第3話 かりん
その少女は今日も独りぼっちだった。
「おい! かりんだ! かりんが来たぞ!」
「げ…ほんとだ。逃げようぜ、燃やされるぞ」
「…まって! 私そんなことしないよ? 一緒に遊んでよ」
「やーだね! お前と遊ぶなってかーちゃんに言われてるからな!」
「逃げろ逃げろ! 化け物が来たぞ!!」
「私、化け物じゃないよ…。なんで…」
少女はその場にうずくまって涙を流す。それが、少女の日常だった。
しかし、その日はいつもと違うことが起こった。
「君はかりんという名なのかね?」
何やら高貴そうな着物を着た男性が話しかけてきた。
「え? おじさんはだれ?」
「ああ、私は
君の事を助けに来たんだよ」
そういってその男性は優しげに笑った。
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今、潤たちは長野県砂和市の山奥にいた。
砂和市は長野県南信地方の市であり。砂和湖に隣接する工業都市であるとともに、砂和湖や上砂和温泉、砂和大社の上社、砂和高原を抱える観光都市でもある。
江戸時代は高島藩の城下町であり。戦後、時計、カメラ、レンズなどの生産が増え、山と湖のある風土と相まって「東洋のスイス」と称されたことでも有名である。
その砂和湖を北に臨む西砂和山。そこに、呪術家・天藤家の屋敷はあった。
天藤家の当主・
「…そうして、京での政争に負けた乾重延公は、この砂和に流されました。ゴホ…
そして失意のもとに亡くなったとされております」
「…それで、その死後、天変地異がおこったと?」
「ええ、主に大火でしたが…。その大火の原因こそ乾重延公の怨霊であったわけです。…う…ゴホゴホ…」
「大丈夫ですか成政様?」
真名が心配げに当主に言う。
「いえ大丈夫、これを食べていればすぐ直ります」
その当主の座っている席の近くには『
「蘆屋殿も食べてください。喉によく聞きますよ」
そういって当主は真名に砂糖漬けの皿を差し出した。
「はい、後でいただきます。それで…」
「ああ、話が途中でしたな。
…そして、その怨霊の調伏に、我ら天藤家のご先祖である
そうして起こった怨霊との戦いは三日三晩続いたとされております。その後、なんとかこの地に怨霊を封じることができた一成様は、この地に家を建て怨霊を奉ってその霊を慰めたとされております」
「なるほど。その乾重延公を今回再封印すると…」
「そうです。再封印の儀式は、『封印塚』の前に護摩壇を置いて、一成様の残された修法に基づいて行われます。その所要時間は約二十分…。
儀式自体は私と家の者が行います。
蘆屋殿には、三分ほど続く一時的な封印解除状態の間、塚の周囲から怨霊が出ないようにする陣の作成・起動・維持。
そのお弟子さんには、怨霊が塚のそばから離れないよう縛呪で呪縛しておいてもらいます。
それで…」
当主は少し不安そうに、真名の後ろでひたすら黙っている潤を見る。
「大丈夫なんでしょうな? お弟子様の方は…」
「…それは大丈夫です。彼の力は私が保証しましょう」
「それならいいのですが…」
当主との話を終えた二人は用意された客室に向かった。
その途中の廊下で潤が口を開く。
「それで僕は、何をすれば…」
「ふう…。お前、成政様の話を聞いていなかったのか?」
「すみません…」
「お前がするのは…ようするに、
封印が解けた瞬間に、塚から出てくる怨霊に『不動縛呪』と、『使鬼の目』の霊威圧を合わせてかけて三分間維持することだ。
塚から出てくる怨霊は、成政様方の『再封印修法』と、私の『対怨霊封陣』の併用で力が大幅に弱まっているから、今のお前なら十分こなせる仕事だ」
「三分間…」
「心配するな。もし何かあれば私がフォローする」
「は…はい」
潤はうつむき不安そうにそう言った。
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西砂和山某所『封印塚』。
その時、潤は手持無沙汰だった。
師匠である真名は、当主とともに再封印儀式の準備を行っている。
