第25話 もみじの秘密

バスケ部のいざこざもひと段落した。

 葛城さんとは時々ラ●ンでメッセをやり取りする中になり、薬師寺さんや阿久津先輩から舐められた視線を向けられなくなったほかはいつもと変りない。

 明日で一学期も終わり。退屈な校長の挨拶を聞き流し、黙々とホームルームを終え、夏休みに向けて浮かれるクラスメイトをどこか冷めた視線で見ていた。

 このまま帰ってもいいのだけど、お腹がすいたので食堂で昼ご飯を食べていくことにした。名栗高校は部活をする学生のため、食堂が終業式の日も開いているのだ。

 葛城さんは部活だけど、葛城さんと学校でご飯を食べたことは一度もない。僕には一緒に食べる友達もいない。

 もみじは大体別の友達と食べるし、今日はバイトがあるということですぐに帰って行った。

 一人で定食を頼み、普段より空いている席に腰掛ける。

 普段より閑散としている食堂で、一人で食事をとる。孤食、というやつだ。

 悪口を言われたり、冷やかされたりするわけでもない。食事に消しゴムのカスやゴミを入れられるわけでもない。

孤食。僕なりの理想の食事だ。

 でも、葛城さんと高尾山で食べたときのことを思い出すとふと寂しいと感じる。

 孤独に慣れていれば何も感じなくても、一度でも楽しい人との関わりを知ってしまうと寂しく感じるらしい。

 こういうの、良くないな。

 僕は思考を断ち切るために鞄からラノベの新刊を取り出す。挿絵が一般人に見られても大丈夫なタイプだ。

山と同じで、読書は一人でも楽しめる趣味なのがいい。

 文面を目で追っていき、物語の世界に入り込んでいくとさっきまでのことが嘘のように気にならなくなる。

 これでいい、いやこれがいい。

 誰にも邪魔されない、僕だけの時間と空間。

 山に登るのと同じだ。

 でもページをめくっていると、ふと集中が乱される。

 読み終わってしまったからだ。

 続きが気になる。確か新刊が出てたけど、まだ買ってなかったか。

 しょうがない、食べ終わったら買いに行こう。

 でも飯能町の本屋に、続きが売っていなかった。



ということで学校帰りに久しぶりに池袋まで遠出した。

僕の住む飯能町は埼玉県だけど、池袋は直通電車で一時間程度で行ける。

 池袋で最大の本屋、ジ●ンク堂に寄って続きが気になっていたラノベと登山雑誌のヤ○ケイを購入する。ジ●ンク堂は結構いろんな漫画の試し読みができるし、店内に喫茶スペースがあって買った本がすぐ読めるので重宝している。

 ただ、今日は喫茶スペースが珍しく満席だった。

 帰って読もうかと思ったけど、今日はすぐに読みたい気分だった。

どこにしようか? 図書館は意外とうるさいし、漫喫は雰囲気が好きじゃない。

どうしてもすぐに読みたくて、僕は喫茶店を探すことにした。お金もかかるから滅多に行かないけれど、いい店、特に個人経営タイプの喫茶店とかなら静かに読める。ファミレスはリア充がうるさい。

