2.【百鬼夜行】の歓迎 2
「死にたくないっていう心理は、わかり難いよね」
コウ達の前を進みながら、男は急に語り出した。
片手の指を意味なく振って、彼は独演を続ける。
「確かに、死は人にとって最たる謎の一つだ。生命という機能の停止した後のことは、誰にもわからない。だから、人は神を生み出し、来世に縋る。そうまでしても、まだ『死にたくない』という願望は続く。生と死、どちらが楽か、それさえも証明する手立てはないというのにね。そう思わない? ちなみに、全部戯言だから聞き流してくれてもいいよ──勿論、聞いてくれた方が嬉しいけどさ」
「………はぁ」
コウは生返事をする。男は不満げに唇を尖らせた。成人男性にやられても、可愛くもなんともない仕草だ。いっそ不気味ですらある。
どう反応したらいいのか、わからない。
コウは沈黙を選んだ。彼は辺りを見回す。先程から人とすれ違うことはない。廊下には高価な絨毯が敷かれていた。窓枠や壁には彫刻が施されている。重厚で古めかしい内装だ。かと思えば、最新鋭の魔導結晶の創りあげた立体映像が、室内装飾の代わりを務めている。
声には出さないまま、コウは考えた。
(設備の豪華さからして、ここは中央本部に他ならないだろう)
背後には先程の襲撃者達──仮面の者達が無言のまま続いている。集団と共に、コウ達は護送される囚人のごとく歩いた。彼の置かれた状況は、端から端まで不気味で不可解だ。
更に、コウにはもう一つわからないことがあった。
「なぁ?」
「うん?」
先程から、白姫は彼の腕にぶら下がるようにして歩いている。押しつけられた胸が柔らかい。白銀の髪からは、心なしかいい香りもした。動揺を呑み込みながら、コウは尋ねる。
「君は、何故、そこまで俺にくっついて歩くんだ?」
「あの男が貴方に害意を向けてきた際、盾となって死ぬためだ」
予想の三十倍ほど、物凄い返事がきた。
コウはギョッとする。彼は足を止めた。男は前に進み続けている。だが、コウは白姫と向き合うことを選んだ。薄布に包まれた肩に、彼は手を置く。コウは真剣に白姫に告げた。
「死ぬなんて、簡単に言わないでくれ」
「誤解があるようだ。コウ、簡単ではありません。計測の結果、現在の私ではアレに敵わないと判明した。故に、アレが敵対姿勢を露わにした際、貴方を生かすために成功率の高い試算を、先程から続けています。どの選択をしても、私の死亡は避けられない」
キリッと、白姫は顔を整えた。その言葉の
だが、確かな重い決意を込めて、彼女は語った。
「ならば、選ぶしかないだろう。これは相当な事態であり、簡単な話では───」
「止めてくれ。俺は君が死んだら、守られても全然嬉しくない!」
「了解した。貴方の嫌なことは、よくないことだろう」
コウは叫んだ。意外ときっぱりと、白姫は退いてくれた。コウは安堵の息を吐く。
この少女に、自分を守って死なれるなどごめんだった。
想像するだけで、胃の腑が熱くなり、コウは強く拳を握った。そんなことが起これば、コウは己を決して許せなくなるだろう。そう、少女の身を慮りながら、彼は困惑も覚えた。
やはり、何故かはわからない。
だが、確かに、耐え難いのだ。
そこに、前方から飄々とした声が響いた。見れば、男がその場で飛び跳ねている。
「殺さないってばーっ! 自分の生徒を殺す鬼畜非道がどこにいるっていうのさーっ!」
「貴方はもう黙っていてください………生徒?」
「おや、いきなり僕には強気だ。寂しいね」
コウは頭に疑問符を浮かべた。目の前では、男が今度はコートの裾をパタパタと遊ばせている。やはり不気味な仕草だ。コウの疑問に、彼は一時動きを止めた。男はうんと頷く。
「そうだよ、僕の生徒。そう言えば名乗り忘れていたね。僕はカグラ」
───ただのカグラだ。
名前を聞き、コウはひゅっと喉を鳴らした。その名前については、彼も耳にしている。
この学園において、最強と謳われる教師だ。
カグラの下につくということは、直属の精鋭部隊に入ることに他ならない。
何故と、コウは思った。同時に、彼は背後の白姫に視線を送った。彼女の存在と関係があるのだろうかと、コウは考える。白姫は、【特殊型】を単体で破壊する実力を発揮した。
その強さは、戦闘科の学徒では比較対象にすらならない程、ずば抜けている。
コウが何かを口にする前に、カグラは続けた。
「そう、ご明察。僕の生徒になるってことは、僕の隊に入るということさ。でも、ただの精鋭部隊じゃない。単に戦闘に優れているだけでは、入れるわけにはいかない」
そこで、カグラは言葉を切った。にやりと、彼は唇を歪める。
意味もなく、カグラは空中で指を振った。朗々と、彼は声を響かせる。
「戦闘科の『存在しない』クラス百。【キヘイ】との【婚姻者】だけで造られた特殊部隊」
不意に、カグラは歩みを再開させた。いつの間にか、廊下の先には扉が一つ現れている。
その取っ手を掴み、彼は引き開けた。
「────ようこそ、【百鬼夜行】へ」
コウは目を見開いた。教室内の構造は、最も広い一般講堂とよく似ていた。だが、窓はない。また円形に並べられた席の後方には、生徒の私物らしい諸々が大量に積まれていた。
