六
昨日ほど強くない雨を見て、ニュースキャスターの「大雨警報が解除された」という言葉を信じて、僕は神社に向かうことにした。
今日行かなければもう君とは会えない気がした。今日行けば君に会えると確信していた。
そわそわしながら昼頃まで時間を潰して、僕は傘を差して家を出た。
雨は嫌いではなかった。人間が生活するだけで生まれるノイズとか、黒ずんだ空気みたいなものを、雨は洗い流してくれる。ような気がする。
傘をばつばつと叩く雨音を、耳と肌で感じながら、僕はいつもの道を歩いた。本屋は閉まっていた。
今日は雨が降っていて日が差していないので、ゆらゆらではなく、ぽつぽつ道を歩いた。いつものベンチには君は座っていなかった。奥の神社の、名前の分からない、雨宿りに最適と言えるような、屋根の下に君は座っていた。何かをスプーンですくって食べていた。
君は、まるで僕が来るのが最初から分かっていたみたいに、やわらかく微笑んで、スプーンを持った手を振ってくれた。食べているのはアイスだとわかった。傘を閉じる僕に「君はこれね」と、コーンのついたチョコレートのアイスクリームを渡してくれた。
「コンビニの安いやつだけどね」
ありがとう、と小さく言って、半透明のカップを外して、一口舐めた。甘ったるかった。
君は僕を嬉しそうに眺めて、自身も一口、アイスを食べた。カップのバニラアイスだった。
食べ終わった僕に「美味しかった?」と聞いてきたので、頷いて、もう一度「ありがとう」と言った。君は、にかっと笑って、僕から空の容器を受け取った。コンビニのレジ袋に自身のと僕のゴミを入れ、入口を縛ってリュックに詰め込んだ。
その後は、もちろん僕たちは静寂に包まれた。
前みたいな不思議な感覚とかはなくて、ただただ、雨の音を、雨の空気を、味わった。
静かだった。雨の音はしていた。蛙の鳴き声はしていた。けれど、静かだった。
七年間生きてきた蝉たちが、この雨のせいで鳴けないのは、可哀想だと思った。けれど仕方がない。僕には雨を止めることはできないし、蝉たちにも多分無理だろう。
君は口を開いた。
「私ねー、死のうかと思ってるの」
僕は驚かなかった。君が死にそうに見えていた訳では無い。死というものに実感がない訳でもない。
人が、生物が死ぬっていうのは必然で、君はそれを自ら実行しようとしている。ただそれだけだと分かっていた。
また、似合う、とも思った。
「あれ、驚かないんだね」
「うん」
君は、やっぱり嬉しそうに笑った。
「そっか。ふふ、やっぱり君に出逢えてよかったよ」
君は、ゆっくり、君が死ぬ理由を話しだした。
君は悲しい子どもだった。
君に味方はいなかった。
君は世界に絶望した。
僕たち子どもにとって、世界っていうのはとても狭いものだ。家と、学校、そこでほとんど全てが完結してしまう。
君は誰にも愛されなくて、誰のことも愛さなかった。
ただそれだけだ。
君はとても優しい声で、表情で、話す。
「私の今に意味は無い。誰の特別でもない。けどね、私が死んだら、私は特別になる。そこに意味が生まれるの」
僕は黙っていた。僕は黙って肯定していた。君と僕はきっと一緒なんだ。僕たちはクジラを追っていた。
「みんな死んじゃえばいいのに」
僕は思わず呟いていた。
「みんな死んじゃったら、死ぬ君は特別じゃなくなる。だから君はきっと、生きるでしょう? たった一人で生きるんだ」
君は笑った。
「君は私に生きて欲しいんだね。嬉しいよ。君は私の特別だよ。私は君と出逢うために生きた」
君の笑みはもう消えない。
「ふふ、意味あったね。私の人生」
君は一言、じゃあね、と言って、僕の前から立ち去った。
いつの間にか雨は止んでいて、君は生まれたての陽光に祝福されるように、ゆらゆら道を去った。
蝉が鳴いていた。
僕は君の影を探すのに必死で、空を見れなかった。
君の影は見つけられなかった。
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