第17話 親愛なる異生物
ディズにとって最初にして最大の問題。
それが召喚魔法を行う場所だ。
とにかく探し回って最も有力な場所は空き家となった。
実はポルフには空き家がいくつか存在している。
空き家がある理由は二つ。
一家による引っ越し。跡継ぎの断絶だ。
一家全員の引っ越しは仕方がないとして、跡継ぎの断絶は死活問題だ。
若者はポルフから出て行きたがる。当然、都会への憧れによるものだ。
そんな都会に潰されて帰ってくる人もいれば、都会に適合して仕事を見つける人は生涯帰ってこない事もある。
こういった場合、家をお金に換える方法があるのだ。
一つは空き家を壊し、資材として再利用する。
もう一つが不動産として売る。
この辺を上手くやっているのだが、残っている空き家もある。
その理由は、立地的に不動産として売れにくく、空き家を壊して資材を運搬するのにも費用が掛かる。そんな空き家が数件存在しているのだが、その中の一軒を利用する。
ディズは失敗した時のリスクを考え、人気のない場所でやるべきと考えていた。
数件の空き家の中で該当する家が2つ。
その中でも最も家屋密集地から遠い場所を選んだ。
広さも十分。床もしっかりしているので、トラブルが起きても全て自分にのみ降りかかりそうな場所だ。
「おしっ! 気合入れてやるぞ!」
殺風景でホコリを被っている大部屋。
彼は風の属性魔術を使ってホコリを掃う。
「うし」
ここからは本に習って正しく行う。
魔法陣を水で塗らした石灰粉で書く。
外側から円、十角形、エニアグラムの順序で正確に書く必要がある。
魔法陣を自分の手で書く時は、釘と糸を組み合わせ、コンパスと同じ使い方をして書き出していく。
これを一定の距離で2つ用意する。
妖霊用と術者用だ。
ディズはできる限り丁寧に書いた2つの召喚魔法陣が完成させる。
そして、両魔法陣のちょうど中間に火のついた2本のロウソクを立て、マラカイフのアミュレットを挟み込んだ形で置く。
最後に植物油を妖霊側の魔法陣の中央に丸く塗る。
これで準備完了。
「ふぅ~」
深呼吸。
これはディズが生まれ変わってからの大一番である。
命の危険に首を突っ込むなど、狂気の沙汰であることは分かっていた。
それでもあっても、やらないで後悔したくないという言葉が彼の頭に溢れていた。
やって後悔するとか、やらないで後悔するとか、そんなものは押し問答でしかない。
後悔という心象を思考している時点で、行動することに意義を持っていないに等しい。
思い立ったら準備して行動するだけが正しいとも言わないが、何もしないでいるのは結局考え付かない事と同義だ。
それは彼の経験が許さなかった。
彼の頭の中にあるのはただ1つ。
(やらかすなら、1人で、誰も巻き込まずに――――)
その発想が愚かなのかもしれない。
それでも彼は行動することにした。明確な理由など言語化できない。
やるか、やらないか――――この2択で彼は「やる」を選んだに過ぎない。
「気合い入れてけ、俺」
自ら鼓舞する。
これで彼は己の中で起こる無意味な自問自答と自己論議を終了させる。
では、おさらい――――。
召喚魔法。
召喚するのは《妖霊》と呼ばれる生物だ。
一言では言い表せない多様な姿をし、様々なものに変身できる生物であり、それはマナの塊とされている。
人間には無い特殊な能力を持ち、人間が彼らを召喚して使役する。
一方の魔法陣に召喚師が入り、召喚呪文を詠唱する。
もう一方に妖霊を魔法陣に召喚される。
召喚した際、必ず『誠の名』を妖霊に名乗らせる。
名乗らない場合、魔法の力などで無理矢理言わせる必要があるとされている。
これにより命令権が絶対のものになり、【絶対命令権】が執行される。
この【絶対命令権】は首輪と呼ばれている。
妖霊が『誠の名』を名乗らなくても、魔法陣は妖霊から見れば牢獄であり、召喚師から見れば防壁である。よって、魔法陣の不具合や崩壊。もしくは術者が魔法陣から出ない限りは問題無い。
なぜ、ここまでの事をするのか?