そして、室内には本来いてはならない者達が点在していた。
何体もの【キヘイ】が控えている。
彼らが学園の席に着いている様は、馬鹿げた冗談か、悪夢のようだ。
【キヘイ】を『侍らせ』ながら、複数の生徒も座っている。二十名程度が教室中にバラバラに散っていた。カグラの言葉を信じるのならば【キヘイ】と『結婚した』者達だろう。
(つまり、此処にいるのは、全員が【花婿】と【花嫁】だ)
好奇、愉悦、敵意、嫌悪、無関心。
様々な視線が、コウと白姫を貫いた。
***
瞬間、コウ達の背後から、ドッと賑やかな声があがった。
仮面の集団が口を開いたのだ。扉を潜った途端、彼らは解散というように警戒を解いた。
好き勝手に、仮面の者達は歩き出す。
「うあー、疲れたー、疲れたー」
「【姫】シリーズと【花婿】の護送とか洒落にならねぇんだよ。一人でやれっての、死ね」
「本当に緊張したんだけど。最強様だけで行くのは嫌だからってさ! この寂しんぼが!」
「はぁ、肩凝ったぁ。凄い肩凝ったわぁ。先生揉んでぇ」
「やだよー、自分の『奥さん』に揉んでもらいなさい」
「私の肩、屑肉になるじゃーん」
次々と、学徒達は面を取った。中からは、普通の少年少女の顔が出てくる。彫像めいていた集団は、急速に人間味を帯びた。意外性に、コウは瞬きをする。
仮面の下の中身は、想像以上に、『ただの』学徒だった。
どうやら、彼らは全員【百鬼夜行】の一員だったらしい。
教室の中へ進むと、学徒達は自由に席へ着いた。
各々の場に落ち着くと、彼らはパンッと手を叩いた。あるいは指を、踵を鳴らす。
「さぁ、出てきていいぞ、俺の女」
「お疲れ様、ありがとうね。私の子」
学徒達の周りに【花嫁】が現れた。次々と【キヘイ】が呼び出される。
その姿形は、様々だった。
蛇に似たモノ蠍に似たモノ、中には人型も存在する。【乙】、【甲】、【特殊】全てがいた。
一歩、コウは後ろに下がった。本能的な恐怖に襲われ、彼は背筋を凍らせる。
ここにいる【キヘイ】だけで、研究科の生徒全員を惨殺しようと思えばできるだろう。
室内には、それだけの量と質の【キヘイ】が揃っていた。コウは眩暈を覚える。その前で、学徒の一人の肩に、カグラは手を乗せた。嫌そうな顔をされながらも、彼は説明する。
「この子達は【キヘイ】の中でも、姿を隠せる【花嫁】と『結婚した』面々だね。中央の他の連中に【キヘイ】連れで遭うと、たまに面倒なことになるからさ。君の護送の手伝いをお願いしたってわけ……あっ、こら、行っちゃうの? ちぇっ、先生は寂しいなぁ」
赤髪の学徒に逃げられ、カグラはコートの裾をパタパタさせた。『それ止めろ』、『可愛くない』と生徒から文句が飛ぶ。どうやら【百鬼夜行】にも彼の振る舞いは不評なようだ。
呑気なやり取りを前に、コウは内心で更なる冷や汗を流した。
(【キヘイ】がいたとは気がつかなかった)
姿を隠せる【キヘイ】の存在は、戦闘科のデータベースに載っていたはずだ。だが、ほとんどの生徒が、実際に遭遇したことなどない。これが『外』ならば既に命はないだろう。
いや、と、コウはそこで思い直した。
白姫がいる限り、違うのかもしれなかった。
何故か、彼女は彼を守ってくれる。だが、【キヘイ】だという少女は依然よくわからない存在でもあった。彼女のことを、コウは大事に思い始めている。自分でも不思議なほどに白姫の存在は親しいものに感じられた。だが、己の【花嫁】だという実感は未だにない。
白姫に、彼は視線を向ける。
何を思ったのか、彼女は満面の笑みを浮かべた。困ったまま、コウも微かに笑い返す。
白姫は花咲くような微笑みを深めた。実に可愛らしい表情だ。
その様子を見てか、誰かが教室の席で口笛を吹いた。
「熱いねぇ」
「自分の花嫁は大事よね、わかるわ」
ハッと、コウは振り向いた。年齢も様々の面々が、彼に注目している。
その目は笑っているようで、どこまでも冷めていた。コウ達が何か不穏な動きをすれば、即座に統制の取れた動きで処分にかかるだろう。そう、彼には予測ができた。
再度、コウは白姫を背中に庇った。自身の衝動に従って、彼は行動する。
彼女だけは、守らなくてはならない。
一方で、カグラは明るくコウの肩を叩いた。続けて、彼は白姫を指差す。
「と、言うわけで転科生です! こっちは、カグロ・コウ君。こちらは白姫──君達も知っての通り、【キヘイ】最強たる、【姫】シリーズの未確認だった七体目。通称は」
「【カーテン・コール】」
「です! ねっ、勘のいい君達には嫌な予感がするでしょ? あはははっ」
カグラは、コウには理解できないことを言った。更に、彼は明るく笑う。
カグラは完全に壊れている。そう、コウは結論づけた。
先程の言葉には、何の意味があったのか。【百鬼夜行】の面々は目に見えて敵意を強め始めた。コウは僅かにたじろぐ。緊張で、空気は粘性を帯びた。
その中で、カグラは朗らかに続けた。
「これからよろしく、『転科生』──皆と仲良くね?」
絶対に無理だと、コウは思った。
彼を仰ぎ、白姫はただ微笑み続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます