その4:固着紋とヘブンズストライク

 しばらくすると、何事もなかったかのように光は消えた。そして護符は……無くなっていた。俺は何がなんだかわからずうろたえる。

「な、な、なんだ今の? あれ? 護符は? どこ行った?」

 ひよりはちょっときょとんとしていたが、慌てて立ち上がり、俺に詰め寄る。

「な、何ですか今のーっ? 術式が成功したときみたいな光だったじゃないですかっ! 護符はっ? 護符はどうしたんですかっ?」

「え。成功したときみたいな光? 今のが? ひょっとすると、同化できちゃったのかなー? それがどうかした? なんつって……」

 俺の軽いボケには反応せず、ひよりは近くの地面を探す。しかし落ちているわけではない。風に飛ばされたとかいうことでもなかった。

 ひよりは護符を探すのをやめ、こちらをキッと見る。そして、大股だが短い歩幅でズンズンと近寄ってくると。

「まさかとは思いますけども……」

と、言いながら俺のシャツをいきなりめくりあげてきた。俺の視界は自分のシャツで塞がれる。その下では、ひよりが俺の裸の胸を見ているはずだ。お約束として「きゃー」と悲鳴でもあげるべきだろうか。と思ったがそうする前に。

「あああああーーーっ。同化しちゃってるぅーーーーっ!」

 ひよりの方が悲鳴をあげていた。


 俺の視界にあるのは、自分のシャツと、それをめくりあげているひよりの両手指。その手指は震えている気がする。今もまだ俺の胸を見つめているのかもしれない。こいつ、上半身とはいえ異性の裸を目近にして恥ずかしくないのか。目に入ってないのかもしれないが。まぁ子どもだし……。しかし相手は子どもとはいえ、俺はちょっと恥ずかしくなってきた。

「あの……。ひよりさん。そんなに見られていると、ちょっと恥ずかしくなってきたんですが」

 見えている手指の震えが止まった。そして次の瞬間、バッと俺のシャツはおろされた。視界が開けた。ひよりは俺のシャツをおろした体勢そのままで腰を曲げ下を向いている。そしてシャツを手放し下を向いたまま後ろへ方向転換し、数歩進んで向こうを向いたまま何も言わずしゃがみこんだ。薄い色の髪の間からちょっと見えている耳が、赤い気がする。


「わ……わたしはその……護符が同化されたかどうかの固着紋を確認しただけで……。それだけを見ていたので……。男の人の裸とか……恥ずかしいとかそういうのは……まったく……」

 ひよりは向こうを向いてしゃがんだまま、指で地面をぐりぐりしている。

 むぅ。まぁ、かわいい反応ではあるが。でも仮に逆の立場だったとしたら、俺がひよりの服をはだけて固着紋とやらを確認してもいいのか。俺が後ろ向いて地面をぐりぐりしていれば許してくれるのか。本人が許したとしても、世間様が許してくれない気がするぞ。


 ん……? 固着紋? そんなものが俺の胸に出ているということか? 俺はシャツを全部脱いで自分の胸を見てみる。ちょっと自分では見にくいが……。確かに、封邪の護符とやらを簡略化したような模様が、首の下、胸の上のあたりに浮き出ているようだ。んー。タトゥーみたいだな。このままだとすると、銭湯とか入れるのかな。

「なー。ひよりー。これってどうなるの?」

 何気なく聞くと、ひよりはこちらを振り向いて顔色を変えると。目をつむりそのままこちらへ跳躍し。

「ヘブンズストライク!」

と叫んで右の拳を俺の腹にめり込ませつつ。

「服着てくださいよぅっ!」

と言って右腕を振り抜いた。


 本日二本目のヘブンズストライクを食らって、この丘、日和山の狭い山頂から落ちかけたが落下防止の鎖に助けられてなんとか持ちこたえた。朝早くて、まだ朝食を食べてないからよかったけれども、満腹時にあれを食らったら大変なことになりそうだ。


 そのダメージからようやくしゃべれるようになって、俺はひよりと真面目な話をしようとする。いや、いままでふざけていたわけでもないのだけれども。もちろんシャツは着ている。