そのままスマホで喫茶店を検索する。駅近はビジネスマンが多くて落ち着かないから、駅から離れたところを中心に探す。そのうち、少し遠いけど良さそうな店を見つけた。

 よし、ここにしよう。

 ジ●ンク堂から十分ほど歩いて、緑色の看板の喫茶店に到着する。

 駅からは距離があり、雑居ビルが立ち並ぶところに位置する大通りからも少し離れた場所で周囲の雰囲気が少し怖い。この通りは以前に見た気がする。

 でも外から見た店の感じはそんなに悪くない。

 ガラスの壁に結構厚めのカーテンが引かれていて、中の様子がよく見えないけれど大きな話し声もしないし、静かな感じだ。

 僕は入り口のドアを開ける。

その瞬間、僕は自分の選択を後悔した。

「おかえりなさいませ、ご主人様。お席にご案内いたします」

そこにいたのは、メイドさんだった。黒のワンピースみたいな服の上から真っ白なエプロンを装着した、まごうことなきメイドさんだ。

足元は清純そうな白いタイツと黒いローファーという徹底ぶり。

テレビで時々紹介されるピンク色でミニスカートでやたらフリフリのじゃないけど、見てるだけで恥ずかしい。

 遠目に見ている分には可愛いと思えるかもしれない。二次元で、画面の外から見ているだけなら純粋に愛でることができるかもしれない。

 でも三次元でしかも僕個人に向かって声をかけて来られると、恥ずかしくて仕方がない。

それになんというか、場違い感がすごい。

メイド喫茶なんて来たことがない。一緒に来る友達なんていなかったし、一人で来る勇気はなかった。

山でトラバースっていう断崖絶壁を横に進む道があるけれど、一歩間違えば死ぬあの時よりも今の方が緊張が半端ない。

「間違えました」とか言って立ち去ろうかと思ったけど。僕の後ろに新しいお客さんが来ていた。早くしろよ、というオーラが感じられる。

立ち去れない!

 ええい、なるようになれだ。

 僕は案内されるまま席に着いた。

店内は二人掛けの席が十組ほど。

静かな音楽の他には小さめの声で談笑している客が二組。

しかし四人中三人が女性だ。

メイド喫茶といえば客は男性ばかりのイメージがあったから、少し意外だ。

店内は木目調の床と白いテーブルクロスがかけられた席、アンティーク調の棚くらいでシンプルな内装だ。例えるなら、映画やラノベで見るヨーロッパ中世のイメージ。

店内に聞こえるのは名前がわからないけどクラシック、その他は時々メニューを取りに行くメイドさんの声と紅茶を注ぐ音くらいで、落ち着く。

ファミレスみたいに騒がしい話し声や醜いリア充どもは一切いない。

入った時はビビったけど、これなら落ち着いて本が読めそうだ。

 店員のメイドさんが来るまでの間に少しでも読み進めようと、カバーをかけてもらったラノベを取り出す。そのまま視線を下に向けて読書を再開した。

 何ページか読んだところで、本越しに白いタイツに包まれたさっきより細い足が見えた。

「ご主人様、当店のご利用は初めてですか?」

 予想だにしないセリフに慌てて顔を上げた。

 なんというか特殊な店っぽいし、複雑な決まりでもあるのだろうか?

 僕はまた緊張しながら、声をかけてきたメイドさんの方を振り向いた。

 その瞬間、僕は目を疑った。


「谷風……?」


 シックなメイド服を身にまとったもみじがそこに立っていた。

 なんでもみじがここにいるのか。その疑問より先に、

可愛い。

 その感情が湧き上がってくる。

 見知らぬ女子がメイドさんの格好をして僕に話しかけてきたときはビビった。だけど、いつも制服姿で挨拶を交わしている女子が、黒のワンピースに白のエプロン、白タイツという非日常的な服を着ている。

 もみじのくりくりした瞳や栗色の髪、小柄な体形に驚くほど似合っている。

 店の中世のような雰囲気とも相まって、もみじがまるで学校の彼女とは別の存在のように感じられた。

 ヨーロッパ中世に転生したと言われたら信じていたかもしれない。

「は、はい。初めてです」

 僕はもみじに見とれながらも、質問されていたことを思い出す。つっかえながらもそう答えた。

「では当店のシステムをご説明させていただきます」

 一瞬呆けていたもみじだけど、すぐに仕事モードに切り替わったかのように説明をはじめた。この場では他の人の目もあるし、他人として接したほうがいいだろう。

 といってもシステム自体はそんなに難しくない。

 メイドさんの撮影は禁止とか、うるさくない程度に談笑してくださいとか、常識的なものだ。

 それからもみじは注文を取り、バックヤードへと下がっていった。

 この店のバックヤードはラーメン屋みたいに仕切りがないわけじゃないから中の様子は見えない。でも中から注文を伝えるメイドさんの声や、電話に対応する人の声が聞こえてくる。

