第6話
「そんなわけが……、だって」
確認するように視線をゆっくりとおろしていく。俺が彼女を男と間違えた真の理由。頸部から流した水が何者にも遮られることなく地面へしたたり落ちるであろう、絶壁のごとき――
「あーっ! 今私の胸見ましたね!? 『胸がないから男かと思った』ってそう心の中で言いましたね!? そうですよ! どうせ私なんて、顔を隠してしまえば男子と見た目が変わらなくなるようなぺちゃぱい娘なんですよっ!」
「いや、ぺちゃぱいとか……」
久しぶりに聞いたな。今時使わないだろそんな言葉。
「うう……、これのせいです。こんな板みたいななお胸のせいで、仲間を釣れるからって、危険な役回りをしなければならなくなって、あげく一般生徒に見つかってしまうだなんて……。いくら生徒を守るためとはいえ、あんまりです」
「おい、仲間を釣る、ってどういうことだよ。生徒を守るってのも」
おおよそ制服泥棒なんかの口からは発せられないようなセリフに疑問を投げかけると、彼女は誇らしげな顔で、
「そうです。制服泥棒なんて悪者じゃないです。どっちかと言えば正義の味方なんですよ」
「んなわけあるか。現にお前、俺が目撃したとき一目散に逃げてただろ」
「うっ……、あれは、その……」
マスクマン、改めマスクウーマンが返答に困ったところで、横にいた都坂がやれやれといった様子で助け船を出して来る。
「まずこいつは
都坂に指を指された先で、西条という女子生徒が満足気にピースサインを作っていた。
「お、お前ら、全員生徒会の役員だったのかよ……」
「まあ、そう戸惑っちまうのも分からんでもないさ。よく登壇するアタシと違って、コイツらが生徒の前に立つ機会なんて、そうないからな」
「いや、理由は他にも少なからずあるんだが」
「まあ細かいことは気にすんなって。それで、話を戻すとだな。アタシら生徒会役員は今、ある問題に頭を抱えさせられたいる。そいつは普通なら生徒会なんかが関わらんでもいいような案件で、しかし、そう単純に解決してくれそうにもないモンだ」
「制服泥棒か」
「さすがに色々ありすぎたせいで分かるか」
わざわざためた意味もなかったと、都坂は苦笑して俺を見やる。
制服泥棒。今日一日で、何回聞いたか分からないその存在が、しかし、どうして生徒会なんかと関わってくるのか、何より七森のとった行動とどうつながってくるのか、現在の時点では想像することはできず、俺はしっくりこないといった感じで怪訝な表情を浮かべることしかできない。
「この制服泥棒の被害について、実は何も最近始まったことじゃねぇってことは知ってるか?」
「えっ、そうなのか?」
「ああ、この学校じゃ昨年あたりから、制服に限らず、女子生徒の着る衣服が盗まれる被害がちらほらと確認されてたって話だ。んでもって被害の報告はきちんと教師の方までなされていた。が、教師陣が具体的な対策案を出すには今の今まで至っていない。これがどういうことだか、分かるか?」
「それは……」
「それは先生の中に、制服泥棒の共謀者、もしくは泥棒張本人が紛れているってことです!」
お前が言うのか。思わず声に出してしまいそうな俺と都坂の呆れた視線は、しかし七森の誇らしげに突き出された主張の少ない胸に跳ね返される。
「生徒から被害の報告がなされていれば、普通の教師であれば対策に動くはずです! それでも動きは見られないということはつまり、対策に動かれると不都合な人間、つまり犯人やその関係者が教師側にいるということなんですよ!」
「ちょっと待て。それはいくら何でも決めつけってモンが過ぎるんじゃないか?」
「いえ、そうに決まってます! でなければつじつまが合いません! これは我が学校始まって以来の汚職事件です! 何としても我々生徒の側からアプローチをかけねばなりません!」
「犯罪ほう助にしても、その内容が、汚職にしてはしょぼすぎるんだが」
「な、内容はどうであれ、汚職は汚職なんです!」
俺の冷やかしにも虚しく、七森はその目に熱い炎をたぎらせていらっしゃる。
その姿を他の二人の役員はどこか祖父母が孫でも見るかのような温かい、否、生温かい目で見つめている。
「お前たちもそう思ってるってことでいいのか?」
「んー。まあ、そんなところだな」
「んだよ、しっくりこねえな」
「千影を野放しにしておくと、何をしでかすか分からない。私たちがしっかり手綱を握っておかないと」
「ちょっと! 手綱って、私はペットじゃないんですよ!」
西条の指摘に今度は顔を真っ赤にして起こる七森。
この短時間で感情をころころ変えやがる。
「ほら、七森、今日のバイト代だぞ。とってこーい」
「わあい。シュークリームだあ」
袋に包装されたシュークリームが宙を舞う。と同時に、七森がそれに反応して着地点めがけて飛び出す。そのさまは、悲しきかな、人間のそれではない。正しく主人の命令に忠実に従う飼い犬のそれだった。
「まあ、現状で起こっている問題が分かったんだから、アタシたちが制服を取る目的も分かったも同然だろ」
「一体今の話のどこに理解する要素があったのかをぜひ教えてほしい」
「えぇ……、ここまで話して分からないなんて、あなたってもしかしてバカなんですか?」
「お前にだけは言われたくねえ!!」
一度は自分のことを『バカ』であると認めた俺であるが、今、世界中においてこの女にだけはどうしても言われたくなかった。