『再封印修法』と『対怨霊封陣』、どちらも専門的な知識が必要なものであり、自分では手伝おうにも手伝えない。
「ふう…」
潤はため息をつく。
真名が大丈夫と言った以上、自分でも大丈夫な仕事なのだろうが、不安感がぬぐえない。
失敗するつもりは毛頭ない、でも不安なのだ。緊張しておなかが痛くなってくる。
そうして三十分ほど悩んでいると、陣の準備を終えた真名さんが潤のもとにやってきた。
「潤。もうそろそろ儀式が始まるぞ…。準備することがあるなら急げよ」
「は…はい! 僕は大丈夫です」
何が大丈夫なのか…僕は心の中で自嘲した。
こうして、怨霊・乾重延公再封印儀式が始まった。
そして、それは潤の不安の通り、一つの事件に発展するのである。
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「……サラバボッケイビヤク……サラバタタラタセンダマカロシャダ……ケンギャキギャキサラバビギナン……」
西砂和山『封印塚』に天藤家当主の呪文が響き渡る。
怨霊・乾重延公再封印の儀式が始まってすでに十分が経過していた。
あと二分ほどで潤たちの仕事が始まる予定である。
「……締め寄せて縛るけしきは……念かけるなにわなだわなきものなり……」
厳かな呪文は最高潮に達していく。
(おちつけおちつけおちつけおちつけおちつけおちつけおちつけ…)
そして潤の緊張も最高潮に達していた。
ふと、封印塚に小さな光が灯る。そして、塚自体がカタカタと音を立て始めた。
(もうそろそろか…)
さらに一つ、さらに一つ、と…小さな光は増えていく。
そうして二十ほども光が現れた後、光は更なる変化を起こした。
光が一転に向かって集まっていく。そして大きな光へと変化した後それは人型をとり始めた。
…ふと、どこからか不気味な声が聞こえてきた。
【ァァァァァァアァァァァァァアアアアアアアアアアアア……】
「オン!!」
次の瞬間、真名が印を結んで『対怨霊封陣』を起動し、維持し始めた。
呪が光の人型に浸透していく。
【アアアアアアアアアアア……】
聞こえる声が少し小さくなった。
潤は素早く印を結ぶと呪文を唱えた。
「オンキリキリ、オンキリキリ、オンキリウンキャクウン」
<
「はあ!!!!」
気合一閃。不動明王の霊威が顕現する。
その瞬間、僕の意識にズンと重い霊圧がかかってきた。
(く…!!)
その霊圧は、潤の体を振り回し、押し倒そうとするものであった。
つい印が解けかける。
「潤!」
真名の叱咤が飛んだ!
「!!!」
潤はなんとか持ちこたえた。そして、今度は『使鬼の目』を起動するため精神を集中する。
カッ!!!
潤は光の人型をにらみつけた。人型は一瞬揺らいで動きを止めた。
それとともに、潤の身にかかっていた霊圧が弱くなっていった。
(これであと三分…これならいける!)
潤はそう思った。
始め異変に気付いたのは真名だった。
「? これは…」
【あああああああああああああ…】
以前とは聞こえてくる声の声質が変わっていたのである。
次の瞬間、護摩壇で呪を唱えていた天藤家当主がその場に倒れた。
「当主様!!!」
突然のことに、儀式を手伝っていた天藤家の者たちは当主のもとに集まってくる。
「…ちがう…これは」
「どうしました?! 成政様?!!」
真名が当主に向かって叫ぶ。
「ちがう…これでは呪が…」
何が違うというのだろう?
真名がそう考えていると、光の人型を縛っていた潤が叫んだ。
「真名さん、見てください!」
「?!」
光の人型に大きな変化が表れていた。それは…
「な?!! 女?」
そう、それは確かに女だった。
ぼろぼろの着物を身にまとい、額から二本の角をはやした鬼女。
光の人型はそれに変化したのである。
【あああああああああああああああああ!!!!!!】
『再封印修法』が中断された影響だろうか。女の怨霊の叫び声が大きくなってきた。
すると、次第に潤への霊圧が重いものに戻っていく。
「く!!!」
「いかん!!!」
真名はそう叫んで当主の方に向き直った。
「成政様! 儀式を続けてください!
