第1話:見知らぬ国と人々について

「あーあ。将来の夢、か……」



 将来の夢ーー。そのフレーズを耳にするだけで、自然と喉の奥から溜息がもれる。先生から渡された真っ白な原稿用紙の入ったランドセルが、やたらと重く感じられる。


 今日の国語の授業の最後に、『将来の夢』というテーマで、作文を書くよう宿題を出された。将来の夢、なんて。作文のテーマとして、定番中の定番。特に今年が五年生で、十歳ーー、大人である二十歳の丁度半分の年齢に達する僕等には、うってつけのテーマだそうだ。


 だけど、大人達は誤解している。子どもなら、誰もが夢を抱いていると。そうに決まっていると、信じて疑わないのだ。



「なんだよ、エイゾーってば。辛気臭しんきくさい顔をして」



 僕の隣を歩いていた翼が、ばんっ! と、僕の背中を強く叩く。



「そんなの、適当に書いちゃえばいいんだよ」


「適当って、翼にはちゃんと夢があるから、そんなことが言えるんだろう?」


「ああ。俺はもちろん警察官!」



 翼は腕を横に伸ばし、ひじから先を額の方向に曲げて、敬礼のポーズを取る。


 翼のお父さんも警察官で。だからだろう、翼の夢は、幼稚園の頃からすでに警察官になると決まっている。



「僕は、普通にサラリーマンかなあ」



 僕等の前を歩いていた拓は、真っ青な空を眺めながらそう呟く。すると、翼はまたしても八の字を寄せ。



「拓も夢がねえなあ」


「だって。僕にはなんの特技もないもん」


「なんだよ、拓は勉強ができるじゃないか。それに、そのかわいい顔だって。この間も六年生の姉ちゃん達が騒いでいたぞ。『拓くん、かわいい!』って」


「もう! 顔のことは言わないでって、いつも言ってるじゃん。それにね、僕くらい勉強ができる子なんて。全国にはごろごろいるよ」


「もう。そうやって直ぐ自己否定するの、拓の悪いくせよ」



 拓の隣を歩いていた芳子も、桜色の唇をつんととがらせて翼を援護する。そして、くるりと肩上で切りそろえられた、毛先が外側にはねがちな髪の毛を揺らしながら振り返り。



「アタシは、そうだなあ。やっぱり医者かな。一人娘だもの、アタシが家の病院を継がないとね。

 それで、エリちゃんと莉裕也は?」


「私はもちろん 莉裕也様のお嫁さんですわ」


「エリちゃんはぶれないわね。でも、そんな夢、先生に怒られない?」


「あら、どうしてですの? 夢は夢ですわ」



 たっぷりのフリルがあしらわれた黒いワンピースに身を包んでいるエリちゃんは、宝石みたいな目を丸くさせ、こてんと首を傾げさせる。


 その光景に、芳子は一つ乾いた息を吐き出させ。



「まあ、エリちゃんの家、お金持ちだもんね。わざわざエリちゃんが働かなくても、ゆうゆうと生活できるだろうし」


「で。問題の莉裕也様の、将来の夢はなにかなあ。莉裕也様もパパの跡を継いで、政治家ですかー?」


「うるさいっ! 汚いバカ面を近付けるな」


「ああっ!? 誰がバカ面だ!」


「もう! 翼も莉裕也も、ケンカは止めなさい!」



 取っ組み合いを始めようとする翼と莉裕也を、芳子がとっさに止めに入る。


 二人は馬が合わないのか、ささいなことでいつもケンカを始める。まあ、短気で冗談の通じない莉裕也のことを、翼が一々からかうのが原因なんだけど。



「全く、いつもケンカして。アンタ達は本当にあきないわね」


「仕方がないよ、翼と莉裕也だもん。それで、エイゾーは? 将来の夢」


「拓ってば、なにを言っているんだよ。エイゾーは発明家になるに決まってるだろう。

 なっ、エイゾー」


「うーん、それは無理かなあ」


「えっ、どうしてだよ?」



 ぐいと身を乗り出す翼に、僕は。



「お母さんに、そろそろ止めなさいって言われてるんだ。そんなガラクタばかり作っている暇があるなら、もっとちゃんと勉強しなさいってさ」



 昨日の夜も言われたばかりだしなあ。


 つい鬼のお面をつけたお母さんの様子を思い返していると、翼が僕の方へさらに身を乗り出し。



「なんだよ、母ちゃんに言われたくらいであきらめるなんて。男なら言い返せよな」


「みんな翼みたいに単純じゃないんだよ。

