第25話 現象の魔法使い



 周囲の気温が一段と下がったような気がした。



「……息が白い」



 ディズはオルウェイと共に巨大倉庫内部へ入っていた。

 埃っぽいのはもちろんだが、そこら中ボロボロだ。



(最近、こういうところばっかだな)



 ディズはオルウェイの手をギュッと握って離さない。

 彼女の不安を和らげなくてはいけないという意識だった。



「オルウェイ。大丈夫か?」

「う、うん」



 気丈だった。

 本当は凄く怖いのが手の震えから伝わってきていた。



「オルウェイ。アイツは俺が何とかするから逃げるんだ」

「だ、ダメ! それはダメ!」

「オルウェイ! 言う事を聞いてくれよ! 君にケガはさせられない」

「ディズだってそうだよ! 足手まといかもしれないけど! 私も呪術とか魔術とか結構使えるもん!」



 そういう問題ではない。

 先程の魔術を見れば、戦力としては十分なレベルだ。


 重要なのは戦えるかだ。

 そもそも中身が大人のディズであっても今は怖くて仕方がない。

 なら純真無垢な子供であるオルウェイの恐怖は計り知れない。トラウマは恐ろしいものだ。そうなれば、彼女の未来に悪影響を与える。



「…………とにかく上へ行こう」



 高い場所は有利だ。

 魔法はどうしても遠距離になりがちなので、撃ち下すという行為は常に絶対的な優位性を発揮する。

 妖霊に通用するかは分からないが――――。



「階段はこっちか」



 階段を上がると下の階と同じ広々とした部屋だ。



「妖精さんはどうするの?」

「あいつは、大丈夫だ。強いから」



 少なくとも自分よりは。そう思いながら、ディズはオルウェイを連れて上の階に登る。

 ここからの流れは全くのノープランだ。

 やるべき事すら定まっていない。



(いや、違う。アイツを倒すんだ)



