噴進弾

「こいつ、夜の担当だから、オマケしてあげてよ!」

 早めの夕食をとりに食堂に並んでいると、僕の後ろにいた小村軍曹が炊事の兵にそう話し、同時に僕の肩を叩いた。

「お前、またアレに乗るんだろう」

「二型乙のことですか?」

「射撃訓練でお前が一番的に当てたそうじゃないか。今夜こそやってやれ」

「たまたまですよ。それに、夜の爆撃なんて今までなかったじゃないですか」

「昨日までそうだったからって、今日がそうだとは限らないだろう? 秋川」

「そうですが…」

 窓の外を真っ赤に夕焼けが染め、一日の終わりを彩っていた。

 いつもと同じ夕焼け。だけど、「昨日までそうだったからって、今日がそうだとは限らない」という小村軍曹の言葉が頭に残った。今は戦争だ。今日まで一緒だった戦友が明日にはもういないかもしれない。

 3月になっていくらか昼が長くなっていたが、西から吹いてくる風は冷たく、まだまだ冬の気分だった。その冷え切った屋外では、今夜僕が乗るかもしれない戦闘機——二式単座戦闘機二型乙が整備を受けていた。

 僕、秋川滋伍長は、山盛りのどんぶりを体で隠すようにしてかっこんだ。パイロットはただでさえ他の兵よりおかずが何点か多い。米だって今は貴重品だ。誰かの嫉妬を招かないように、できるだけ目立たないように空腹を満たした。


 夜の9時を回った頃、房総半島の方から敵の爆撃機が近づいているという情報で、僕らはエプロンに並べられた機体に駆け寄った。

 中島製の二式単戦。『鍾馗』という愛称があるらしいが、僕らはキ44、あるいは単に「44(よんよん)」と呼んだ。頭でっかちの銀色の機体が夜空に鈍く光っていた。

 最小限の灯りの元、エンジンを始動し、僕らの小隊は次々と離陸した。

 離陸が完了して飛行場の照明が落とされると、大地は深い夜の闇に覆われた。空は月と、いくらかの星明りがあるものの、地上は墨を流したように真っ暗だった。灯火管制でどこも電灯を消している。そうでなくても、柏飛行場のあたりは畑ばかりだった。

 飛行機の音を察知したのか、東京と思しき黒々とした地面に、突然、カッと光の帯が現れた。地上の探照灯——サーチライトだ。強烈なライトはぐるぐると夜空を回り、敵の姿を探した。

 僕らはその光芒を遠巻きに見ながら、高度を3,000メートルほどにとって、ゆるく東京の周囲を回った。ライトが光ったおかげで地面の位置を確認でき、不慣れな僕は自分の機位を見失わずに無事飛ぶことができた。

「一度基地に戻る」

 1時間ほど飛んだだろうか。無線から小隊長の声が一言聞こえた。

 計器を頼りに基地の方向を目指し、それらしい場所を通過すると、地上に飛行場の照明が灯った。左主翼の着陸灯を煌々と照らして、僕らは着陸した。陸軍は単座の戦闘機も夜間飛行を一通り習得させられる。わずかな飛行時間で着任したばかりの僕も、いつの間にか夜でも飛べるようになっていた。


 着陸すると、基地が騒然としていることに気づいた。

 エプロンに戻ると早々に燃料補給が始まった。

「もう一度飛ぶぞ!」

 待機所ピストで一息入れていると、司令部から命令を受け取ってきた小隊長の中田少尉が叫んだ。

「秋川、行けるな!」

 一番若い4番機の僕の肩をたたいた。

「行けます!」

「その意気だ」

 同じように、他のパイロットにも声をかけ、小隊長は機体に乗り込んだ。

 0時を回って日が変わってから、夜間を担当していた44の小隊は再び離陸した。

 世界は一変していた。

 からっ風を向かい風に滑走路を北北西に離陸し、左に旋回して高度をとりながら、徐々に東京が見える方向を向くと、遠くに早くも火の手が上がっていた。

 東京の市街地はあちこちで探照灯が空を照らし、高射砲陣地から次々と撃ち上げられていた。

 探照灯の一つがB-29爆撃機の姿を捉えた。意外なほど高度が低かった。強烈な光に金色に輝きながら、爆撃機は腹の下から何かを落とした。そしてやがて、探照灯が捉える限界を過ぎ闇に消えた。