 そう言えば、エイゾー、またなにか作っていなかったっけ?」


「ああ。それなら昨日、丁度完成したんだ。ほら、立体映像複製機」



 僕はズボンのポケットの中から、懐中電灯のような筒状の機械を取り出す。



「ライトを改造して作ったんだ。始めにコピーしたい対象に機械を向けて、赤のボタンを押してデータを読み込ませるんだ。それから青いボタンを押せば、機械に読み込んだ対象物のコピーを出すことができるんだよ」


「へえ、おもしろそうだな。ちょっと貸してくれよ」



 拓のことを押しのけて手を出してくる翼に、僕は機械を渡し。



「このボタンを押せばいいのか? どれ、どれ……。

 ……ん? おい、エイゾー。なにも起こらないけど、壊れているんじゃないか?」


「えっ、本当? あれ、おかしいな。昨日はちゃんと動いたのに」



 翼から機械を返してもらい、僕も何度かボタンを押すけれど。動作不良か、一向に動かなかった。配線が切れちゃったのかな、家に帰ったら直さないと。


 壊れた機械をポケットにしまっていると、不意に芳子が、

「あっ、そうだ」

と、一つ、ぱんと手を叩き。



「ねえ、これからみんなで秘密基地に行って、宿題の作文を書いちゃおうよ」


「おっ。それ、いいな。ナイス、芳子!

 よーし。そしたら、秘密基地まで競争だー! 最下位だったやつが、みんなの分もアイスおごりな」



 翼は一人勝手に決めると、続けて、「よーい、どん!」と、かけ声を上げる。それを合図に、みんなは一斉に日和山ひよりやまを目指して走り出した。


 日和山とは名前に山がついているけど、本当は山ではなく公園で。だけど、山とついているだけあって、園内には小高い山がある。町内では一番大きくて広く、近所に住む僕等にとっては、昔からの格好の遊び場だ。春になると園内中に桜が咲き乱れるので桜の名所としても有名で、春になるとお花見をしに町中の人がこぞって集まる。


 そんな日和山公園の山中には古い小屋があり。そこにみんなでゲームやマンガ、お菓子なんかを持ち寄って、僕達の秘密基地に改造していた。小さな田舎町の、近所の子供ーー、つまりは僕等以外にはお年寄りぐらいしか、めったに訪れない場所だ。しかも、この小屋があるのは勾配こうばいが高い山の頂上付近なので、公園に来るお年寄りですら、余程足腰に自信がある人しか登っては来ない。


 それにしても、翼ってば。僕が運動は苦手なこと、知っているくせに。


 気付けば僕は、あっという間にみんなから離れていってしまう。それでもどうにか手足を動かし、みんなの元に追いついた。


 けれど。



「どうしたの? みんな立ち止まって。中に入らないの?」


「入らないのって……」



 みんなの視線の先をたどっていくと、僕等の秘密基地である小屋の周囲に、黄色と黒のしましま模様のテープがぐるぐると巻き付けられていた。刑事ドラマでよく見かけるものだ。テープをよく見ると、『危険! 立ち入り禁止』という文字が書かれていた。



「なんだよ、これ。どうして俺達の秘密基地が立ち入り禁止になっているんだよ!?」



 やはりここで、翼がいの一番に叫んだ。


 そんな翼に続いて、拓も、「あっ!」と声を上げ。



「そう言えば、前にうわさで聞いたことがある。この山に、なにかの研究施設が作られるって話を」


「なんだよ、それ!? 誰が決めたんだよ、そんなこと」


「僕に言われても。そういうことは、大人が勝手に決めちゃうもの」


「だから、どうして大人だけで決めるんだよ。俺達にも関係あることなのにさ」


「いくらここでわめいたって仕方がないよ。状況はなにも変わらない。

 あっ。だめだよ、翼。勝手に中に入ったりしたら。ばれたら怒られちゃうよ」



 拓が今にも小屋の中へと飛び込みそうな翼を羽交いじめにし、必死に押さえ込む。



「くっそう、俺達の秘密基地だったのにぃー!」



 翼は悔しげに大声を上げ、その場で大きく地団駄を踏んだ。だけど、翼だけではない。彼みたいに公に態度には出さなかったけれど、突然僕等の憩いの場が奪われたのだ。僕だって悔しいし、歯がゆかった。いや、僕と翼だけでなく、みんなだって同じだ。


