第297話

 雨がシトシトと降っている。シェリーの髪に雨が降り注ぎ、ベタリト頬にくっついている。その頬の左側が赤く腫れ、ジンジンと痛んでいる。だがシェリーはそんな頬の痛みよりも雨の中横たわる女性に治癒の魔術を必死に掛け続けている。


「お、お嬢様、お止めください。わ、私に治癒はきき····ません」


 横たわる女性がそう口にする金色の髪は地面に広がり泥に汚れてしまっている。細い手足には雨粒が当たり続け、服もベッタリと貼り付いてしまっている。シェリーを弱々しく見つめる目は緋色の色をしていた。女神ナディアの加護を受けたラースの一族の者だ。


だまって、すこしずつなおっているから」


 小さな手を折れた肋骨に、痛めた内臓にかざしている。と呼ばれた女性は雨の中『お止めください』と弱々しく言い続けている。シェリーにと呼ばれた者の名はマルゴと言う。マルゴは理解していた。自分の体は治癒の魔術を受け入れられないということに。


「ごめんなさい。わたしがオリバーにたのみ事をしてしまったから、母さんに怒られてしまった」


 シェリーはオリバーに魔術を教えて欲しいと頼んでいたのだ。シェリーはこれからの事を考えると、魔導師であるオリバーに魔術を教えてもらおうとしていたのだ。だが、母親のビアンカにオリバーに頼み事をしているところを見られてしまった。


 そして、シェリーは母親に殴られた。小さな体に大人の、それも魔王と戦った聖女であるビアンカが本気で殴ったのだ。それは吹き飛ばされ、壁に激突するほどのことだった。

 しかし、ビアンカはそれでも腹の虫が収まらなかったのか、意識の無いシェリーに手をあげようとした。それを止めるためにマルゴが間に入ったのだが、それもビアンカの勘に触ったのだろう。気がつけば雨の中、外に放おり出され横たわるマルゴが肩で息をしてる状態だった。


 そのマルゴは40歳程の年齢となるが、魔王討伐戦で魔脈回路が破壊され、普通の生活もままならない状態だった。見た目は老人と言っていいほど老けている。


 だから、シェリーは日々マルゴの魔脈回路を回復するために治療を行っていたため、徐々にではあるが、痛めた内臓は治癒してきている。だが、普通の人ほどではない。折れた肋骨は治らないだろう。


「ごめんなさい。ごめんなさい」


 シェリーはそう言いながら、治癒の魔術を続けている。雨なのか涙なのかわからない物がマルゴに降り注いでいる。普通なら建物の中に戻って治療すべきなのだが、小さな体のシェリーにはマルゴの体を持ち上げることができない。



 ここにマルゴがいれば、いつかマルゴは死んでしまうかもしれない。全ての魔脈回路を治すまで居てもらおうと思っていたが、マルゴの家族の側に帰ってもらおうと決めた。


 あの番のことしか見えていない者達の側にいる必要はない。






『シェリー?シェリー?』


 誰かが呼ぶ声がする。意識が浮上し、目を開く。その拍子に何かが目からポロリとこぼれ、ぽとりと下に落ちていった。

 なんだろうと手を目に添え、見てみると水滴が指に付いていた。


 ああ、雨か。



「シェリー?大丈夫?」


 心配そうな金色の目がシェリーを見ていた。何が大丈夫なのだろう?


 シェリーは気がついていないが、ポロポロと涙が溢れ落ちている。カイルはその涙を舐めとる。


 もう一つの金色の目がシェリーの涙を拭い取る。


「シェリー。何か嫌な夢を見たのか?」


 そう聞くのはリオンである。


 夢?確かに嫌な夢ではあった。シェリーはため息を吐き、リオンの言葉に答えず起き上がろうとするが、起き上がれない。


「まだ、起きるには早い時間だよ」


「今度はよい夢をみるといい」


 そう言いながらリオンはシェリーの黒髪を撫でている。


 よい夢。この状態で見られるとは思えない。そもそも寝れる気がしない。


「起きます」


 しかし、2対の金色の目がシェリーが起きるのを阻んでいる。


「シェリーは何が悲しかったのかな?」


「シェリーは何が辛かったのだ?」


 二人から泣いていた理由を問われるがシェリーは答える気はなく。


「何もありません」


 と答える。しかし、その言葉で納得できる二人ではない。番であるシェリーが泣いていたのだ。ただの夢でも許せるものではない。


「シェリーがごめんなさいと何に謝ることがあったのかな?」


「シェリーを泣かす者がいるなら、それが誰であろうと殺してやろう」


 なにやら、リオンが物騒なことを口にしているのを聞いてシェリーは深くため息を吐く。


「ただの幼い子どもの夢ですよ。非力な子供が母親から殴られ、それをかばったの傷が癒せない非力な子供の夢」


 そう答えたシェリーは二人から抱きしめられていた。抱きしめられているシェリーは何故、こんなことになっているのかと、死んだ魚の目をしていた。


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