このままでは怨霊をとどめておくことが出来なくなります!」
「ちがうのだ…」
「それはいったいどういうことですか?!」
「先ほどまでは確かに乾重延公だった。しかし、今は別の怨霊に代わってしまった。これでは呪をつづけられない…」
「な…!!!」
それは緊急事態であった。怨霊の再封印は失敗したのである。
真名は一瞬で判断した。
「潤!!! お前は一旦縛呪を解け!!!
後は私が何とかする!!」
「……」
「潤?!! どうした? 聞こえないのか?!」
「……」
潤は女の怨霊をだまって見つめたまま動かない。
「潤!!!!!!」
真名がさらに大きな声で叫ぶ。それでも潤は動かない。
(なんだ?! 何が起こってる?)
真名がそう思ったときだった。それまで動かなかった女の怨霊の腕が動いた。
【
その腕から恐ろしく大きな炎の渦が現れる。それは、潤を狙って飛んだ。
潤は意識が飛んでいるのか、全く動かなかった。
「潤!!!!!!!!!!!!」
真名は『対怨霊封陣』を解いて、潤に向かって飛んだ。
呪物を用意する暇も、呪文を唱える暇もなかった。
そして…
ドン!!!!
巨大な爆発が真名と潤を包み込んでしまった。
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潤が意識をとり戻したのはそれからすぐだった。
「うん? …僕は…」
「大丈夫か…? 潤…」
起き上がろうとした潤にそう声がかけられる。
「真名さん?」
潤は真名の声が聞こえる方に振り向いた。
「!!!!!」
そこに真名が立っていた。左腕から肩にかけて大きなやけどを負った姿で。
「真名さん!!!」
「うむ…」
そういって真名さんは笑った。
その時潤はやっと今の事態を思い出した。
「真名さん! もしかして僕をかばって?」
「ふ…。気にするな。『妖縛糸』で何とか防いだからな。
この程度の傷どうということはない…」
「真名さん…」
潤は後悔した。僕はまた誰かに庇われたのか…と。
「真名さんすみません…」
「謝る必要はない。それにその暇もない…」
真名はそう言って鬼女の怨霊をにらみつけた。
ふいに、怨霊の方から声が響く。
【やっと…やっとだ…。やっと封印を抜けだしたぞ!!!
この地に封じられて幾年月、この機会をどれだけ待ったことか!!
ははははははははは…!!!!!!!】
それは、姿に反して男の声だった。
【我が名は乾重延!!
よくも我をこの地に封じてくれたな!!
許さぬ!! 許さぬぞ!!!】
どうやら、この鬼女の怨霊は確かに乾重延公であるらしい。ならばなぜ…
「なんなのだ…その姿」
天藤家当主が驚愕した表情で言う。
それに構わず怨霊が告げる。
【さあ一成の子孫ども、わが炎を浴びて灰になって死ぬがよい!!!!!】
怨霊の腕に炎の渦が宿る。それは天藤家当主に向けられていた。
真名さんが飛んだ。
【
【
『法則』が顕現する。
ドン!!!!
炎の渦が消滅し、凄まじい勢いで蒸気が立ち上った。
「そこまでだ重延公」
【ぬう? 小娘! 我の邪魔をするな!】
「そういうわけにはいかん…」
【邪魔をするならまず貴様から灰になってもらうぞ】
そういって怨霊は腕を真名に向ける。すぐに炎の渦が現れた。
【火怨燐!】
【水克火】
再び『法則』が顕現する。
ドン!!!!