 翼は思う存分怒りを地面にぶつけ終えると、肩を上下に激しく動かし息を整える。そして。



「よし。こうなったら……」


「こうなったら?」


「代わりの場所を探そうぜーー!」


「代わりの場所って、言ったって……」



 みんなはお互いの顔をーー、眉尻を下げた顔を突き合わせた。


 あの後、翼の発案に従って、みんなで町内中を探し回ったけれど。案の定、こんなご時世だ。誰にも知られそうにない遊び場なんて、そう簡単に見つかる訳がない。



「あーあ、秘密基地かあ……」



 やっぱりないよなあ、そんな都合の良い場所なんて。


 すっかり日が暮れてしまったので、その日は解散となり。続きは、明日以降に持ち越されることになった。


 家に帰って夕食を済まし、それからお風呂に入って。自室に引き下がると、僕は昼間壊れてしまっていた立体映像投影機の修理を始めた。


 が、それも無事に終わり。時計を見ると、気付けば針は十一時を示していた。僕は慌てて部屋の電気を消すと、ごろんとベッドの上に寝転がる。目をつむり、周りの闇に溶け込むよう、自然とおそって来た眠気に素直に従って意識を手放そうとした。


 けれど。



「ん、あれ……。なんだ、あの光は……?」



 タンスの後ろ側から薄っすらと、かすかにだが光のようなものがもれていた。僕は起き上がると、タンスを横に押して動かす。すると、その後ろから扉が現れた。



「これって、もしかして押し入れ……?」



 僕の部屋に押し入れがあったなんて。何年もこの家に住んでいるのに、今まで全然気付かなかったや。


 この部屋は元々お父さんが使っていたらしいが、僕が生まれてからは、いつの間にか僕の部屋になっていた。もしかしたら、お母さんもこの押し入れの存在を知らないかもしれない。


 どうやら光は押し入れの中からもれているみたいで。僕は固唾かたずを呑むと、押し入れの扉をゆっくりと開けていった。


 すると、もわっとカビ臭い匂いが鼻をくすぐり。けれど、それも直ぐに忘れさせられる。中は思っていたよりも広く。たくさんの段ボールに棚、本やオルガンなど、今では使われていないものがたくさんしまい込まれていた。見事にガラクタばかりである。


 それらを眺めながら、僕は問題の光の方へと進んで行く。すると。 



「なに、これ……?」



 光の出所は、直径十センチくらいの丸い石で。例の光は、この石から放たれていた。僕はおそるおそる、その石へと手を伸ばす。


 石を掴んだ瞬間ーー、その石は、さらに輝きを増し。あまりの眩しさに、僕はつい目をつむってしまう。けれど、光が弱まったのか。どうにかまぶたを開かせていくと、いつの間に現れたのだろう。目の前には、黒い大きなもやのようなものが渦巻いていた。


 果てしない暗闇のトンネルが、ずっと、ずっと遠くまで続いているようで。覚束おぼつかない。どこまで続いているのか、僕には全く検討がつかなかった。


 だけど、またしても、もやの奥の方がちらちらと瞬いており。悩んだ挙句、僕は意を決すると例の石を強く握りしめながら、一歩、強く目をつむったまま足を踏み出した。


 薄っすらと瞳を開けていき。たった一歩進んだだけにも関わらず、僕の周りは一瞬の内に、四方八方闇に包まれていた。恐怖心というのだろうか。僕の意思とは無関係に全身がおののき出し、身震いが止まりそうにない。けれど、それでも僕は好奇心には勝てず、一歩、また一歩と、同じ動作を繰り返させる。僕の視界は黒一色、ただ真っ直ぐに遠くの光を目指して歩き続けた。


 一体どのくらいの時間が経過したのか。全く分からない。時計を持ってくればよかったと半ば後悔していると、真っ暗闇の向こう側が急に明るくなり出し……。



「うわあっ……!」



 その眩しさに、僕は思い切り目をつむりーー。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






「うん……、あ、あれ……?」



 ちちち……と軽やかな小鳥のさえずりが、鼓膜をそっと優しく震わせ。きらきらと降り注ぐ陽の光がまぶたをくすぐらせ、僕はゆっくりと重たいそれを開かせていく。すると、視界に入って来た景色は、僕の部屋でも押し入れでもなく、全く見覚えのないものであった。