ラノベの続きを読むけれど、もみじのことが気になって頭に入ってこない。

なぜここで働いていたのか。なぜそれを隠していたのか。

それになにより、もみじのシックなメイド服姿が頭にちらついて離れない。

「ご主人様、お待たせいたしました」

少し経つと白いティーポットとカップ、それに布でできた覆いのようなものをトレイに乗せたもみじがやってくる。

「ご主人様、利き手はどちらですか?」

 なぜ喫茶店で利き手を聞くのか疑問に思うけど、右と答える。するともみじはカップの右にスプーンを置いてくれた。

 それから白磁のティーポットから琥珀色の紅茶を注ぎ、僕の前に差し出すと布の覆いをティーカップにかぶせる。

 後で聞いたところこれはティーコーゼといって中の紅茶が冷めないようにするための覆いらしい。

「ではご主人様、ごゆっくりおくつろぎ下さい」

 そう言ってからスカートの端をつまみ、腰を折るように深く一礼して席から離れる。

 その深く腰を折った礼は、以前屋上への踊り場や陣馬山で見たものとよく似ていた。

 同時に、以前もみじを池袋で見失った場所とこの店がすぐ近くにあったことを思い出した。



僕が本を読み終わったころ、食器を下げに来たもみじが事情を説明したいと耳打ちしてきた。ちょうどバイトが終わる時間ということで、着替えたもみじと店から離れた喫茶店まで移動する。

二人で歩いている間、もみじはずっと無言で、下を向いて。

服が変わったせいもあるだろうけど、喫茶店での彼女とはまるで別人だった。

 ファミレスに着いて、ドリンクバーだけ注文して二人向かい合って座る。

 もみじが働くメイド喫茶と違って、騒がしくて落ち着かないけれど周りの会話に紛れて、自分たちの話し声が周囲から聞き取りにくくなるのがわかる。

 会話するためにファミレスに行くなんて初めてだけど、話をするためにファミレスに入る、という気持ちが少しだけわかって気がした。

 しばらく、飲み物に口をつけるだけの時間が流れる。

 お互いに話しかけにくい雰囲気だけど、ずっとこうしているわけにもいかない。メイド喫茶を出たときすでに傾き始めていた日は、夕方の茜色に染まりつつある。

僕の方から口火を切った。

「なんであそこでバイトしてるの? 名栗高校からも結構遠いのに」

「トラブル防止のために池袋から遠い学校の子を募集してるから。それに知り合いとできるだけ会いたくない。バイトしてる姿見られたくない子、いっぱいいるし。」

 最後のセリフだけ、吐き捨てるような口調になる。

「それに、なんであそこでバイトしてるの隠してたの?」

「話すのが怖かったから…… 『マジでメイド喫茶でバイト? オタクきめ~』とか思われるかもしれないし」

「さすがにそれは考えすぎじゃ……」

 というか、メイド喫茶ってギャルっぽい子もバイトしてるイメージあるからそんなことはないと思うけど。

「でも、メイド喫茶はぼったくりバーみたいに考えてる人いるし、その…… やらしい仕事みたいに思う人もいるし。谷風はそんなことないと思ってたけど、でもひょっとしたらって思うと怖くて」

 一言一言を吐き出すようにしゃべるもみじを見て、なんとなく気持ちがわかった。

 もみじも本当は考えすぎだってわかっているのだろう。

 でも、人間関係に一度失敗するとすごく臆病になる。自分の心の深いところまで入られるのがすごく怖くて、嫌に感じるときがある。

 それでも、一つだけ腑に落ちないことがあった。

「それなら、なんでバイト先をメイド喫茶にしたの?」

 僕がそう聞いた途端、もみじの雰囲気が一変する。

 テーブルに置かれた手を握りしめ、唇を噛みしめた。


「あたしは、自分が嫌いだから」


 その言葉を皮切りに、もみじは思いの丈をぶちまけるように話し始める。 

「友達がいじめられてるのに何もできないのも、勇気がなくて大事なことが言えないのも、ただ表面だけ明るいふりをしてるのも、嫌い。だから自分じゃない何かになりたいって願望がずっとあった」