「この青明学園では今、制服泥棒が横行している。犯人は複数犯であり、教師の誰かとグルである可能性も否定できない。制服泥棒なんてのは、盗られる側が予防すれば被害は収まる。その程度の問題かもしれない。だが、現に被害は拡大しつつある。ターゲットとなる女子生徒が着替えた衣類を鍵付きのロッカーに入れておいたところで、その鍵が何らかの手段で壊されるのがオチだ。これは予防だけじゃどうにもならねえ。もっと別の方法を取らなければ……、っと、そんな考えから生まれたのがアタシら裏生徒会、通称――、『
「
「制服を狙うコソ泥野郎たちが手を出す前に、先に制服を奪い、保護する。正義の名のもとに制服をいただく義賊、『制服義賊』。略して『
「いや、そんなに」
「少なくとも、あなたのそのまとまりのない髪の毛よりかは数百倍締まったカッコいい名前だと思います」
「何で俺の髪の毛が関係ないところでディスられなきゃならないんだ……」
あらかじめ言っておくがこれは天然パーマである、ファッションであるとか、そういう気取った姿勢は一切ない。
「ってことはなんだ、お前らがプールで蒼井の制服を盗ろうとしていたのも、あくまで制服の保護が目的だった、ってことになるのか」
「まあ、そうなるな。七森が焦って逃げ出したりしなきゃ、こんなややこしいことにはならなかったんだが……」
「うう……、面目次第もないです……」
「じゃあ、噂になってる盗んだ衣類を返しにくる泥棒ってのも……」
「ああ、アタシたちだ。保護した衣服を全部バレないようにもとあった場所に返すのは結構大変でな……」
なんてことだ、と俺は首だけおろすようにがっくりとうなだれる。まさか、例の奇怪な泥棒行為がこんな遊び半分で作られた組織のいたずらとも呼べるような粗末な行動によるものだったなんて。屋久先生が知ったら同じように思わず脱力してしまうに違いない。
「分かったよ。お前らバカだろ。しかも相当なバカだ」
「バカは嫌いか?」
「……嫌いじゃない」
「そりゃよかった。なら、単刀直入だが、アンタは明日からアタシら『
「は?」
「当たり前だろう。こちとら教師はもとより、生徒の一人にでも知られれば、活動の自粛、ひいては組織の解散だって危ぶまれるような存在だ。秘密を知るものとして、アンタには口封じもかねて、アタシらとともに行動をともにしてもらう義務がある」
「ちょっと待て、何が義務だよ。こちとらお前らの下らねえお遊びに巻き込まれただけの被害者だぞ。それを都合が悪いからって囲い込んで、逃げられなくしようって、そりゃいくら何でも理屈に適ってないんじゃ……」
「ん」
都坂が一枚の写真を俺の前に提示する。そこに写っているのはプールの女子更衣室で、純白のパンツを丁寧につまみ上げ恍惚とした表情を浮かべる俺自身の顔である。
「……、一体誰が撮りやがった、こんなモン」
「ん」
西条が胸の前でどこか誇らしげにぴしっと手をあげる。
「お前、いつの間に……」
「千影の様子を遠くから見てたら、思わぬベストショットが撮れた」
「お願いします。消してください。地獄の業火で燃やし尽くしたのち、灰は太陽系外まで飛ばしてください」
「それは困る。これは今からあなたを強請るために使おうとしているもの」
「自分から強請るとか言わんでくれ……」
「ということで、入会をどうしても拒否するというのなら、これを学校中にばらまくことになる」
「おい、誰かいないのか!! 頼むからこの犯罪者集団を捕まえてくれ!!」
隠す気なんてさらさらない、ただの脅迫である。
俺の悲痛の叫びは、空き教室が連なるA校舎4階の廊下に虚しく響き渡るのみである。
まったくもって四面楚歌。今この場においては彼女たちがルールを敷くものだ。
「どうだ、ようやく自分の立場は理解できたか?」
「(お前らみたいな弱者をとことんいたぶる悪に俺は決して屈しない)お願いします、何でもしますから、俺を社会から抹殺するのだけは勘弁してください」
「心の声が思いっきり出ていて醜いです」
仕方ないだろ。力を持つ者からの圧力に抵抗の術を持たない善良な一般市民がどうやって抵抗するというのか。
俺の従順な態度に都坂はご満悦といった様子ではっはっはと高笑いをしている。完璧に悪役だこいつ。それに対して西条は無表情のまま手を叩くだけ。七森に至ってはなぜか敵意をむき出しにした目で見つめられる始末だ。
「んじゃ、これからよろしくな、内田」
「ははは……」
今日一番の笑顔を俺に向けてくる都坂に俺は乾いた笑いしか出すことができない。
裏生徒会『
泥棒が盗むブツを先に盗む泥棒なんて、考えはせど実行に移す人間など出ないのがこの世の中の常。彼女たちの存在は、まさしく異質なものとして俺の心内に映し出される。
呆れ、嘲笑。
彼女らに対して俺が抱くのは、そういった明らかに人を見下す感情だ。
彼女らと俺は違う。こいつらと行動をともにするなど論外中の論外。理性も感性も、八割方俺と彼女らの間で壁を作ろうとしている。それでも。
「ははは……」
再び出た乾いた笑いは、今度は自分を嘲るためのもの。
自分の今の状況には到底似合いそうもない、突発的で、意味不明で、けど不思議とすんなり受け入れられるそんな感覚が、感性と理性の残り二割から生み出されて。
つまるところ、俺はこれから始まるであろう非日常に、少しばかり、ワクワクしてしまっていたのである。
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