3. 最初の試練 2

【キヘイ】最強たる、【姫】シリーズ。

 その未確認だった、七体目。

 通称は【カーテン・コール】。

 コウにとって意味不明な言葉の後、教室内の空気は歓迎から遠ざかった。だが、ソレは更なる決定的な変化を迎えた。ある宣言を、カグラが続けたせいだ。

「はい、カグロ・コウ君の等級ですが【幻】です──うちでは四人目になるね」

 ざわりと、教室中がざわめいた。何事かと、コウは辺りを見回す。

 二十五名程度の生徒は、固まることなく思い思いに散っている。その全員の顔に、ありありと不満が覗いていた。何か、皆には思うところがあるようだ。中の一人が手を挙げる。

 片方の目を包帯で覆った、赤髪の男子生徒だ。軍服には、特に改造は施されていない。

 理知的な印象に似合う低い声で、彼は問いかけた。

「先生、質問をいいだろうか?」

「はい、ヒカミ君、どうぞ。予想はできてるけど、なんだろうね?」

「貴方のその一言多い癖は、いつかツバキ君辺りに刺されるだろうから気をつけた方がいい。まぁ、自業自得なので、どうでもいいが──【幻級】とはどういうことだろうか? 【蜂級】どころか、【鬼級】も超えるとは前例がない。説明を求めたく思う」

「だって、彼──二十五名のうち、二十二名は殺害可能だし、二名とは相打ちするよ?」

 カグラは断言した。ヒカミと呼ばれた生徒は、元から鋭い目を細める。

 更に、教室内はざわついた。

 カグラの言葉に、コウは戦慄した。カグラ直属の特殊部隊──【百鬼夜行】はこの学園最強の面々と聞く。その内の誰か一人でも、コウには殺せる気がしなかった。

 何よりも、彼自身には敵対の意思などない。

「待ってください。俺には誰も殺す気はありませんが」

「知ってる」

「腑抜け」

「帰れ」

「覇気がない。やり直し」

 見事な罵声が飛んできた。コウは痛みっ放しの額を押さえる。白姫が『敵対か?』とわさわさと動いた。彼女を抑えながらも、コウはなるべく苛立ちを鎮めた声で訴えた。

「俺に殺す気があれば、貴方達は一斉に襲い掛かってくるつもりですよね? 罵倒される理由も、非難される謂れもありません」

「知ってる」

「正解」

「有り」

「その意気やよし」

 意外と好意的な反応が返った。本当に意味がわからないと、コウは嘆息する。

 そこで、一人の女生徒がすらりと手をあげた。

「──失礼、よろしいでしょうか?」

 優しい垂れ眼が特徴的な、嫋やかな娘が立ち上がった。甘茶色の艶やかな髪が、ふわりと揺れる。彼女の背は高く、腰は細い。軍服のスカートは、ドレスのごとく裾が長かった。

 その佇まいは、どこか優雅さと上品さを感じさせる。

 豊かな胸に手を押し当て、女生徒は穏やかに告げた。

「先生、カグロ・コウさんは混乱しているようです。まずは等級制度について、説明の必要があるかと存じます。貴方は頼りにならないので、私が代わりに行おうかと思います」

「的確な指摘と共に、僕への罵倒をありがとう、ミレイ君……うん? ありがとう? これじゃあ、僕が被虐趣味になるな……えーっと、まぁ、いいや! 説明をどうぞ!」

「大丈夫です。いつか本当に被虐趣味にして差しあげますから。それでは、カグロ・コウさん。初めまして、タチバナ・ミレイです。安心して、私の説明に身を任せて下さいね」

「怖い」

 思わず、コウは呟いた。聞こえただろうに、ミレイはにこりと微笑む。その表情に敵意はない。パチリと彼女は指を鳴らした。席の下に横たわっていた【キヘイ】が身を起こす。

 コウは思わず息を呑んだ。【特殊型】の【花嫁】だ。

 その全身は、鎖で拘束されている。人に似た外観は、隅から隅まで無残に縛られていた。

【花嫁】の鎖を引き、ミレイは弾んだ声で言った。

「まずは、ご紹介しておきますね。こちらは、私の【花嫁】。通称、【私の信奉者マイ・キテイ】です。お見知り置きを願います。この、実に拘束の似合うこと、似合うこと! 愛らしいでしょう? 褒めてくださっても構いませんよ? ふふふっ」

