の【キヘイ】を中央本部内で暴走させない証明が必要だ」

 ぐっと、コウは息を呑んだ。確かに、カグラの言う通りだろう。

 中央本部内に、【キヘイ】を単独で放つわけにはいかない。その決まりは理解ができた。だが、とコウは尚も訴えを続けようとする。そこで今度は、カグラはにっこりと微笑んだ。

「まぁ、気持ちはわかるよ。白姫君、とっても可愛いもんね? ねー?」

「うむ、私は可愛い。何故ならコウの【花嫁】だからだ。きっと相応しい可愛さでしょう」

「そうじゃなくって……いえ、白姫は可愛いですけども、問題を茶化さないでください!」

 コウは必死に訴えた。草臥れたコートの裾を、カグラはパタパタさせる。面倒だと言いたげに、彼は唇を尖らせた。話はお仕舞いですと打ち切り、カグラはひらひらと手を振る。

「茶化してませーん。事実を言ったまででーす! それじゃあ、試験の放棄は流石に認めてあげられないからさ。まずは一泊を頑張れ、青少年。君の理性に期待してます」

「言われなくても、問題は起こしません!」

 コウは叫んだ。はいはいと、カグラは去って行く。後にはコウと白姫だけが残された。

 むんっと、白姫は両手を握った。満面の笑みで、彼女は宣言する。

「コウなら、どんな問題を起こしてくれても構いませんよ!」

「はい、白姫! よく意味を理解してないっぽいのに、そういうことを言わない!」

 彼女の両肩に手を置き、コウは言い聞かせた。無駄に疲弊しながら、彼は室内を見回す。

 幸いにも、横たわるのに適した長椅子があった。自分はそこで眠ろうと、コウは心に決める。隣には浴室も完備されているようだ。改めて白姫と部屋に入り、コウは扉を閉めた。

(シャワーを浴びて、今日はもう休もうか)

 そう、コウは考えた。彼は後ろを振り向く。

 さてと、コウは白姫の姿を探した。

 見れば、彼女はベッドに乗って跳ねていた。かと思えば、左右にゴロゴロと転がってみてもいる。どうやら初体験の家具が気に入ったらしい。仰向けになりつつ、白姫は言った。

「コウ、とても気持ちがいい。ふわふわとは、よきものですね」

「そうだね、白姫。ベッドは、君が使ってくれていいから……」

「何を言っているのですか、コウ?」

 白姫は首を傾げた。無邪気に、彼女は巨大な枕を手に取る。

 ぎゅっと、白姫はそれを大事そうに抱き締めた。柔らかな口調で、彼女は言う。

「準備ができたのならば、一緒に寝ましょう。きっと、とても楽しい」

 花が綻ぶように、白姫は微笑んだ。

 コウにとって、それはかなりの爆弾発言だった。


     ***


「嫌です」

「何故」

「お断りします」

「どうして」

「青少年の心をおもんばかってください」

「その心はわかり難い。貴方が、私から離れて眠ろうとしている理由も不明です」

 シャワーを浴びて、一息吐いた後のことだ。

 コウと白姫は真剣な戦いを繰り広げていた。

 よりにもよって、白姫は薄布姿に戻っている。彼女なりに、『寛げる恰好』を模索した結果らしい。また、先程から、白姫はぽんぽんと両手で隣を叩いていた。二人が寝るのに、十分な空間があることをアピールしているようだ。それに対し、コウは抵抗を続けている。

「いいではないですか、コウ」

「よくはありません、白姫」

 むぅっと、白姫は頬を膨らませた。長い髪を揺らし、彼女は小さく跳ぶ。

 白姫はコウに抱き着こうとした。慌てて、コウはソレを躱す。不満げに、白姫は続けた。

「いいではないですかー、コウー」

「よくはありません! 白姫!」

 コウはベッドの柱に隠れた。飛びつかれないよう、彼は距離を開ける。

 このままでは無理だと悟ったらしい。再び、白姫は頬を大きく膨らませた。直後に、彼女は表情を陰らせた。白姫は、長い睫毛を伏せる。蒼の目に、彼女は深い悲しみを湛えた。

 うっと、コウは困惑を覚えた。白姫のその表情は、反則と言える。

 別に、彼は彼女に、悲しい顔をさせたいわけではないのだ。

「あの、白姫。そんなに残念がらないでくれ」

「コウは寂しくないのですか?」

「寂しい?」

「貴方は私の贄にして、糧にして、主にして、王にして、奴隷にして、喜びにして、運命にして、花婿です。貴方も私を待っていたと言ってくれた。それは嘘だったのですか?」

「嘘では、ないけれども」

「私は貴方が好きだ、コウ。運命と別れているのは、寂しいものです」

 しゅんっと、白姫は残念そうな顔をした。まるで一人残された、幼い子供のごとき表情だ。拒絶されるのは、白姫にとってはそれほど寂しいことらしい。彼女は胸元を押さえた。

 謡うように、白姫は続ける。

「貴方は私のただ一人だ。私の何より大切で誰より愛しい者だ。貴方のためならば、私はどんな運命さえも厭わない。ただ、傍にいたい。近くにいたい。離れているのは嫌です」

「ちょっ、あの、白姫……その」

 あまりにも真っ直ぐな言葉だった。コウは流石に照れる。

 だが、白姫は語りを止めなかった。重く、彼女は最後の一言を吐き出す。

「なんだか、胸に穴が開いているようだ」

 これには、コウの方が折れた。

 胸に穴が開いているような寂しさに、彼は覚えがあったのだ。それはずっと長く、コウが抱えてきたものだった。埋める方法のない空白に、彼は悩まされてきた。

(───あなたがいなくて、寂しい)

 その誰かは、永遠に得られない。コウはそう思っていた。

 だが、今、彼の目の前には白姫がいる。

 そして、彼女は寂しそうな顔をしていた。

 息を吐き、コウは諦めてベッドに腰かけた。毛布を捲り、彼は白姫の隣に身を横たえる。

 嬉しそうに、白姫は瞳を輝かせた。直ぐに、彼女は満面の笑みを浮かべる。

「コウっ!」

「わぁっ、白姫……あぁ、もう」

 勢いよく、白姫は彼に抱き着いた。引き離そうとして、コウは止める。

 彼女の抱き着き方は、妹が兄にするようなものだった。ゴロゴロと、白姫はコウに頭を擦りつける。その様子は、とても無邪気だ。引き離すことは、コウには到底できなかった。

 半ば自棄になりながら、彼は白姫の背中に腕を回した。

 歳の離れた妹にするように、コウはぽんぽんと手を動かす。

「ほら、寂しいのはなくなった?」

「えぇ、勿論! コウ、今はとても温かい。そして幸せです」

 嘘偽りない表情で、白姫は言った。コウはくすりと笑う。

 いい子と、その頭を撫でて、コウは続けた。

「それなら、よかった。君が寂しいのは、俺も嫌だ」

「安心、したら……なんだか、……スリープ……モード、に……」

 白姫の全身から、ふっと力が抜けた。すぅすぅと、彼女は安らかな寝息を立て始める。

 もう一度、コウはその頭を撫でた。白銀の髪を整えてやりながら、コウは優しく囁く。

「おやすみ、白姫……よい夢を」

 手を離し、彼は微笑みを浮かべた。

 そして、コウも一緒に瞼を閉じた。

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