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2020年8月12日 17:17 編集済
件の日本軍のお話ですね! このまま松山二飛曹の物語が続くのか、それとも全く別の展開が待っているのか、楽しみです。4機単位を「小隊」、2機単位を「分隊」としておられますが、海軍パイロットの回想では2機単位はよく「区隊」と表現されています。(出典は後ほどきちんと追記します。)ただ、厚木の例ではないですし、343空(紫電改の方)では4機が区隊で2機は「ペア」だったりと、部隊ごとの差異もあるようです。厚木では「分隊」で通っていたのでしょうか。2020.8.12. 21時追記申し訳ありません。区隊=2機単位は全くの誤解でした。正しくは区隊=4機単位でした。343空の例が他の部隊にも当てはまるようです。343空については碇義朗『紫電改入門』(光人社NF文庫)P.201に「四機編隊を一単位として区隊とよび、第一、第二区隊八機で第一小隊を編成し、二個小隊一六機が一飛行隊として行動する」とあります。なお「ペア」についてはP.221の図に記述がありました。パイロットの回想については戦闘303(203空)にいた安部正治氏の「我が胸中にのこる零戦撃墜王の素顔」,『空戦に青春を賭けた男たち』(光人社NF文庫)P.242に「ラバウル戦が終わるころの昭和十八年末ごろまでは、主として三機編成であり、以後は四機を一区隊とする編隊空戦論がもっぱらとなった」とあります。(「区隊」の語は同書の他の方の回想にも何度か出てくるのですが、何機編成かわかるような書き方ではありませんでした)より決定的な資料がないかと思い、アジア歴史資料センターのデータベースに当たってみました。ありました。昭和20年の210空の編成表です。https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C13120015400これによると、4機で1個区隊、2個区隊8機で1個小隊、2個小隊16機で1個中隊、3個中隊48機+予備員で1個飛行隊です。(『空戦に青春を賭けた男たち』には飛行隊24機や32機といった記述もあるので、中隊の個数は変動するものと思います)海軍飛行隊における「分隊」は、艦艇における、第〇分隊は砲術、航海、機関などといった部門の分け方に連なるものではないかと思うのですが、もう少し調べてみます。23時:さらに追記302空雷電部隊の編成に関する資料を見つけました。https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C13120000700「小隊」が最小単位のようです。主に3~4機を示す編成単位です。また、352空が2機単位を「分隊」と称していたことは確からしいですし、343空の「ペア」も搭乗員の言葉によって裏付けられたものではありません。航空隊あるいは飛行隊ごとに独自の表現を設定していたこと、302空の2機単位の用語が不明なこと、また陸軍飛行隊の用語から「2機単位=分隊」が一般的であることを考慮しても、作中の表現は「小隊」「分隊」ともに妥当かと思います。指摘のような形でコメントしてしまいましたが、「結局そのままが正しい」という結論なわけで、お騒がせしてすみません。ただ、僕と同じような疑問を抱いた方がこのコメントを見て納得してくだされば幸いです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。ロッテやセクションが日本軍ではどうだったかをざっと調べて、「分隊」にしました。コメントを見て、そうえいば海軍だと「ペア」だと思い出しました。ただ、渡辺洋二氏の『敵機に照準』の「ハイティーンが見た乙戦隊」では「分隊」が使われています。これは352空です。302空はまた違うかもしれませんが、何か資料が出てくるまでは「分隊」のままにしたいと思います。追記分読みました。詳しく調べて頂き頭が下がります。「分隊」が小隊の下位レベルなのは陸軍ですね。海軍の「分隊」はdivisionの訳だと先程調べました。このため、本来は陸軍の「分隊」より大きい単位です。分隊長は小隊長より偉く当然士官です。一方、坂井三郎など下士官が分隊士を務め組織をまとめました。その後4機編成の小隊が海軍にも取り入れられ、ロッテに相当する2機は、とりあえず352空では「分隊」だったようです。これは船乗りの「分隊」と別個に、section相当の「分隊」が新たに誕生したのだと思います。あるいは陸軍からの輸入か。こちらも、この辺気をつけて資料を見直したいと思います。追記:302空では「分隊」は機種ごとの区分みたいなので、分隊長機は3番機に修正しました。もともと雷電が対戦闘機戦のようにきっちり2機+2機の小隊を組むわけでもないのではというのもあります。