 今、僕がいるのは、どうやら木造の建築物の中らしく。ぐるりと辺りを見回すと、壁に、神社とかでよく見かける、しめ縄といったっけ? 縄に稲妻のようなジグザグとした形の白い紙が、中央あたりに三、四個付いたものが飾られていた。ここは、どこかの神社の社の中だろうか。


 立ち上がろうと右手を床につけると、指先に、コツンとなにかがぶつかった。視線を落とすと、そこには丸い石が転がっていた。それはここに来る前に押し入れの中で見つけた、例の石であった。


 拾い上げてその石をよく見ると傷一つなく、中をのぞき込むと、牡丹の花かな? 花びら一枚一枚が大きくて豊かな、一輪の真っ赤な花の模様が浮かび上がっていた。石自体も先程までの強い光はもう放ってはいなかったが、きらきらと輝いていて、とってもきれいで。緻密ちみつなほど精巧な丸い形をしたそれは、石というより珠といった方が適切かもしれない。


 まだ少し頭がくらくらしたけど、それでも僕は立ち上がり。おそるおそる、目についた扉の方へ向かい、ゆっくりとそれを開けていく。すると、眩しい光が、またしても僕の方に一気に飛び込んできた。


 眩しさに思わず目をつむってしまったけれど。それでもどうにかまぶたを開かせていくと、目の前には一人の少年が、なぜか呆然ぼうぜんとした表情で地面に座り込んでいた。


 少年は僕と同じくらいの年頃に見えたが、僕よりも背が高くて色黒で。すらりと伸びた手足の筋肉は、程よく発達している。いが栗頭で、薄手の着物かな? おそらく繊維は麻だろう。簡素な一枚の布を身にまとっている。背中には弓と、何本かの矢が入った細長い筒が背負われていた。


 僕と目が合うと、少年は、ますます瞳を大きく開かせていき。



「かみ、さま……? すごい、すごい、神様だ。本当に、本当に言い伝え通りだ……!」



 少年は突如とつじょ立ち上がると、僕の周りをぐるぐると回り始め。そして、ひざまずいたかと思うと、両手を合わせてあがめ出す。



「神様だ、神様だ……!」


「神様だって? ちょっと待って! 僕は神様じゃないよ」


「えっ、そうなのか? それじゃあ、どうして社の中にいたんだよ」


「それは、僕にもよく分からなくて。家の押し入れで見つけた石が光り出したと思ったら、黒いもやのトンネルみたいなものが現れて。そのトンネルの中を歩いていたら、また前の方が急に明るくなって、気付いたらここにいたんだよ」


「なにを言っているのか、よく分からないけど……。とにかく、お前は神様ではないんだな」


「うん、僕は普通の人間だよ。井出いで英造えいなっていうんだ」


「イデエイナ? 変な名前だな、イデエイナなんて」


「違うよ。井出は苗字で、英造が名前。でも、みんなからは、エイゾーって呼ばれているんだ」


「ミョウジ? なんだよ、それ」


「えっ、苗字を知らないの? 苗字は、ええと、説明するとなるとむずかしいな。つまり、家の名前かな」


「家に名前なんてあるもんか」


「家というか、家族の集まりだよ。お父さんとか、お母さんとかと同じ苗字を名乗ることで、その人達と血のつながりがあることが分かるんだよ」


「俺に家族なんかいない」


「え?」


「俺には、父ちゃんも母ちゃんもいない」


「そうだったんだ。えっと、なんかごめんね」


「なあに。別に気にしてなんかいないさ。生まれた頃からいなかったんだ。それに、俺には犬彦いぬひこがいるしな」


「犬彦って?」



 少年の視線の先を追うと、いつの間にか彼の足元には一匹の大きな犬がいた。つい驚いてしまうと、少年は、けたけたと声を上げて笑った。



「コイツは俺の相棒で、犬彦っていうんだ。で、俺の名前は三平さんぺいだ」


「そうなんだ。それにしても、随分と大きな犬だね」



 犬彦は、じろりと鋭い目つきで僕のことを見上げ……、いや、にらみつけ。



「気安く犬と呼ぶでない。吾輩の名は、犬彦だ」


「え……? う、うわあっ!? この犬、喋ったぞ!」


「ああ。犬彦は人間の言葉を話すことができるんだ」


「できるんだって、どうして?」


「さあ? 犬彦とは俺が赤ん坊の頃からずっと一緒にいるけど、初めから喋っていたからな。賢いからだろう」



 犬が人間の言葉を話しているにも関わらず、三平はひょうひょうとしている。気にしている僕の方がおかしいみたいだ。



「それにしても。お前の格好、変わっているな。一体どこの村の人間なんだ?」


「村? 僕の住んでいる町は村じゃなくて、日和町ひよりちょうだけど。それに、これはパジャマといって、寝る時に着る服だよ。

 君、パジャマを知らないの?」


「パジャマだって?」



 またしても三平は、ぽかんと間の抜けた表情をする。


 そんな彼をよそに、僕は辺りの景色を見回すと。目に入るものは、豊かな緑色の葉をまとった木々ばかりで。ビルもなければコンビニも、デパートも、家一軒すら見当たらず。どこまでも、ずっと、ずっと遠くまで緑一色が続いている。以前本や教科書で昔の町並みの写真を見たことがあるけど、その写真で見た景色よりもさらに殺風景だ。


 まるで……。



「ねえ、三平。今年って、何年?」


「はあ? 何年って?」


「だから、西暦だよ、西暦。僕は西暦二千十八年の人間だよ」


「お前、さっきからなにを訳の分からないことを言っているんだよ」


「だから! ……多分、僕は君達にとっては未来の人間で、ここ、過去に、つまりは君達の時代にタイムスリップーー、時空を飛び越えて来ちゃったんだよ」


「未来だってーー?」



 三平の目が、ますます大きく見開いていく。


 けれど、次の瞬間。



「はははっ。お前、格好だけでなく、頭の中も面白いんだな!」



 三平はお腹を抱え、けらけらと盛大に笑い出した。


 僕は、思わずむっとしてしまい。



「本当だって! 確かに信じられないかもしれないけど。僕だってまだ信じられないくらいだもの。でも、僕は君達にとっては未来人なんだ!」



 僕が強く主張したからか、笑いっぱなしだった三平は太い眉を下げ。



「分かった、分かったから。お前の言うこと、信じてやるよ。

 それにしても。未来ねえ……。一体どうやって、その未来とやらから来たんだよ」


「それが、僕にもよく分からないんだ。でも、多分、この珠が原因だと思うんだ」


「珠だって?」



 珠と聞いた途端とたん、三平の顔色が急に変わり。



「あっ……、あっ、あっ、あーっ!!

 おい、お前。その珠……!」



 三平は狼狽ろうばいしたまま、僕の手の中の珠を強く指差す。興奮からか全身が震えている彼に僕が珠を渡すと、三平は早速珠の中をのぞき込み。



「間違いない、この珠だ……。話で聞いていた通り、花の模様が刻まれている……。

 やった、早速一つ見つかるなんて……! お前、やっぱり神様だろう?」


「だから、神様じゃないよ。僕の家の押し入れの中にあったんだ。それで、この珠を見つけた途端、光り出して。気付いたらあの社の中にいたんだ。

 それで、その珠がどうかしたの?」


「これは、姫御子ひめみこを倒すのに必要な珠なんだ!」


「姫御子? 姫御子って、誰? どうして倒すの?」


「お前、なにを言っているんだよ。姫御子を知らないなんて。うそだろう。一体どこの田舎者だ?」


「むっ。確かに僕の町は田舎だけどさ。でも、姫御子なんて一度も聞いたことがないよ」



 僕が怒った顔をさせてみせると、三平は今までの態度をがらりと変え。



「悪かった。お前が未来から来たって話、本当に信じるよ。姫御子を知らないなんて、この時代の人間でなかったらおかしいもんな。

 いいか、姫御子っていうのは不思議な力を持っていて、その力でこの世界を支配しているやつのことだ」


「不思議な力?」


「ああ。姫御子は何百年と生き続けていて、ある時は大地を揺るがし、ある時は川を氾濫はんらんさせ、あまつさえ天候までも操って、人々に恐怖を与えて支配する。それが姫御子だ。そんな姫御子に唯一対抗できるのが、この伝説の珠なんだ」



 三平は、彼の手の中に収まっている例の珠を指で示した。



「この珠みたいに花の模様が刻まれている珠が全部で八個あって、全て集めると姫御子の力を封じることができるって、俺の村に言い伝えがあるんだ。だから、俺と犬彦でその珠を集めて、姫御子の支配からこの世界を救うんだ。