 ゴライアスラットが外に出たら終わりだ。

 ジョセスターが即座に駆け付けたとしても、多少なりとも被害ができる。それを当事者である自分達が許してはいけない。



「オルウェイ。俺の後ろにいてくれ。それで常に俺の後ろから魔術とか撃つんだ」

「うん」



 苦肉。オルウェイを戦力として数える。

 それくらい切羽詰まった状況だ。



「それで呪術は何ができる?」

「うん。【縛りの呪術】【硬化の呪術】【摩擦の呪術】【足止めの呪術】。魔術は火と雷と風。この属性が得意。現象は苦手」

「OK。俺は現象が得意だ。それじゃ――――」

『ベイビィィィィィィィィィィィィィィィィ!』

「――――んなっ!?」

「ひゃあああ!?」



 壁を突き破ってゴライアスラットが頭を出してきた。

 もぞもぞもがきながら、中に入ろうとする。



『ケケケケケケケ!』

「この!」



 速攻でディズは魔術を使う。

 腕を突き出して【現象】を起こし、突き破ってきた壁を修復する。

 巨体をねじ込むために穴を大きく壊すことができず、挟まるゴライアスラット。




『あら? あらららららら? やっるじゃねぇか!』

「オルウェイ! 魔術をぶち当てろ!」

「あ。ああ……」

「オルウェイ!」



 尻もちをついたまま震えて動かないオルウェイ。

 それを見てゴライアスラットがにやりと笑う。



『ケケケケケケケケケケケケケケ! 脅えちまってよぉ! 優しく食ってるからなぁ!』



 ゴライアスラットはさらに暴れて、壁を修復するよりも早く突き破ろうとする。



「させるかよ!」



 ディズは手のひらに魔力を貯める。

 そのまま、水を噴射する。



『ゴボボボボッ! なんだそりゃ! 舐めてんのか!?』



 威力が弱く、ゴライアスラットを押し出すような者ではない。



「食らえッ」



 ディズがびしょ濡れになったゴライアスラットに雷撃を浴びせた。

 水は電気を良く通す。



『あばばばばばばばばばばばばばばばばばば!?』

「追撃!」



 痺れているゴライアスラットに火の塊を叩きつける。

 基本にして最良ともされる【爆撃の魔術】。

 妖霊の【爆撃の魔術】に比べれば、その密度は低い。だが、そんな事、今のディズにはどうでもいい。



『ぐばああああああ!?』



 動けないゴライアスラットに爆風を直撃し、ゴライアスラットは穴からはじけ飛んで落下した。

 ゴライアスラットがいなくなると【現象】によって穴はそのまま塞がる。



「オルウェイダッシュ!」



 オルウェイの腕を掴んで無理矢理立たせ、さらに上の階へ上がる。

 パニックのオルウェイを少しでも落ち着かせなければいけない。

 屋根裏に当たる三階へ行き、時間を稼ぐ。



「はぁはぁはぁ」

「ハァハァハァ、ディ、ディズ。ごめんなさい」

「オルウェイ!」

「ひゃい! え?」



 ディズはオルウェイを抱きしめる。

 そのままゆったりと頭を撫でる。



「ごめんな。怖かったよな? もう大丈夫だぞ」

「ディ、ディズ?」



 ディズはオルウェイの顔を触り、額をくっつける。

 オルウェイの顔が少し赤いのが気になった。



「大丈夫。俺がいる。守るからな」

「…………ディズ。ごめんね。私――――」

「何も心配しなくていい。何もな」



 オルウェイが落ち着きを取り戻した時、下の階で木を突き破る音が聞こえた。



『ボケェェ! あん? どこ行きやがった?』

「ちっ」



 様子からしてほとんど効いていない。

 ディズがオルウェイから離れてどうするか考えていると、オルウェイがディズの顔を掴んで額をくっつけて強く押し付けてきた。



「うぉ!?」

「ディズ。今度は大丈夫。もう逃げないから」

「……………………信じてるぞ」

「うん、信じて」



 オルウェイの目が生き返った。

 ディズはたった数度のやり取りで実感する。

 彼女は強い。



「別行動しよう。ディズ」

「え? 大丈夫か?」

「任せて。私、やるよ」

「分かった」



 オルウェイの決意を無駄にはしない。

 ディズは覚悟を決めて、窓際に立つ。



「どうするの?」

「今からやる事、焦らないで、受け入れてくれ」



 ディズは腕を突き出す。

 手のひらに現れた魔法陣を捻った。

 その瞬間、世界に【現象】が引き起こされた。




一方、その頃――――




 ゴライアスラットは落とされた直後に2階へ這い上がってきた。



『ボケェェ! あん? どこ行きやがった?』



 辺りを見渡すがそこに2人の姿は無い。

 ゴライアスラットは見えにくい目で周囲を確認する。



(ちっ……これだから動物の目は)



 ゴライアスラットの中にいる妖霊もベテラン。だが、初めてやる事には苦戦する。

 ネズミは視覚が弱い分、嗅覚や聴覚などに強みを持っている。しかし、それを操るのは難しい。



(かぁ~、所詮は借り物か)



 自分の身体ではないという一点だけ。

 他の身体を乗っ取って操作することはそう簡単な話ではないのだ。


 妖霊からすれば必要の無く、使い勝手の悪い器官が多過ぎる。

 己の身体と感覚が全く違う動かし方の為、ネズミの身体を動かす事に大変な苦労を強いられている。

 それでも全く動けなかった時より幾分もマシではある。



(あのイケすかねぇ妖霊も倒した訳だし、とっとと終わらせるか。魔力補充の為にもアイツらは食っておきたいしな)



 魔力も無制限ではない上に、被り物を被っている為にマナを吸収しにくい。

 シマの魔笛の音が聞こえて以降、一気に終結したマナを吸収してもできた事は多くない。とにかく彼の適性マナを集める為に気候を少しだけイジッた。

 その笛の音で出現したゴライアスラットを乗っ取った後、完全に定着するまでに長い月日が必要だった。



(人間なんて食うの何年ぶりだ? 最後に食ったのは脂身が多くて美味かった)



 直接食らって体内吸収してしまえば、その魔力問題もほとんど解決も同然。

 ゴライアスラットのいる場所の周囲には大量の人間がいる。それらを食い尽くせば、行動可能の時間は相当に伸びる算段だ。



(子供はうめぇんだよな。柔らけぇんだ肉も骨も。内臓も苦みが少ねぇしな)