再び炎の渦が消滅する。間髪入れずに真名が叫んだ。
「静葉!!!」
怨霊の周りに無数の蜘蛛糸が舞う。そして…
「ノウマクサマンダバザラダンカン…」
宙に舞っていた蜘蛛糸が一瞬炎をまとったように赤く輝く。
そして、次第に糸同士が絡まりあい、無数の縄に姿を変えた。
<
【ぬ?】
怨霊は一瞬動きを止めていた。この術は、かのフェニックスをとらえた、火行の属性を持つ化け物を封じる呪である。
しかし…
【こんなもの…】
「キリギリ」という音を立てて不動羂索が切れかけた。真名はすぐに印を結んで精神を集中する。
それで、なんとか呪が解けるのが止まった。
真名は冷や汗をかいた。
目の前の怨霊は確かに火行の属性を帯びていた。だから、土行の属性の不動縛呪なら完璧に縛れるはずであった。
しかし、怨霊は明らかに規格外であった。本来解けないハズの縛呪が解け始めてしまったのである。
だから、印を結んで呪を維持しなければならなかった。
(これは、まずいな…)
今、目の前の怨霊は封印から抜けたばかりである。まだ完全には力を取り戻していない。
今のうちに、なんとか再封印する方法を考えなければならない。真名は思考を巡らせ始めた。
(そういえば…)
真名は先ほどの潤のことを思い出した。
こちらが声をかけても全く動かない潤。それが意味するのは…
「潤!!」
真名は印を結んだまま潤に声をかける。
「はい!」
「おまえ…さっき何をみた?」
「え? それは…」
「いいから話せ…。お前はさっき何を”
潤は一瞬ためらったが、さっき”
それは、怨霊に残った記憶の残滓だった。
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かりんは砂和の地の名もなき村で生まれ育った。
かりんは一見普通に見えた。だが、彼女は生まれつきある能力を持っていた。
それは火をともすこと。
彼女の両親は、彼女のことを神がくださった神の子だと考えた。しかし…
ある日、かりんは能力のことで、近所の子供たちにいじめられたことがあった。
その時つい使ってしまったのだ、火をつける能力を。
それ以来、近所の子供はかりんのことを化け物と呼んで近づかなくなった。
両親は彼女のことをあからさまに疎むようになった。
そうして、かりんは独りぼっちになった。
「おい! かりんだ! かりんが来たぞ!」
「げ…ほんとだ。逃げようぜ、燃やされるぞ」
「…まって! 私そんなことしないよ? 一緒に遊んでよ」
「やーだね! お前と遊ぶなってかーちゃんに言われてるからな!」
「逃げろ逃げろ! 化け物が来たぞ!!」
「私、化け物じゃないよ…。なんで…」
かりんはその場にうずくまって涙を流す。それが、かりんの日常だった。
そんな彼女を家の影から覗く者たちがいた。
「法師殿…本当にあの娘がそうなのですか?」
「ええ、間違いないですよ。彼女がいれば例の術は完成いたします」
「そうですか。ならば話は早い…」
二人の影のうち一人がかりんに近づいていって話しかけた。
「君はかりんという名なのかね?」
「え?」
かりんは突然話しかけられて驚いていた。
この村には、わざわざかりんと話をしようなどと思うものはいなかったからである。
「おじさんはだれ?」
かりんはおずおずとそう答える。
その男は努めて優し気に微笑むと言った。
「ああ、私は
君の事を助けに来たんだよ」
「君を助けに来た」男は確かにそう言った。
かりんはなんのことだかよくわからなかった。
「君…。他の人にはない能力を持っているね?」
「あ…」
かりんは顔をひきつらせた。その能力は自分にとって忌むべきものだったからである。
「ああ…そんな顔をしなくてもいい。私は実は陰陽師でね」
「おんみょうじ?」
かりんは陰陽師を知らなかった。慌てて、男は言い変える。
「ようするにかりんと同じ力を持つ仲間なのだよ」
「仲間?」
かりんは驚いた。仲間などと呼ばれたのは初めてだった。
「もし、その能力で困っているなら。私が何とかしよう」
かりんは自分のこの忌むべき能力を何とかできるならしたかった。
だから、すぐに答えてしまった。
「おじさん! 私の能力を消してください!」
「ああ、そうかい? わかった。ではついておいで」
男はかりんの手をつかむと村はずれに向かって歩き出す。
「おじさん。本当に力を消してくれるの?」
かりんはもう一度男に聞いてみた。男は答える。
「ああ、任せてくれ大丈夫だよ」