 高度2,000mに上昇し、都心を目指している間に、恐ろしい速さで火の手は広がり、東京の下町一面が赤々と燃え上がった。

 その上空を、探照灯照らし出されたB-29が何機も飛んでいた。

 あまりにも高度が低く、本当に同じB-29なのか、しばらく自分の目を疑った。しかし、その金属の輝く機体は、繰り返し覚えさせられてきた敵の爆撃機そのものだった。

「探照灯が捉えた敵を、見つけ次第攻撃せよ!」

 小隊長の震える声が響いた。

 僕は、夜にもその位置が見えるようになった荒川を超え、北から燃えさかる下町に突進した。その前方に探照灯の光芒が立ち上がり、悠然と飛ぶ1機のB-29を捉えていた。さっと周囲を見たが、この敵を狙うのは僕一人のようだった。

 東に向かい、左側面を晒す敵爆撃機に、僕は同じ2,000メートルの高度から突進して、照準器に胴体と主翼の交点を捉えた。下界は炎が眩しく輝き、熱気に機体が揺すられる気がした。

 ――まだだ――

 照準器のレティクルの中で大きくなってゆく敵機に追いすがりながら、僕は自分に辛抱強く待つよう言い聞かせた。敵の尾部銃座は盛んに射撃をしていたが、光芒の中からは僕ら戦闘機は見えていないようだった。

 大型の4発爆撃機は戦闘機に比べてはるかに大きく、接近するとすぐ、今にも衝突するかに思えた。

「テッ!」

 風防いっぱいに、輝く敵機の胴体で埋め尽くされたという瞬間に、声を出しながら機関砲の発射ボタンを押した。

 ドン!ドン!ドン!

 強烈な振動とともに、ゆっくりとしたペースで両翼の40mm機関砲が火を吹いた。

 自身のロケット燃料で銃身内を加速した弾丸は、遅い初速のために若干下に向かい、そして命中した。

 B-29の左後ろから右前へ、機体の上面をすり抜けるように僕は飛んだ。垂直尾翼に接触すると本気で思った。

 機体を追い越してから、左に機体を傾け、鋭く旋回して自分の戦果を確認するため敵の方向を見た。

 爆撃機は空中で炎の塊になっていた。巨大な主翼が天に向け折れ曲がり、左右に分離したそれぞれが木の葉のように不安定に舞いながら落ちていった。


 やがて僕の機体は、まだ爆撃されていない闇に沈んだ街の上空に出た。

 僕が落とした1機を気にとめることもなく、空を赤く染め上げる炎の上を、金色に輝きながら、何機も、何機も、何機も、敵の爆撃機が飛んでいた。下界の炎が明るすぎて、探照灯に頼らなくても敵を視認することができた。

 絶大な威力を見せた40mm機関砲は、わずか9発ずつの噴進弾を使い果たし、もはや有効な武器はこの手になかった。

 小隊の他の3機の姿も、見失っていた。

 僕は燃える下町を遠巻きに飛び、江戸川を見つけて遡上した。

 真夜中にも関わらず、地上の形が分かり迷わず基地に向かって飛べるという現実が、僕を大きく戸惑わせていた。


【参考資料】

陸軍2式単座戦闘機「鍾馗」,『世界の傑作機』, N.16, 1989.5.

渡辺洋二:「重戦がめざす敵」,『陸鷲戦闘機』,光人社NF文庫.

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