その理由は、妖霊が人間に使役されるのを嫌い、常に殺そうとしてくるからだ。
また、妖霊にとって、この世界はマナが薄い事もあり、何かに苛まれているような感覚に陥っているという。
とにかく枷を外して元の世界に帰還したいのだ。
その為、術者は実力に沿ったレベルの妖霊を選別する必要がある。
ディズは密かに購入した『召喚妖霊図鑑』を開き、あらかじめ決めておいた妖霊の名前を見つける。
因みにこの『召喚妖霊図鑑』に載っている妖霊の名前が『誠の名』だ。
これを相手の口で名乗らせる必要があるのだ。
そう、それが普通なのだ。
「召喚する妖霊は中位妖霊ヴェルフリーディ。さぁ、行くぞ」
ディズは魔法陣にゆっくりと魔法陣に魔力を流し込む。
杖を経由して、イメージも掴んでいる。
召喚をする際のイメージは【塩を振りかける】である。
ポップコーンを作って、ハチミツかけて、バターを溶かして混ぜて、最後に塩を振りかけたのだった。
そう足りなかったのは塩だったのだ。
(もう、この辺りは、気にしない)
全てを諦める。いや、妥協してディズは魔法に集中する。
この時、意外と重要になっているのは杖だ。
杖は安定装置だ。
魔法の精度。クオリティを安定させることができる。
どんなことが理由で魔法が失敗するか分からない。
彼は心の中でオルウェイに感謝する。
(買ってよかったぜ。これで不安が減った)
なかなか流れない魔力を焦らず、じっくりと流し込み、魔力が詰まる様な感覚を掴む。
その瞬間、ディズは一言一句間違えず呪文を唱える。
「呼び声。届かせし、妖かしたる霊峰のものよ。我が名の下で妙技を振るえ、猛威を振るえ、智謀を振るえ。我が魔力の思念の下に降り立て!」
噛まない様に、途切れない様に、何度も練習した呪文。
実際、今までほとんど魔法を無詠唱で行ってきたディズにとっては、あまり意味が無い事かもしれない。しかし、安全を重ねられるなら1番だと思い、今回は完全に暗記してきた。
まるで挨拶の様に素直に出てきてくれた。
「え?」
ディズから驚きの声が聞こえた。
何故なら、呪文を唱え終えた瞬間、部屋の温度は一気に落ちたのだ。
まるで氷の張った真冬の湖に飛び込んだような感覚。
ディズの吐く息も白くなり、霧になって出てくる。
周囲に浮かび始めた白い霧が、妖霊側の魔法陣に集結して勢いのない竜巻が起こる。
竜巻は魔法陣の中で一定の速度でゆったりと回転している。
ピタリと止まり、霧の柱ができる。
体感にして10秒ほど―――――霧の柱が破裂した。
散開した瞬間、冷たい霧がディズを打ち付ける。
氷水をかけられたような寒さが彼を覆い尽くした。
寒さを自覚したのも束の間。
魔法陣の中を見て、ディズの全ての感覚が途切れる。
魔法陣の中に生物がいる。いや、生物であることは分かった。
その姿を見て、ディズは声を出さずに息を飲む。
冷えたはずの身体から、汗がジワッと勢いよく噴出した。
汗が冷たい。先程の気温の減少により、未だに冬のように寒い部屋でも汗の冷たさを感じ取れた。
その生物は、胡坐をかいて空中に浮き、顔を傾けてディズを見つめる。
その生物は人間をベースにしている。
人間。少年だった。
髪はセミロングで濃い青でパーマがかかっている。身長は170センチくらい。
その容姿は黄色人種の東洋人。しかし、目は黄色で爬虫類のような目だった。
山羊の様な角が、右側の側頭部から上向きに生えていた。
その角以上に目を引くものがあった。
それは左手だ。
異様にデカいのだ。
妖霊自身の身体より大きく、人間の大人の身体ですら、余裕で鷲掴みにできる程の大きさ。
指は四本しかなく、関節が見当たらない。
それでも手の形は保っている。
手のひらは分厚く、扇状の宝石のように光り輝く。
指が長く、人間で言うところ指の第二関節までが象牙のようだった。
手のひらと象牙の指を繋いでいる部分は鉄のようなものだ。
「我を呼び出した者は貴様か?」
威厳に満ちるような声だ。
イケメン感が溢れ、透き通るような声。だが、その異様な風貌もあって声には威圧感があった。
「一体何の……よォう?」
「は?」
しかし、ゆっくりと顔を上げたそのヴェルフリーディはディズの顔を見るなり、その威厳と威圧感を霧散させた。
「は? え? おまっ? は?」
「な、何かな?」
「は? え……えっと…………え? お前何歳?」
「い、一応……もうすぐ八歳だけど――――」
ディズはただ正直に答えた。「中身を合計すると30代は越えちゃってます」とは言えない。いくら誠実を意識しても、これだけは隠さないといけない。
キョトンとした顔の妖霊。
あまりに意外過ぎて声が出ないようだ。
「お前が召喚したのか? オレを?」
「も、勿論。ここに入ってるんだし。見えるでしょ? 君がヴェルフリーディだよな?」
ディズは床に書かれた魔法陣を指差した。
ヴェルフリーディは何度も彼の顔と床の魔法陣を交互に見る。
「…………うっそだァ!」
「え……?」
「絶対ホラだねェ! 有り得ねェよ! オレ、お前に召喚されるほど階位の低い妖霊じャねェし!」
威厳はどこにやら。
突然、軽くて砕けた口調で喋り出す。
「…………いやいやいや! ほんとだって!」
「おいおい。坊主。正直になった方が良いぜ? なんかイカサマ使ったんだろ? 実は見えない所にお前を操ってる召喚師がイんだろォ?」
妖霊はキョロキョロと辺りを見渡し、他の人間を探す。
(な、なんだ? こいつのキャラは? え? もっとこう……物々しい感じを想像していたのに、妖霊ってこんなもんなのか?)