 そのための旅路前に神様にお参りしてから行こうと思って、ここの神社に立ち寄ったんだ。もう一つ、村の言い伝えがあるんだ。強い願いを持つ者がこの神社で拝みし時、神がその身を現すだろうってさ」



 なるほど、そうだったのか。それで僕が社の中から現れたもんだから、三平はあんなにも驚いていたのか。



「それで、姫御子を倒せるとかいう残りの珠は、一体どこにあるの?」


「さあ? 知らないよ」


「知らないって……」


「知らないから探すんだろう」



 確かに三平の言う通りだ。簡単に納得させられる。


 僕はどうしようか迷ったものの、元の時代に帰る方法は全く分からず。辺りには家も人も見当たらないので、取りあえず三平達について行くことにした。


 けれど。



「さてと、第一の宝珠は見つかったものの。次の宝珠はどこにあるのやら……」


「早速行き詰まっちゃったね。なにかヒントとかないの?」


「それを知っていたら苦労しないぜ」


「そうだよね」



 またしても三平の意見に納得させられていると、突然三平の手の中が光り出し。



「うわっ!? なんだ、急に珠が光り出したぞ……!?」



 珠から発せられていた光は、次第に一本の帯のような形へと変わり。とある方角目がけ、真っ直ぐに指し示した。



「ねえ、三平。もしかして、この光の方に行けばいいんじゃない?」


「この方角は、北東だな。まろこの森の方だ。他に手がかりもないし」



 僕等は顔を見合わせると、そろって同じ方向へと歩き出す。


 僕は裸足だったので、三平が予備で持っていた草鞋わらじかな? それを借りて履いているけれど、親指と人差し指の間の付け根が次第に痛んできて、スニーカーと比べて随分と歩きづらい。


 慣れない草鞋でそれでもしばらく歩いていると、次第に辺りの緑が深くなっていき。先程彼の言っていた、まろこの森とやらに入ったのだろう。天高くまで伸びた木々のせいで日差しが地上まで届かないのか、まだ昼間なのに薄暗くてうっそうとしており、まるで夜のようだ。至る所に黄色い花が咲いていて、それがまた一層と不気味さを演出させていた。



「なんだか気味の悪い所だね」



 僕がそう言うと同時、犬彦がぴたりと足を止め。



「どうした、犬彦」


「妙な気配がする……」


「妙な気配だって?」



 犬彦から答えが返って来るよりも先に、前方の茂みが大きく揺れ動き。その中から、数匹の野良犬達が現れた。


 野良犬達は、そろって凶悪そうな顔をしている。噛まれたら、おそらく一溜まりもないだろう。


 犬彦は咽を鳴らして威嚇いかくするけど、犬彦一匹だけでは彼等にはとても敵いそうにない。三平も背負っていた弓を手に取り、矢をつがえる。



「ちっ。もしかしてコイツ等、姫御子の手下か」


「えっ。姫御子って、動物も操れるの?」


「天候を操れるなら、動物だってきっと操れるだろう。俺達の企みを知って、阻止しようとしているんだな。

 おい、エイゾー。お前、武器は持っていないのか?」


「そんなもの、持ってないよ」



 まさか過去にタイムスリップして、その上、野良犬におそわれそうになるなんて。思ってもいなかったもの。どうしよう。


 僕は悪あがきとばかり、せめて武器になりそうなものーー、木の棒でも落ちていないかと野良犬達から視線を外さないよう注意を払いながらも辺りを見渡すが、残念ながら都合よく落ちてはいなく。体中の穴という穴から汗が吹き出し、全身が冷たく凍りつく。


 思わずぎゅっと手でスボンを握りしめると、なにか硬い塊が手に当たった。



「あっ、そうだ……!」



 急いでポケットの中をあさると、……あった! 僕は掴み取ったものを素早く取り出す。そして、それを犬彦に向け赤いボタンを押し。それから、次にダイヤルをいじると、今度は青いボタンを押した。


 すると、犬彦の後方にもう一匹ーー、元の犬彦より十倍近くも巨大な犬彦が現れた。それを目にした瞬間、野良犬達は、「きゃわん!?」と情けない音を上げ。それから、巨大な犬彦が、「わん!」と一声、大きな声で吠え立てると、野良犬達は先を争うよう、一匹残らず森の奥へと駆けて行った。


