ひよりちゃんは日和らない

三駒丈路

その1:日和山展望台の巫女

「うええぇーーーっ! なんでーーっ?」

 夜が明けたばかりの早朝。この街に越してきてからの日課になっている「朝の海で深呼吸」をしようかと展望台へ続く坂道を登っている途中で、俺は女の子の叫び声みたいなものを聞いた。

(こんな朝早くに何を騒いでるんだろう?)

 そう思いながらなおも坂道を登っていくと、なにやらボソボソと言葉が聞こえたあとで

「あああぁーーーっ! どうしてぇーーっ?」

とまた叫んでいる。


 朝から迷惑なやつがいるなぁ。ちょっと説教でもしてやろうか。と思いつつ坂道を登りきると、そこには塔状の展望台がそびえ立っている。いや十メートルほどのものだから、そびえ立つというほどでもないけれども。それでも、そこそこの高さではある。

 叫び声は、その展望台の上から聞こえているようだった。


 どうしようか。さっきは説教してやろうかと思ったけど、何か事情があるのかもしれないし、そっとしておいた方がいいんだろうか。まぁ、事情がなきゃ叫ばないよな。事情なしに高いところで叫んでいたら、それはそれで怖いところもあるが。

 でもその事情というのが、高いところから飛び降りざるを得ないような事情だったとしたら……。最後の声を聞いたのが俺だったとしたら……。寝覚め、悪いよなぁ……。様子見るだけ見ておいてやろうか……。

 俺は、展望台をぐるりと螺旋状にまわる階段をそろそろと上っていった。


 展望台の一番上は、十人は立てないだろうというくらいの狭いスペース。眼前に日本海。振り返れば新潟市中心部の街並。景色はいい。俺はいつもここで海を見ながら深呼吸をしたりする。早朝のこの時間、たいがいいつもそこには俺ひとりだけなのだが。でも今日は。


 そこには、なぜだか小さな巫女さんがいた。中学生か、あるいは小学生くらいにも見える。いや本当に巫女さんなのかどうかはわからないが。そういう感じの服なのかもしれない。

 その巫女さんは、展望台の手すりに額をつけてうつむき「ううう……」と唸っていた。まだ俺には気づいていないようだ。飛び降りるとかそんな感じではないようだが……。一応声をかけておくか。と思って近づこうとしたとき。


「封邪の護符よ! 我が身体に入りて心とひとつになりその力を顕現せしめよ!」

と、彼女は突然顔をあげて唱えだし、細長い紙のようなものを自分の胸に押し当てた。そして数秒そのままの姿勢でいて

「ぎゃあああぁーーっ! だめだあぁーーーっ!」

とまた叫んだ。


 うーん……。封邪の護符とか……。巫女さんの格好とか……。イタい子なのかな……。いや……文化祭というか、学芸会の練習とかそんなのかな。それがうまく演じられなくて叫んでるのか……?

 まぁ演技としてはそれっぽい感じでそんなに悪くなかった気もするけれども。うまく演技できなくて飛び降りるわけでもないだろうけど、自信を持たせるために一応ほめといてあげようか。と思い、パチパチパチと手を叩いて声をかける。

「いやー。よかったよかった。ちょっと心配したけど大丈夫のようだし、悪くない。悪くないね。ブラボー。ブラ……」

と言ったところで、巫女さんの拳が俺の腹にめり込んだ。突然の一撃に声も出せずにいると、彼女は後ろに飛びさがりこちらを指差して言った。

「ででで、出ましたね。あなたが鬼ですかっ! もう出てきたんですかっ! まだ時間はあったはずなのに! わたしの護符同化が失敗したのを見て安心して襲ってきたんですねっ! 護符の力が使えなくても、あなたみたいな貧弱な鬼、わわわ、わたしの力だけで退治してあげますぅっ!」


 鬼って……俺のこと? これも劇なのか? 練習につきあわされてる? それにしちゃ、腹への一撃はけっこうこたえたぞ。まだ声が出せない。相手は子どもとはいえ、ちょっと腹たってきた。げんこつでもくれてやらねば。

「ぐああああぁぁぁっ!」と声にならない声を上げて、俺は巫女さんを捕まえようとする。

 彼女は「ひっ」と涙目になりながらも、

「ふ。ふふふ。さすが鬼さん、タフですね。でも、捕まりませんよっ? 吉方位確認! 南!」

と言いながら、さらに後ろに跳躍した。すごい跳躍力だなぁと俺は追いかけながらも感心したが、そっちはもう……。


 この狭い展望台。そんなに動き回れるはずもない。巫女さんもようやくそれに気づいたようだが、彼女の左足が着地したのは、金属製の丸い手すりの上だった。そして「あ、あ、あ」と両手をバタバタさせたあと、体は手すりの外へ……。

 俺は自分でも信じられないくらいのダッシュ力を見せ、落ちていく巫女さんの右手をつかんだ。しかし、さっきの一撃のせいか、力が入らない……。

 ようやく声が出るようにはなったが、巫女さんを引き上げることはできない。握力も限界だ。まぁ、十メートルの高さだから、うまく落ちれば死んだりはしないだろうし、怪我もしなくてすむかもしれないが。でも女の子をこの高さから落とすわけには……。


 下から巫女さんの声がする。

「あなた、鬼なのにわたしを助けてくれるんですか……? どうして?」

「俺は鬼じゃねぇっ。人間だよっ。いつまで劇やってんだ!」

「劇……? そう。鬼じゃなかったんだ。普通の人間だったんですね。……ごめんなさい。ヘブンズストライクくらわせちゃって」

 あれ、そんな技名つけてたのか。まぁ、女の子にしちゃいいパンチだったけど。いや、しかしもう腕がホントに限界だが……。うむむ……。何か話でもしてないと……。

「も、もうちょっと辛抱しててくれよ。絶対引き上げてやるから。そうだ。あんた、名前なんていうの? ここまで俺的には心のなかで巫女さんって呼んでたんだけど」

「いえ、もう、大丈夫です。わたしのことは気にせず、手を放してください。……名前ですか。ここへ来てナンパ……でもないですよね。わたしは……『ひより』って言います……」

「そうか。ひより……か。もうちょっとがんばれ、ひより!」


 ひよりは、それを聞くとにこりと笑って。

「ホントに大丈夫ですから。手が震えてますよ。もう限界じゃないですか。ありがとうございます。こんなに頑張ってくれて。またすぐ会えますよ」

 そう言って、自ら手を振り払った。限界だった俺の手は、開いてしまった。ひよりの重みを失った俺は後ろに倒れたが、すぐに手すりに駆け寄り、下を見て叫んだ。

「ひよりーっ!」

 すると後ろからパタパタ草履の音がして。

「はーい」

 ひよりが階段を上ってきた。


 この展望台の一番上まで来るには、塔の周囲をめぐる螺旋状の階段を上る。俺の手を放したひよりの足元すぐ下には、その階段の手すりがあったらしい。……だから大丈夫って言ってたのか。ちゃんと説明しろ。必死になってた俺が恥ずかしいじゃないか。


 俺とひよりは展望台を降り、下のベンチに腰掛けた。眼下には朝早い日本海。遠くに佐渡もきれいに見える。

 しかしそんな景色は別として、俺にはいろいろと聞かせてもらう権利があるはずだ。腹は痛いし腕は痛いし、あのとき俺が手をつかまず自由落下してたらもっとタイヘンなことになってたかもしれないし。さて、何から聞いてやろうか。

 口を開こうとした俺より先に、ひよりが涙目になりながら聞いてきた。

「ここって、日和山ですよねっ?」

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