イメージと違って、現代の若者の中で雑な口調に思わずディズは閉口する。
「いや、本当だって、なんで嘘吐く必要あるのだよ?」
「坊主? 説明してやるよ。オレらが人間を殺したいからだ。それを怖がってるんだろォよ? ちげェのか? おい? 出て来いポンコツ!」
「…………ポンコツって。つか、やっぱ恨んでんだな?」
「はァあ?」
「いや、まぁ気持ちは分かるぜ? 人間の教科書だと妖霊は道具扱いだもんなぁ。ありゃグレるわ」
「あん?」
ディズ口調に今まで以上に素が乗っかる。
妖霊の口調に引っ張られ、元々の子供らしくない言葉遣いに変わった。
「納得できなくて当たり前だろ。俺だってお前らの立場だったら嫌だぜ」
妖霊にも意志と心がある事だ。
帰りたいと思うからこそ、抵抗するし、反逆もする。
それを一方的な凶暴性で片付けている教本に、ディズは一種の嫌悪感を抱いた。
その嫌悪感は彼の前世の立場と少し似ている部分もある所為かもしれない。
「おいおいおい! ちょっと待てよ。お前なんだ? 何を狙ってる?」
「え? だから、お前を召喚した召喚師だって。いや、魔法使いか。嘘じゃないぞ」
「なんだよ? マジで言ってんのか?」
「マジもマジだよ」
「…………マジか?」
「マジだ」
「ああ? もうなんだ? じャあ、あれだ。とりあえずお前ってことで納得しとくとして、なんでオレを召喚した? 誰かを始末しろってか? それとも戦争か? つか、ここ何処だ?」
「え? 戦争? あ~、え~っと、質問が多いなぁ。あ~っと。ここはヴェルカ帝国のポルフだ」
「知らねェなァ。ヴェルカ帝国? …………いや、300年くらい前に召喚された時、聞いたことあるな。んで? 目的は?」
さらっと年齢に関する内容が出てきて思わず驚く。
長寿であることは予想していたが、当たり前のように3世紀以上前の事まで記憶しているとは思わなかったのだ。
昨日の朝食すら記憶に苦しむ人間とは大違いだ。
「実はいろいろ聞きたい事があるんだよね。嫌なら別にいいけどな」
「はァ? 嫌なら良いって……普通は強制的にやるもんだろ?」
「何言ってんだよ。『誠の名』だって名乗らせてないのに強制はできないし」
「……そういやァ、名乗ってねェなァ」
「まぁ、名前を知ってるのに、名乗らせるってのも変だよね」
「だなァ……って、ちげェんだよなァ!?」
「……なにが?」
「お前、何で名前名乗らせるんのか知ってんのか?」
「カッコよく言うと【絶対命令権】が執行される。分かり易く言うと首輪を着ける」
「知ってんじャねェかよ。つまり今のオレにはお前の命令を聞く義務はねェ」
「そうだよ。だから、お願いしてる」
「違げぇんだわァ!」
ディズの口から出た「お願い」という言葉を聞いて、ヴェルフリーディの時間が止まった。
ヴェルフリーディの驚きによって、ユラユラと周囲の空気が揺れた。
まるで不安定になっていた大気が元に戻りたがっているような印象だ。
「いや、お願いって……」
「強制なんてしない。言っただろ、俺がお前らの立場だったら嫌だってさ」
「は、はァ?」
「だからさ、よくよく考えれば誰にだって分かる事だよ。妖霊は無理矢理召喚されて、首輪を着けられ、道具の様に扱われる。そら人間を恨むし、殺してやりたいって思うよな。道具だから壊れれば替えがいるって考えなら、いつ使い捨てられるか分からんし…………俺はそういうのイヤなんだよ」
人間にとって妖霊は道具だ。
虫ケラみたいな認識をしていてもおかしくない。だから、死んでも何とも思わない。
そんな事、堪ったもんじゃない。
そんな事をされれば、ディズだって殺そうと決意する。
自分がいつ殺されるか分からない。だから、極限状態に置かれ続けている妖霊は家に帰る為、寝首を掻く為、召喚した人間を狙い続ける。
心があろうと、誰かを害することに抵抗感すら覚えないのは当然に帰結。
そんな相手に同情し、誠実であろうとするのは失礼だろうか?