 己の【花嫁】を、ミレイはぎゅっと抱き寄せた。

 鎖で縛られ、口のような部分に鉄球を嵌められながらも、【私の信奉者】は猫のように喉を鳴らした。ミレイは『彼』に頬ずりをする。その光景からは、両者共に深い愛情が感じられた。だが、ミレイは唐突に手を放した。どさりと【私の信奉者】は席の下に消える。

 あくまでも愛しさを込めた仕草で、ミレイは【花嫁】を踏んだ。

 コウは思わず大量の冷や汗を掻いた。何事もなかったかのように、ミレイは続ける。

「それでは等級の説明を始めます」

「どうしよう。全然頭に入らない」

「頑張ってください──私達には、各自の実力に合わせ、等級が与えられています。最も弱い者達が【花級】十名。次いで【蜂級】が七名。【鬼級】が五名。最強の【幻級】が、貴方を除いて三名です。等級の強弱に関わらず、通常、魔導甲冑は装着しません」

 都度、指を立てて、ミレイは語った。更に、彼女は冷静に続ける。

「【花級】は【乙型】に単独で対処可能、【甲型】は三名以上、【特殊型】は六名以上での対処、または逃走が推奨されています。【蜂級】は【乙型】、【甲型】に単独で対処可能、【特殊型】は三名以下での対処が可能です。【鬼級】は全型に単独での対処が可能───そして、【幻級】は『その全てを、凌駕しなくてはならない』」

 ミレイは淡々と、説明を行った。その内容に、コウは顔を青褪めさせた。

【乙型】は一般生徒でも魔導甲冑を身に着ければ対処は可能だ。だが、【甲型】、【特殊型】相手には、何名いようとも惨殺される。

 戦闘科ならば、手練れが十数名揃えば、【特殊型】一体の殲滅が叶った。だが、必ず大量の死者を出す。下手を打てば、全滅の可能性も高い。

 それを、単独、しかも生身で処理するなど人間業ではない。

【幻級】に至っては、コウには最早実力の想像すら不可能だった。

 だが、よりにもよって、コウはその【幻級】なのだという。

 胸に手を当て、ミレイは滑らかに続けた。

「私、タチバナ・ミレイは【鬼級】。先程のヒカミは【蜂級】に当たります。他は……まぁ、機会を探って、頑張って聞き出してください」

 教室をぐるりと見回し、ミレイは微笑んだ。どうやら、呼びかけても返事はないものと判断したようだ。いぇーいと、数名が意味もなくポーズを取る。

 何級かは、全くわからない。

 いつになれば、全員のことを知れるのだろう。そう、コウは内心で溜息を吐いた。

 不意に、ミレイは微笑みを消した。髪と同色の目を光らせて、彼女は問いかける。

「今までも、転科生は来たことがあります。ですが、大抵が、【花級】──最高で【蜂級】でした。突然、【幻級】が来るとは、私も納得しかねます。この分類は何故でしょうか?」

「簡潔明瞭な事実です。此処の【花嫁】達の中で、私が最強を誇るからだ」

 胸を張って、白姫が応えた。再度、教室内はざわつく。慌てて、コウは彼女を振り向いた。白姫は平然としている。気負った様子はない。ただ、彼女は事実を告げているようだ。

 穏やかに、ミレイは頷いた。だが、彼女は剣呑に続ける。

「えぇ、そうでしょう。【姫】シリーズともなれば、【特殊型】すら塵のようなものです。比較対象にすらならない。それが、貴女──しかも、七体目の正確な実力は不明です」

 コウは目を見開いた。確かに、先程、カグラは『【姫】シリーズ』を『【キヘイ】最強たる』存在と称した。そうなのかと、彼は白姫に目を向ける。

 当然のことだと、彼女は微笑んだ。

 教室内に、ミレイは目を走らせた。小さく首を横に振り、彼女は囁く。

「貴女と戦おうと思えば、──今は、教室内に不在ですが──同じく【姫】シリーズを娶った、【幻級】の一人以外、敵うとは思えません。ですが、等級は【キヘイ】と共に戦う人間の技量も加味されます……それを鑑みれば、【鬼級】がせめて妥当ではないかと」

「この中の大半よりも、コウは強いはずだが?」

「はぁ?」

 誰よりも大きな声を、コウはあげた。引き続き、白姫の表情には変化がない。やはり、彼女は見栄を張っているわけではないようだ。頷き、白姫は実に誇らしげに言い放った。

「分析は済んでいます。彼は【鬼級】の【花婿】に匹敵する。なれば、私の戦闘力も加味すれば【幻級】とやらが妥当だ──カグラの分析に何ら間違いはないと断言しましょう」

「面白い」

「ほぅ」

「有り」

「嫌いじゃない」

「カグラ、いい?」

 また、別の女生徒が手を挙げた。彼女の方に視線を向け、コウは三度ギョッとした。

 一見して、その女生徒は幼い少女に思えた。

 可憐な姿は、まるで人形だ。

 小さな体を、彼女は巨人の肩に乗せている。頬杖をついている腕には、金の髪が絡んでいた。幼い女王のごとく、女生徒は──コウだけではなく、カグラまでをも睥睨している。

 翠の目を、彼女は気紛れな子猫のように瞬かせた。

 少女の問いかけに、カグラは平然と応える。

「はい、どうぞ、ツバキ君」

「試験、やるのでしょう? 【幻級】ならば、私が対応します。それが妥当のはずです」

 コウには意味のわからない言葉を、彼女は告げた。

 幼い外見に似つかわしくない、凛とした声が響く。少女は翠の目を細めた。測るように、彼女はコウのことを見つめる。どこか悲しげに、ツバキは語った。

「【幻級】とは面白い話です。見合うのならばそれでよし。ですが、もしも、身の丈にそぐわない【キヘイ】と契約しているのならば、守り、守られるに相応しい働きができないのならば双方にとって不幸でしょう。そうならば転科を認めるわけにはいきません。いずれ潰される運命ならば、私の手によって幕を引きましょう。それも慈悲というものです」

 愛らしさに見合わない、重い声だった。翠の目を、彼女は静かに閉じ、開く。

 巨人の肩の上で、少女は立ち上がった。

 フリルに飾られたスカートがふわりと膨らむ。コウを指し示し、彼女は金髪を揺らした。

 堂々と、少女は宣言を響かせる。

 

「【鬼級】のカゲロウ・ツバキ──その人を潰します」

 

 物騒な言葉が響いた。途端、わっと、教室は沸いた。だが、その喧騒内に、悪意は妙になかった。祭りを楽しむような底抜けの明るさが、ただ覗いている。

 教壇周りの生徒が、席を立った。素早く、彼らは場を整え始める。

 大半の者達が、この展開に心を躍らせているようだ。

 どういうことかと、コウは視線で説明を求めた。飄々と、カグラが告げる。

「いやね、転科生は、自分と同等級か、それより下の学徒と、一戦をしてもらう決まりなんだよ。あまりに適性がないようならば、【百鬼夜行】に入れるわけにはいかない───まぁ、通過儀礼と思って、諦めて欲しいかな──今回の相手はツバキ君にお願いするよ」

「……そう急に言われても、困るのですが」

 コウは教室中に視線を向けた。ただ一人、悩むようにミレイだけは頬に手を当てている。コウは彼女に縋るような視線を送った。彼は争い事など好まない。この事態を止めてくれる存在が必要だった。しばらく何かを考えた末に、ミレイは口を開いた。

「戦うのはいいけれども、貴女、まずはお着替えした方がよいと思うの」

「そ、そこか」

「うむ、承知した」

 がっくりと、コウは項垂れた。一方で、白姫は頷いた。

 目を閉じ、彼女は己の纏う衣装を変化させていく。まず、薄布を【百鬼夜行】の軍服に変更。色を白にし、好みに合わせてか装飾を加えた。蒼い光で全身を包み込み、晴らす。

 後には、愛らしい服装に身を包んだ姿が立っていた。

 新たな白姫の装いを、コウはまじまじと見つめる。思わず、彼は尋ねた。

「そういう服が好きなのか?」

「うむ、一番しっくりくる。それよりもコウ──どうやら戦闘のようだ」

「あぁ、不本意にも、ね」

 コウは苦く応えた。彼にもわかる。断れば、コウは二度と歓迎されることはないだろう。

【百鬼夜行】に入る以上、この一戦は逃れられないものなようだ。

 巨人に担がれたまま、ツバキはゆっくりと階段を降りた。

 半ばふざけた歓声を受けながら、彼女は教壇の前に立つ。

 その後、コウはルールの説明を受け───、

 かくして、事態は今に至った。

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