 その光景に、僕の口からは安堵あんどの音が大きくもれ。全身の力が抜けていき、ぺたんとその場に座り込んだ。



「おい、エイゾー。お前、一体なにをしたんだ?」


「なにって、この機械で犬彦のコピーを作ったんだ。とは言っても、立体映像だけどね。ついでにそのコピーを元の大きさより拡大させたんだ」


「立体映像? へえ……! なんだかよく分かんないけど、すごいな。そんな不思議なことができるなんて。お前、やっぱり神様だろう!」


「違うよ。僕はただの人間。まあ、この機械を作ったのは僕だけどね。これは科学の力だよ」


「カガク? なんだよ、それ」


「科学っていうのは……、うーん、説明するとなるとむずかしいなあ。

 とにかく、僕は普通の人間で神様ではないの」



 そう強く主張したけど、三平はすっかり興奮していて、あまり話を聞いてくれない。おそらくこの時代の人には、科学を理解するのはむずかしいだろう。


 どう説明したらよいものか悩んでいると、犬彦が、「わん!」と、一声吠え。



「三平、あれを見よ」


「どうしたんだよ、犬彦……って、あっ! あれは……!」



 三平は、とっさに犬彦が鼻で指し示した方へと駆けて行き。



「これは、宝珠だ……! ちゃんと花の模様も刻まれている。きっとあの野良犬達が持っていたんだな。すごい、一日に二個も手に入ったぞ!」



 まさかの二つ目の宝珠の入手に、三平は小躍りする。


 喜びを噛みしめながらも僕達は再び歩き出し、深い森を抜けると、気付けば空はすっかり暗くなっていた。


 三平は、足を止め。



「今日はこの神社で休もうぜ」



 そう言って、丁度森の出口付近に建てられていた、小さな神社を指差した。



「でも、良いのかな? 勝手に中に入ったりして」


「他に休める場所がないんだ。神様だって、きっと許してくれるよ」



 そう言うと三平はずかずかと鳥居を潜り、社の中へと入って行く。僕も犬彦も、彼の後をついて行った。


 中に入って扉を閉めると、突然第一の宝珠が強く光り出し。それから、いつの間にやら黒いもやが目の前に渦巻いていた。



「あっ、このもや。この世界に来る時に通って来たのと同じものだ!」



 もしかして、またこのもやの中を通って行けば、元の時代に戻れるのかな?


 僕の考えが三平にも伝わったのだろう。



「そうか。エイゾー、帰っちゃうのか」


「三平……」


「なあに、俺達のことは気にするなよ。俺達二人だけでも、十分残りの珠は探し出せるよ。

 なっ、犬彦」


「左様。お主が気にかける必要はないぞ」


「エイゾー。ありがとう、お前のおかげで助かったよ」


「……うん。僕も少しの間だけど、ちょっとした冒険ができて楽しかったよ」



 名残惜しさを感じつつも僕は二人に別れを告げると、一人、黒いもやの中を進んで行く。すると、過去に行った時と同様、急に目の前が明るくなり出し。その眩しさに耐えられなくなると、僕は自然と強く目をつむりーー。



「う、ん……。あ、あれ……?」



 目を覚ますと、そこはどうやら僕の部屋の押し入れの中で。僕はまだはっきりと覚醒かくせいしない頭を、それでもどうにか動かす。扉を開けると、その先も見慣れた僕の部屋であった。



「三平達のことは、夢だったのかな……?」 



 ぐるりと押し入れの中を見回すけれど、黒いもやのトンネルは跡形もなく消えていた。その代わり、三平に渡してきたはずの第一の宝珠が、なぜか床に転がっていた。


 あの世界は、一体なんだったんだろう。それから不思議なことに、一睡もできていないはずなのに、僕はちっとも眠くはなかった。むしろ熟睡できた時みたいに、妙に頭がすっきりとしていた。


 押し入れを出て時計を見ると、時刻は朝の五時過ぎを示していた。過去の世界でほぼ一日過ごしたはずなのに、どうやら元の世界では六時間ほどしか経っていないようであった。


 僕はすっかり頭がさえてはいたけど、それでも寝ていないのだ。色々と疑問が残っていたものの、それでも念のため、一時間ばかりでも寝ておこうと。しずしずとベッドの中へと入っていった。

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