妖霊は――――ヴェルフリーディは言葉を話せる。
意志がある。心がある。無情に命令なんてできない。
ディズは人生をやり直す上で、やりたくない事をやる覚悟はある。
それはそれで譲れない一線だってあるのだ。
「変な奴だな…………お前」
「ディズだ」
「あ?」
「俺の名前。ディズだ。ディズって名の変人だ。もう、それでいいから」
「自覚あんのかよ?」
「人がみんな同じな訳がないんだよ。経験上、大衆と同じって得もあるけど損もある。個性ってもんだよ。それが変なら変人なんだろうよ」
「で? なんでオレを召喚した?」
「う~ん、それを言ってもいいんだけどさ。ここじゃなんだからさ。外、行かない? ここ寒いからさ」
「外?」
「ここ空き家でさ。ホコリっぽいし、外の暖かいところで話したいんだよ」
それを聞いてヴェルフリーディはポカンとしている。
ヴェルフリーディからしたら有り得ない。なにせ、歓迎されているのだ。
この状況に戸惑っていた。
それとも動揺しているのか、混乱しているのか。どれも似た様なものだが、ヴェルフリーディは目の前の少年に強い興味を持ったのは事実だった。
「は、いや、おいおい、待てや。今こっからお前出たらよ。オレ、お前殺すかもしれないぞ?」
「それは帰りたいからだろ? お前が望めばすぐに帰すよ。ただ、ほんのちょっと時間をくれって。無理にとは言わないけど」
「おまっ……分かった。テメェ妖霊を舐めてんだろ?」
「は? そんな訳ねぇし。人間より強い存在を舐めるなんてできないね。そこまでバカじゃないって、敬意だって払うくらいだ」
「け、敬意って、なんだお前?」
「で、だ。どうするの? そこから出たくないのか?」
「いや、お前の事、殺すかもしれんェぞ?」
「そんな事言う奴はたぶん殺さないと思うけど?」
「あ? あ~ん……」
「どうすんだよ?」
「分かった。分かった。でもとりあえず、名乗っておくぞ。ヴェルフリーディだ」
「別にいいのに。分かった。了解了解」
「ホントに分かってんのかよ?」
ディズはヴェルフリーディの『誠の名』を受ける。
すると魔法陣が淡く光り、鶴のように伸びてヴェルフリーディの首に巻き尽いて消える。
「ホントに首輪だな」
「ホントに首輪だぜ。いつやっても胸糞わりィわ」
自分にもシステムにも不快な気分を抱きながらディズは魔法陣の外に出る。
ヴェルフリーディも彼に続いて魔法陣から出る。
「ちョっち待ってろ」
そう言って、ヴェルフリーディは姿を変えた。
予備動作もなく、ヌルッと姿が変わった。まるで液体が姿を構築するようだ。
その姿はディズが見慣れていた懐かしいものだった。
18歳くらいの黒髪の東洋人の少年だった。
角は無くなり、腕も普通になり、見た目は普通の人間だ。
(こんな事もできるのか)
人間にはできない事を容易くやる。だからこそ、道具として非常に便利なのだと改めて理解する。
同時に妖霊という神秘を重宝する理由もよく分かる。
「驚いてんな?」
「まぁ、凄いと思うわ」
ディズの反応を見て、改めてヴェルフリーディは理解する。
少年は間違いなく、妖霊を見る事すらも初めてである。
(こいつは……まぁ、期待できるかもなァ)
ヴェルフリーディは少しだけ状況を楽しみ始め、空き家の外出て太陽の光を浴びる。
雨が降っていない事を確認し、周囲を確認する。
ヴェルフリーディは雨が苦手だった。雨が降っているだけで彼の力は少し落ちる。
ディズを信用するにはまだ早い。
確かに人の気配はあるのは空き家から距離のある場所だ。だが、巧妙に隠れている可能性も否定はできない。
(嘘を読み取れてねェからなァ)
ディズが間違いなく素であるは分かる。
見た目と精神と実力がちぐはぐなのだ。
何故かヴェルフリーディは若干ワクワクしていたのだった。
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