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件の日本軍のお話ですね! このまま松山二飛曹の物語が続くのか、それとも全く別の展開が待っているのか、楽しみです。
4機単位を「小隊」、2機単位を「分隊」としておられますが、海軍パイロットの回想では2機単位はよく「区隊」と表現されています。(出典は後ほどきちんと追記します。)
ただ、厚木の例ではないですし、343空(紫電改の方)では4機が区隊で2機は「ペア」だったりと、部隊ごとの差異もあるようです。
厚木では「分隊」で通っていたのでしょうか。
2020.8.12. 21時追記
申し訳ありません。
区隊=2機単位は全くの誤解でした。
正しくは区隊=4機単位でした。
343空の例が他の部隊にも当てはまるようです。
343空については碇義朗『紫電改入門』(光人社NF文庫)P.201に「四機編隊を一単位として区隊とよび、第一、第二区隊八機で第一小隊を編成し、二個小隊一六機が一飛行隊として行動する」とあります。
なお「ペア」についてはP.221の図に記述がありました。
パイロットの回想については戦闘303(203空)にいた安部正治氏の「我が胸中にのこる零戦撃墜王の素顔」,『空戦に青春を賭けた男たち』(光人社NF文庫)P.242に「ラバウル戦が終わるころの昭和十八年末ごろまでは、主として三機編成であり、以後は四機を一区隊とする編隊空戦論がもっぱらとなった」とあります。
(「区隊」の語は同書の他の方の回想にも何度か出てくるのですが、何機編成かわかるような書き方ではありませんでした)
より決定的な資料がないかと思い、アジア歴史資料センターのデータベースに当たってみました。
ありました。
昭和20年の210空の編成表です。
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C13120015400
これによると、4機で1個区隊、2個区隊8機で1個小隊、2個小隊16機で1個中隊、3個中隊48機+予備員で1個飛行隊です。
(『空戦に青春を賭けた男たち』には飛行隊24機や32機といった記述もあるので、中隊の個数は変動するものと思います)
海軍飛行隊における「分隊」は、艦艇における、第〇分隊は砲術、航海、機関などといった部門の分け方に連なるものではないかと思うのですが、もう少し調べてみます。
23時:さらに追記
302空雷電部隊の編成に関する資料を見つけました。
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C13120000700
「小隊」が最小単位のようです。主に3~4機を示す編成単位です。
また、352空が2機単位を「分隊」と称していたことは確からしいですし、343空の「ペア」も搭乗員の言葉によって裏付けられたものではありません。
航空隊あるいは飛行隊ごとに独自の表現を設定していたこと、302空の2機単位の用語が不明なこと、また陸軍飛行隊の用語から「2機単位=分隊」が一般的であることを考慮しても、作中の表現は「小隊」「分隊」ともに妥当かと思います。
指摘のような形でコメントしてしまいましたが、「結局そのままが正しい」という結論なわけで、お騒がせしてすみません。
ただ、僕と同じような疑問を抱いた方がこのコメントを見て納得してくだされば幸いです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
ロッテやセクションが日本軍ではどうだったかをざっと調べて、「分隊」にしました。コメントを見て、そうえいば海軍だと「ペア」だと思い出しました。
ただ、渡辺洋二氏の『敵機に照準』の「ハイティーンが見た乙戦隊」では「分隊」が使われています。これは352空です。302空はまた違うかもしれませんが、何か資料が出てくるまでは「分隊」のままにしたいと思います。
追記分読みました。詳しく調べて頂き頭が下がります。
「分隊」が小隊の下位レベルなのは陸軍ですね。
海軍の「分隊」はdivisionの訳だと先程調べました。このため、本来は陸軍の「分隊」より大きい単位です。分隊長は小隊長より偉く当然士官です。一方、坂井三郎など下士官が分隊士を務め組織をまとめました。
その後4機編成の小隊が海軍にも取り入れられ、ロッテに相当する2機は、とりあえず352空では「分隊」だったようです。これは船乗りの「分隊」と別個に、section相当の「分隊」が新たに誕生したのだと思います。あるいは陸軍からの輸入か。
こちらも、この辺気をつけて資料を見直したいと思います。
追記:302空では「分隊」は機種ごとの区分みたいなので、分隊長機は3番機に修正しました。もともと雷電が対戦闘機戦のようにきっちり2機+2機の小隊を組むわけでもないのではというのもあります。