「そんな時、あの店の求人広告とサイトの写真を見て応募してみた」

「日常じゃまず着られない服に身を包んで、普段とまるで違うことをする。その間だけ、あたしは淑女になれる。メイドになれる。嫌いな自分がいなくなったような気になる」

 日常が嫌な僕と、自分が嫌いなもみじ。今の状況から逃げたい、という思いがすごく似てる気がした。

「僕も同じかも。山に登るのは、日常から離れたいからだし」

 僕の返答を聞いてもみじは胸に手を当て、軽く目を見開いた。

「……引かないの?」

「何に?」

「だってそんな心配症な理由で、とか。メンヘラっぽい、とか思わない?」

「思わない」

 僕はもみじがそう思うのが悲しくて、強く断言する。

「自分から逃げて何が悪いの。今の自分と別の存在になりたいと思って何が悪いの。自分と向き合って、戦って、その結果神経すり減らして心を病むより、自分から距離を置くほうがよっぽどいいよ」

 もみじが大きく息をつく。ずっと強張っていた肩から力が抜けていった。

 でも、もう少し元気づけたほうがいいかもしれない。

 そのために最適な言葉を考えて、そして思いつく。うわべだけのセリフじゃない、心の底から思ったことを伝えよう。

「それにメイド服すっごく似合ってたし。今まで見たもみじで一番かわいいと思ったよ?」

 でも僕の言葉を聞いたもみじは、一瞬だけ僕と目を合わせたかと思うとものすごい勢いでは顔を伏せてしまった。

「どうしたの?」

 ほめ方が不味かったか? 

 心配になって体を乗り出し、もみじの様子を見ようとするけど彼女は顔を両手で覆って隠してしまった。

「今、あたしの顔見ないで…… やばい、それしか言えないくらいやばい」 

 しばらく忍び笑いのような声を漏らしながら、もみじは震えていた。

 その反応は彼女が喜んでいるものだと気が付いた時、僕は自分のセリフを思い返し、そして気づく。

 今僕、すごい恥ずかしいこと言わなかったか……?

 今度は僕が、もみじの顔を見ていられなくなって。ドリンクのお代わりをするという口実で席を立った。



「でもよかった」

 時間をおいて二人とも調子が戻った後、軽く飲み物を飲みながら会話を再開する。

「よかったって、何が?」

「だってバイト先教えてくれなかったから。てっきりヤバいバイトとか、その…… 近頃よく聞くパパ活でもやってるのかと」

「あたしそんなビッチでも尻軽でもないよ。というか、経験ないし」

 もみじが色をなして言ったセリフに、空気が凍てついた。

 ほんのわずかの間を置いて。

「バカ、ヘンタイ、デリカシーなし」

「ごめん……」

 落ち着いたころ、僕は素直に頭を下げる。こういう時は男が頭を下げると相場が決まっているのだ。

「いや、いいよ…… 言い出したのは、わたしだし。というか、自爆してばっかり……」

ぶつぶつと呟くもみじを見て、僕はほっとした。

もみじがビッチじゃなくて、ヤバいバイトしてないとわかって安心した。

葛城さんに彼氏がいないと分かった時よりも、ずっと。

 ふと、ポケットのスマホが震える。

 マナーモードにしていたけれど振動でもみじにもわかったらしい。

「出ていいよ。もう結構遅いし、家族からかもしれないよ?」 

スマホを開くと、夏休みのバスケ部の日程が記されていた。

「ごめん、葛城さんからだ」 

 それを聞いたもみじは、今まで見た中で一番怖い顔をした。

「葛城さんとはラ●ンやり取りしてるって、どういうこと?」


 その後、もみじともラインのグループを作ることにした。


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