「つまり……俺はおまえのことを学芸会間近の近所の子どもだと思っていたんだけれども、実は本当に神界とやらから来た、神の使いであると。この街に鬼が出現すると察知されたので、封邪の護符をその身体に取り込んで鬼を封じる使命を帯びてやってきたと。そのために、ここ日和山住吉神社で儀式を行わなければならなかったけれども、間違えて日和山展望台へ行ってしまったと。それに気づかなかったと。そして俺と出会って正しい場所にやってきたけれども儀式は失敗して、俺が試してみたら成功して、俺が護符を取り込んでしまったと。これでオーケー?」

「オーケー……です……」


 ひよりは俺にヘブンズストライクを見舞ったあと、本題である護符同化を自分でなく俺がしてしまったことにあらためて気づき、ショックを受けてヘコんでいた。

 さきほどは「吐き出して!」と泣きながら俺の口に指を突っ込もうともしていたが、胃に入っているわけではないんだから。それで出てくるくらいなら、さっきのヘブンズストライクで出てきているだろう。


 しかし信じがたいが、力を持った護符が俺の身体に取り込まれたというのは理屈ではなく感覚で理解できてしまった。なんというか、形容できないパワーのようなものを感じるのだ。

 とすれば、ひよりが神界、それがどんな世界なのかはわからないけれども、そこからやってきたのだろうということも信じられてしまう。

 ……だとすると、鬼も? 出現するのか? この街に? 封邪の護符とやらを取り込めなかったひよりは、どうなるんだろう。俺の身体から護符を抜き出すことはできないのか……?

 俺はそのまま、疑問をひよりにぶつけてみる。

「なぁ、その……。これからどうなるんだ? 護符を取り込んでないと、鬼には勝てないのか? 護符を俺から取り出すことってできないのか? 明日になったら出てきたりとか……」

「えー。どこから出てくるって言うんですか? まさかトイレ……。いやいやそれは出てきたとしても、それはわたし取り込みませんからっ」

「そんなこと言ってないだろうに……。まぁ、護符なんかなくてもおまえが鬼退治できるってんなら問題はないんだろうけどさ」

「うーん……。わたしも一応は神様の使いである巫女なんで、戦うことはできると思うんですけど……。でも滅することはできないんです……。最後は封邪の護符の力で封印しないと……。だからこそ護符同化が必要だったんですけど……」


 ふむ。戦ってダメージは与えられるけど、とどめはさせないから封印しなければならないと。面倒な話だな。しかし、そんな大切な護符なら神界で同化してくればよかったんじゃないのか。なんでわざわざここでやらなければならなかったのか。その疑問を尋ねてみる。

「それは……ここにわたしの媒介石があるからなんです」

と言って、ひよりは先ほどの方角石を指差す。そういえばさっきあれを指差してちょっと恥ずかしそうにしてたな。

「媒介石っていうのは、地上と神界の者を結びつけるものです。まぁ、石とは限らないんですけど。石であることが多いのでそう呼ばれてますが。言ってみれば、この地上におけるわたしの本体と言いますか依代と言いますか化身と言いますか……どれともちょっと違うんですが……」

 うーん。よくわからないが、神界の約束事というのがあるんだろう。異なる世界の約束事というのは理解しづらいこともあるだろうからなぁ。そのうちわかるのかもしれないが。

「するとこの方角石が、おまえの本体なの? この地上における? これ壊すと死ぬの?」

「いえ、そういうことでもないんですけど……。そうなると地上にはこれなくなっちゃうかもですね……」

「ふーん。よくわからない概念だけど、とにかくこの場所というか方角石とおまえの結びつきというのがあるわけね」

「そう思っていただければ……」

「なるほど。だから平らなのか。本体である石に似て」

「…………。えっ。わたしの何が平らなんですかっ」

「まぁ、まだ子どもで発展途上なんだから、気にすることないさ」

「わたしは子どもじゃないですっ。十六ですからっ」

 ……マジか。小学生かと思ったのに。神界にも年齢ってあるのか。あるんだろうな。

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