男はかりんの手をつかんだまま速足で歩いていく。
かりんはそれに一所懸命ついていった。すると…
「連れてきたようですね重延殿…」
家の影から知らない男が現れた。
「おお、法師殿、早速儀式をとり行ってくれ」
「はい、それでは準備に入りましょうか」
かりんはその男から妙な気配を感じた。だから、重延に聞いてみた。
「あの、その人は?」
「この方は、君の能力を消してくれるありがたいお方だ」
重延はそう言ってにやりと笑う。嫌な予感がした。
「やっぱり私帰ります」
かりんはそう言って男たちから離れようとした。
しかし、重延はかりんを握った手を離さない。
重延はいやらしい顔で笑った。
「…ダメだよ? もう遅い」
突然重延がカリンを担ぎ上げる。かりんは悲鳴を上げようとした。しかし…
「急々如律令」
その言葉が聞こえたかと思うと。突然かりんの意識が遠のいた。
「お父さん…お母さん…」
それが、そのときかりんが発した最後の言葉になった。
こうしてかりんは村から姿を消した。そして二度と戻ってくることはなかった。
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かりんが意識を取り戻したとき、どこかわからない暗いところに寝かされていた。
「気が付いたかね?」
ふいに、どこからか男の声がする。それは、さっき『法師様』と呼ばれた男のものだった。
「?」
かりんは声のする方に向こうとした。しかし、体は何かに縛られているかのようにピクリとも動かない。
「動こうとしても無駄だよ。縛術をかけているからね」
かりんはなんのことかわからない。ただ両親のところに帰りたかった。
「お願い私を帰して!」
「フフ…ダメだよ。君は大切な呪の材料なんだから…」
ふと、どこからか重延の声がした。
「儀式はまだですか? 法師殿」
「ああ、もう始めますよ。
しかし、物好きですね。儀式を間近で見たいなんて」
そういって『法師』はふふふと笑う。
かりんは何が起こっているのか分からなかった。
ただ恐ろしいことが始まろうとしているという予感だけあった。
「では…」
『法師』の声が近づいてくる。寝ているかりんにもその姿が見えた。
「!!!!」
その手に小さな刃物を握っていた。かりんは嫌な予感がした。
そして、それは当たってしまった。
ずぶり…
「ああああああああああ!!!!!!!!」
突然かりんの右手のひらに恐ろしい痛みが走った。それは、刃物が手に食い込んでいく痛みだった。
『法師』はさらにもう一枚刃物を取り出す。そして、今度はかりんの左手に突き刺す。
ずぶり…
「ああああああああああああ!!!!!!!!」
そして、また一枚刃物を取り出し今度はかりんの右足に突き刺した。
ずぶり…
「ああああああああ!!!!!」
重延が『法師』に声をかける。
「この娘、儀式が終わる前に死んだりしないでしょうね…」
「大丈夫ですよ…。特別な呪の効果で意識と身体を維持しておりますから。
儀式が終わるまでこの子は
死ぬことも気絶することも出来ません…」
かりんはこの場から逃げたかった。だから、忌むべき力にすがった。
…が、しかし炎は出なかった。
「無駄ですよ? あなたの力は呪で封印してあります」
ずぶり…
「あああああああああああああ!!!!!」
『法師』はそう言って刃物をかりんの左足に突き刺した。
「フフフ…そうです。もっと悲鳴を上げてください。
もっと苦痛で悶え狂ってください。
その、悲鳴、苦痛…
それが呪の糧となるのです」
それから、かりんにとって地獄が始まった。
『法師』がさらに刃物を取り出し体のいたるところに突き刺し始めたのである。
五本…十本…十五本…
かりんは絶望的な痛みに悶え狂った。
「ああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
「ナウマクサンマンダボダナンアギャナテイソワカ」
さらに1本刃物を突き刺す。
「ナウマクサンマンダボダナンアギャナテイソワカ」
さらに1本刃物を突き刺す。
「ナウマクサンマンダボダナンアギャナテイソワカ」
さらに1本刃物を突き刺す。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
さすがに気分が悪くなったのか重延が『法師』に話しかけてくる。
「それで、この儀式はいつまで続くのですか?」
「もうすぐ終わります」
「え? 本当ですか?