 口からヨダレが垂れる。

 久方ぶりの食事。それも子供。最高。

 ゴライアスラットは絶対にモノにしたい気持ちで高ぶっていた。


 善は急げ。

 とっとと終わらせようと思った時、ゴライアスラットの身体が傾く。



『はっ?』



 いきなり前触れもなく活動限界でも来たのかと思ったが違った。

 建物が傾いている。立っている床が徐々に垂直になる。



『こいつは!?』



 ゴライアスラットは垂直になる床にツメを立ててしがみついた。

 完全な垂直になり、倉庫の動きが止まる。



「よぉ」



 上から声がした。

 ゴライアスラットがしがみついたまま見上げた先に、薄着のディズの姿があった。

 倉庫の側面に設置された窓から、ゴライアスラットを見下ろしていた。


 ゴライアスラットは室内にいる。ディズは室外にいる。

 はたから見れば、ディズは倉庫の外の壁に垂直に立っているように見えるだろう。そして、ゴライアスラットは何故か床に爪を立ててしがみつき、倉庫の側面へ落ちそうになっている。



「上手くいったみたいだな」

『まさかガキ! テメェがやったのか!?』

「お前だけは対象外にしておいた。一か八かだったけど、上手くいったみたいだな」



 倉庫の空間が歪んでいる。

 それをゴライアスラットはすぐに察知した。



(こいつ! 藍色か!?)



 気が付いた時には、そこは術中だった。

 『藍色のマナ』の適性を持つ者は【現象の魔術】を駆使することに長ける。

 人間界ではかなりのレアだ。


 ゴライアスラットは目に見えて動揺する。

 何故なら、藍色同士の戦いになると、【現象】の掛け合いになるのだ。


 大規模な【現象】は時間制限付きであるべき姿に戻る。

 相手の【現象】を上回るか、もしくは塗り替えるか。もしくは封殺するか。もしくは圧し潰すか。もしくはいじくるか。

 最終的に全てが元に戻ってしまうので、そうした水面下の差し合いこそ【現象の魔術】同士の戦いになる。


 それは【現象の魔術】に対抗するには【現象の魔術】以外は存在しない事を意味していた。


 そして、なにより――――



(先手を打たれた!)



 ――――ゴライアスラットの最大の失敗。


 ゴライアスラットに憑依しているという時点で、中身の妖霊は力の多くを制限されている。

 そして、ヴェルフリーディが暴いたように『藍色のマナ』に適性を持っているのだが、今はこれほどの【現象】は使えない。精々尻尾を伸ばす程度だった。



(まずい! あいつは速攻殺す!)



 不意に殺した妖霊の言葉が脳裏によぎる。


 ――――だからこそ、おもしれェ。


 侮った?

 それどころではない。

 大失態!


 子供の魔術師なんぞの実力など、たかが知れていると思っていた。ところが蓋を開けてみたら、目の前にいる子供の持つ力は侮って良いものではなかった。



『クソが!』



 尻尾を再生することができない。よって、遠距離の攻撃はできない。

 冷凍ブレスでと思ったが、発動しない。



『マナが変わってやがる!?』

「ああ、寒かったんでね。俺にもできたよ。温度調整。暑かったから脱いできたんだ」



 ディズにはゴライアスラットが何をしようとしたのかまでは分からない。だが、疑問には答えられた。


 ディズに天候や気候を変えるような大規模な事はできない。

 冷風を遮っただけだ。建物をビニールハウスで囲ったのに近い。

 これだけでマナの色が短時間で変わるというのだから面白い。


 妖霊が気付かなかったのは、ゴライアスラットを被っていた為だ。

 痛覚すら無いのに、温度を感知することができる訳もない。


 妖霊は知る。状況が変わってしまった。

 侮りは油断であり、油断は慢心であり、慢心は迂闊となり、迂闊は過怠となった。


 近づくしかない――――とゴライアスラットが垂直になった床をよじ登ろうとした時、妖霊は気が付いた。

 ディズが何かを注視している。


 そう、ディズが見下ろしながら気が付いた。

 今まで身体の脂肪で隠れていた前足に銀色の何かが見えるのだ。



(…………赤い小手? あ、ガントレットだっけ?)



 明らかにネズミが装備していたらおかしいものだった。



「…………封印?」



 その時、ディズの中で疑問が生まれた。

 ヴェルフリーディが考えていた事に遅まきながら辿り着いた。


 ゴライアスラットに封印されている――――という違和感。


 誰がどういう目的で封印していたかはともかく、利用するという一点においては非常に扱いづらい事この上ない。

 魔物であるゴライアスラットに封印すること自体が些か不自然だ。


 ならば、どういう事か?

 ヴェルフリーディと違って、経緯や内容、理由や内情。その他諸々全て分からない。

 それでも一度違和感を持ってしまった状態でガントレットを見たら気が付く。


 そう、真実は案外拍子抜けと言えるものが多かったりする。



「そいつが本体か!」

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