それで私にこの娘の力が宿るのですね?」
「そうです」
「じゃあ早くしてください!」
「わかりました…。それでは」
『法師』は最後の刃物を懐から取り出す。そして…
「ナウマクサンマンダボダナンアギャナテイソワカ」
重延の胸に突き刺した。
「!!!!!」
重延は突然のことに言葉もなく倒れた。
「フフフ…これで、儀式は完了です」
「法師…様、なぜ…」
「そういえば言っていませんでしたか?
この儀式にはあなたの命も必要なのですよ…」
「が…は…」
「よかったではないですか。
これであなたは、憎き相手を祟り殺すことができますよ」
「法師…騙した…な」
「何も騙していませんよ?
初めから、私にとってあなたも『実験』の材料だっただけです」
「ら…乱道…ほぅ…し」
そして、重延はこと切れた。その瞬間
【ああああああああああああああ!!!!!!!!!!】
【アアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!】
かりんと重延、両者の体から光が立ち上り一つになっていく。
その時になってやっとかりんは死ぬことが出来た。
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(なるほどそういうことか…)
潤の話を聞いて真名は納得した。目の前にいる怨霊は、二つの人間の魂を繋げて作られた人工的な怨霊だったのである。
真名はそのような外法に一つ心当たりがあった。
…心当たりのとおりだとすると、
重延公の怨霊は、重延公の魂を基盤として、そこにかりんの魂を埋め込んで形成されていると考えていいだろう。
要するに、基盤となる怨霊・重延公に、『他の魂(この場合かりん)の能力』を取り込んでいる形である。
怨霊が鬼女の姿をしているのは、かりんの魂の側面が強く表に出てきているからだ。
だが本来、この術で埋め込まれた側は、これほど強く表に出ることはない。
なぜなら、埋め込まれた側は、例えばパソコンに組み込まれたソフトウェア、程度の存在だからである。
ソフトウェアを組み込んだだけで、パソコンの外見が変わったりなどしないだろう。
このように表に出てくることがあるとすれば、理由はただ一つ、重延公とかりんの呪的接続が解けかかっている場合だ。
それなら、『再封印修法』が失敗した理由も、封印が弱まっていた理由もわかる。
二つの魂が分裂を始めていることで、怨霊の組成そのものに変化が起こってしまったからである。
ようは、昔封印した当時の怨霊とは、別の怨霊になってしまっているのだ。
ならばやることは一つだ…
「潤、今から言うことをよく聞け」
「はい!」
「今から、重延公の怨霊を弱体化する。
その方法は、重延公の怨霊に取り込まれているであろう『かりんの魂』を開放することだ」
「そんなことが出来るんですか?」
「ああ、お前と私でやるんだ…」
「え?」
「今から私は、縛呪から縛陣に切り替えて、重延公とかりんの魂のつながりを切り離す。
そうして、切り離したかりんの魂を、お前が怨霊の中から摘出するのだ」
「…魂を摘出。それはどうやって?」
「お前の『使鬼の目』を使う。お前が、かりんの魂と同調すれば、すぐに魂を摘出出来るだろう」
「でも…そんなこと…」
潤は失敗してしまうのではないかと不安に思った。しかし、
「迷っている暇はないぞ…。それに、大丈夫だ、今のお前なら必ず成功する」
真名はそう宣言した。
潤は決意した。
「わかりました! やってみます!」
「よし!」
真名はそう言って微笑む。
そうして作戦が始まった。
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【フフフ…もうすぐだ…】
怨霊は力を取り戻しつつあった。不動羂索が「ミシミシ」という音を立てて切れ始める。
(これまでか…)
真名はそう考えて不動羂索の呪を解く。
すぐに怨霊が動いた。
【火怨燐!】
【水克火】
三度『法則』が顕現して炎の渦を消滅させる。
(水の用意はあと一つ…)
それは、怨霊の『火怨燐』を防げる回数があと1回であることを意味する。
「愚かだな重延公…」
【なに?】
「己の復讐を遂げるためと、どこぞの法師に言われて騙され。挙句の果てに、一人のかわいそうな娘まで犠牲にするとは。
みさげはてたクズだぞ重延…」
【ぐ…、貴様…言わせておけば…】
「…フン。その力もしょせん娘の力。そんなまがい物の力で倒せるほど、蘆屋の陰陽法師は甘くないぞ!」
【口の減らぬ小娘が! この我の力をまがい物と申すか!
ならばその身で受けてみるがいい!!!】
怨霊はあっさりと挑発に乗った。
(よし…)
真名は天藤家当主たちから離れるように飛んだ。
「ほら、どうした? 打って来い重延」
【ぬう! 火怨燐!!】
「ふ…」
真名は炎の渦を防ぐのではなく避けた。
「当たらんなあ重延。下手くそめ…」
【くぬぬぬ…貴様が!!】
怨霊は怒り心頭で真名を追う。完全に我を忘れていた。
(あとはこれで…)
真名は懐からいくつかの種類の呪物を取り出した。
そしてそれを、怨霊の攻撃を避けつつ周囲にまき始めた。
【火怨燐!! 火怨燐!!】
「ふん当たらんぞ!!」
さらに二回、真名は炎の渦を避ける。そのころにはすべての準備が整っていた。
「ここまでだな重延」
【貴様! 何を言っておる! 何がこれまでだと】
「こういうことだ…」
真名のその手には、最後の『
「ナウマクサンマンダボダナンバルナヤソワカ…」
<
次の瞬間、陣が起動して特殊地形効果が表れる。
【な?!】
再び、怨霊がその場に呪縛される。
『水天霊縛陣』それは、
対象の霊圧の大きさにかかわらず、30秒間その場に呪縛する陣である。
呪縛時間が固定である代わりに、精神集中での維持をする必要がない。
そのため、使用した術者は、その間他のことが出来る。
<
ふいに真名の腕から光の帯が漏れ出す。その光の帯は怨霊に向かって飛んで、その身体に浸透を始めた。
そして…
「よし!! 切断完了だ!
潤、すぐに摘出をしろ!!」
「了解!」
潤はそう言って、怨霊をにらみつけた。今度は『使鬼の目』が起動する。
次の瞬間、潤の目の前が反転する。
-----------------------------
かりんは今日も独りぼっちだった。
「おい! かりんだ! かりんが来たぞ!」
「げ…ほんとだ。逃げようぜ、燃やされるぞ」
「…まって! 私そんなことしないよ? 一緒に遊んでよ」
「やーだね! お前と遊ぶなってかーちゃんに言われてるからな!」
「逃げろ逃げろ! 化け物が来たぞ!!」
「私、化け物じゃないよ…。なんで…」
かりんはその場にうずくまって涙を流す。それが、かりんの日常だった。
しかし、その日はいつもと違うことが起こった。
「君…かりんちゃん…だよね?」
そこに知らない少年が立っていた。かりんは突然話しかけられて驚いた。
この村には、わざわざかりんと話をしようなどと思うものはいなかったからである。
「おにいちゃんはだれ?」
かりんはおずおずとそう答える。
少年は優し気に微笑みながら言った。
「僕の名前は矢凪潤…
君の事を助けに…
……
…いや違う、僕は君と友達になりたいんだ…」
「え?」
それは思ってもいない言葉だった。自分と友達になりたいだなんて。
「本当に? 友達になってくれるの?」
「うん、これから一緒に遊ぼう…」
そういって少年が手を出す。かりんは恐る恐るそれに触れる。
ふと、何やら恐ろしい記憶を思い出しそうになった。
「あああ!!!!」
突如として少女の全身から炎が吹き上がる。少年はそれに巻き込まれた。
「いやああああああ!!!!!」
かりんは炎を上げながら涙を流す。
せっかく友達になろうと言ってくれた人を燃やしてしまった。このまま、自分も灰になってしまいたかった。
しかし…
「?」
突然、かりんは誰かに抱きしめられた。それは先ほどの少年だった。
「だめ! 私から離れて!!!」
「大丈夫…。大丈夫だよ…」
「燃えちゃうよお兄ちゃん!!」
「大丈夫…。かりんちゃんの受けた苦しみに比べたら、こんなもの…」
「お兄ちゃん…」
「大丈夫だから…」
そういって少年はかりんの頭を撫でた。いつの間にか炎は消えていた。
少年はかりんに笑顔を向ける。
「さあ、かりんちゃん…一緒に遊ぼう」
「…う、うん」
かりんは涙を流しながらそう答えた。
-----------------------------
それは、現実の時間では、ほんの一瞬の出来事であった。
怨霊の胸から光の玉が現れたかと思うと、潤のもとへと飛んで行ったのである。
それは、かりんの魂だった。
潤はその光をしっかり抱きかかえる。
「よしやったな潤!」
そういって真名が笑う。
【アアアアアアアアアアアア!!!!】
ふいに怨霊が苦しみだした。その姿が、鬼女のものから、着物を着た鬼のものへと変化する。
【力が…力が抜ける…なんだこれは…】
「もう終わりだよ…重延公…」
【おのれ…。貴様…】
怨霊は苦し気に真名を睨み付ける。
真名はそれを無視して、天藤家当主の方を見る。
「成政様」
「は…はい…」
「もはや『再封印修法』は失敗しております。
この怨霊はこちらの方法で封印いたしますがよろしいか?」
「仕方ありません。そうしていただきたい」
それを聞いた真名は拳を握りしめ怨霊に向き直った。
そして、それはすぐに果たされたのである。
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「本当にありがとうございました」
事件の翌日、天藤家屋敷の門の前で、天藤家当主はそう言って頭を下げた。
あの後の、重延公の怨霊の封印はあっさりしたものだった。
かりんの力を失った怨霊には、ほとんど力が残っていなかったからである。
はっきりいって、符術数枚程度で滅ぼすことが出来たろうが、天藤家が奉っている御霊である以上滅ぼすわけにもいかない。
「それでは」
「はい、道禅様によろしくお伝えください」
真名と潤はこうして道摩府への帰路に就いた。
「あの…真名さん」
「なんだ?」
「その…かりんちゃん…
本当に連れてきてよかったんでしょうか」
そうして、自分の周囲に漂っている少女の霊を指さす。
霊はゆらゆら揺れながら潤の腕にまとわりついてくる。
「うむ…。仕方あるまい。
その子は重延公とは無関係なんだ。それに怨霊化もしていない。
奴と一緒に封印してしまうわけにはいかん」
「では、これからこの子はどうなるのでしょう」
「…その子は、長年怨霊に取り込まれていたせいで、輪廻の枠から外れてしまって、いわゆる『妖魔化』をしてしまっている。
だから、もう普通の霊のように成仏が出来ない。成仏が出来できない以上、道摩府が『妖魔』として保護することになる」
「ようするに僕の時と一緒ですね?」
「まあ、そういうことだ…」
ふと、真名が潤の肩をたたく。
「それでだ…。その子の面倒はお前に見てもらう」
「え? 僕ですか?」
「ああ、お前になついているようだからな。
他の誰よりも適任だろう?」
そういって真名は笑う。
潤はかりんの方を見た、かりんはうれしそうに頷いた。
こうして、僕の初めての任務は終わりを告げた。
そしてこの時のかりんとの出会いが、のちに大きな試練を乗り越える力になるのである。
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