一章9 『戒めの目』
「オラの番でごわすな。えーっと……」
親分は目を右に左に往復させて自分の手牌を見やり、考え込む。
一打目から悩むほど高めを狙えるか、あるいは酷い手牌なのだろうか。
さんざん悩んでる親分の横で子分がある牌を指差した。
「親分、これなんかいいんじゃないすか?」
「おお、そうでごわすな。んじゃ、これで行くでごわす」
親分はデカイガタイに似合わない小刀でそれを突き刺した。
すると『發(ハツ)』の牌が宙空に出現。
さんざん悩んだ挙句、字牌。
混一色(ホンイツ)か清一色(チンイツ)の二択で悩んだのか、あるいはタンヤオか役牌の早上がり……?
熟考した末(すえ)にしてはよくわからない決断だ。
それよりも今度は俺が悩む番である。
あの發を鳴くか、鳴かないか。
鳴けば役牌が確定する。しかしその時点で、立直(リーチ)の権利は失われる。
鳴かなければ三枚目の入手は不確定になる代わりに、手代わりができたりオリる際の安全牌として使用できる。立直の権利も保持できる。
だが今やっているのはただの麻雀ではなく、破邪麻雀である。
麻燐に手番を回したら、また強烈な攻撃が来る……。
今は進行が止まっているが、どれほど待ってもらえるかはわからない。
早く決断せねば……。
考えた結果、俺は黎明を一振りして副露(フーロ)した。
「ポン」
発した風が親分の捨てた發を巻き取り、こちらに引き寄せる。
それから手牌の二枚の発も持ち上がり、右横に対面(トイメン)から鳴いた形――両端が縦、真ん中が横になるUの字に――三枚の牌が並ぶ。
麻燐から攻撃を食らうリスクに比べれば、發を鳴くデメリットの方が少ない。それに親の手を一巡遅らせるという、通常の麻雀におけるメリットもある。おまけに役牌の役がついたから形さえ整えられれば、いつでも上がれる。
色々考慮した結果、この選択が最良だと思った。
さて、気になるのは發の効果だが……。
ふいに俺の周囲を、緑の光の帯が螺旋(らせん)を描くように現れた。三本あるそれはいつまで経っても消えない。
「これは……?」
「發をポンすることにより発動する、三重の發ですね」
「どういう技だ?」
「次の技が三連続で発動できるようになります」
「……捨て牌一つで、三枚分の力になると?」
「はい。ただし副露や和了(ホーラ)には効果が適用されないので、ご注意を」
俺は手牌を眺めた。
この中でほぼ攻撃技だと確定しているのは南だ。麻燐へ攻撃するとなると、次に切る牌はこれ一択になるが……。
「では私は、全体攻撃をされることに備(そな)えておきましょう」
ドキッと心臓が跳ねた。
俺は自分が次に切る牌が南だとは、口に出していない。
にもかかわらず柚衣の口調には妙に確信めいた響きがあった。
ヤツの顔を見やると、またあのイーピンの瞳になって、こちらに視線を向けてきていた。
……あの目、もしかして透視でもできるのか?
ゾッ、と脊髄が刺々(とげとげ)しい冷気を発したような気がした。
柚衣が切った牌はリャンピンだった。
その牌が表示されるやいなや、彼女の前に同じ模様の光が表示される。二つの光の円だ。
俺が訊く前に、柚衣が解説してくれた。
「筒子(ピンズ)の効果の一つに、盾があります。牌に記された数の分だけ、自分の身を守る光円(ファ・クォンチュエン)を出現させることができるのです」
「なるほど、シールドってわけか」
「ええ。ですから攻撃を強化する東の牌の効果は無駄になりましたが、貴様の邪魔にならない方がいいかと」
……その目が南を向いている気がするのは、ただの偶然だと思いたい。
俺の手牌にはリャンピンと赤ウーピンがある。
いざとなったら、これを使って身を防ぐことも考えた方がよさそうだ。
「ゲッヘッヘ、守ってばかりじゃ勝てねえでごわすよ!」
意気揚々な親分が、牌の一つを小刀で殴るように刺す。
表示された牌はイーソウ。
俺の手元にはイーソウが三枚あるから、カンできる。
通常の麻雀ならばよほど点数が落ち込んでいたり風変わりな打ち方を好んでいない限り、ここで鳴いたりしないだろう。
だがここで鳴けばもう一回、麻燐の番を飛ばすことができる。
俺が考えている間、イーソウの効果は発動しない。
どうやら鳴ける者がいる時は、ソイツが決断しない限り進行は一旦停止するようだ。
だが制限時間があるかもしれないし、悠長に延々と悩んでいるわけにはいかない。
……やめておくか。
カンすると、ドラを一つ増やすことになる。裏ドラも含めれば二枚だ。
万が一その状態で麻燐に上がられたら点数が跳ね上がる。その結果、どんなとんでもない攻撃が来るか知れたものではない。
ここは大人しく様子を見ておこう。
そう内心で決断した途端、親分の捨てたイーソウが効果を発動した。
美しい羽をもつ孔雀(くじゃく)が、親分の前に現れた。
元々イーソウは鳥ではなく他の動物が描かれることもあったが、なぜかいつからか孔雀をはじめとした鳳凰(ほうおう)や雀が一般的なモデルとなった。
孔雀は翼を広げて目のような模様を麻燐へ見せつける。
途端、彼女の周囲に鎖が出現し、それが彼女の手や体に巻き付いていった。
「な、なんだあれっ!?」
「イーソウの効果、戒めの目っすよ」
今度は柚衣ではなく、親分の子分が語りだした。
「この牌を捨てると、任意の相手の技を牌の数分、制限することができるんっす!」
「ですが副露や和了には利きません。なおかつ副露は、一回分に数えられてしまうので三本の鎖を無条件で一つ解除されてしまうことになります」
「な、なるほど……」
鳴いておけばよかったかと今更後悔した。
カンでイーソウが四枚、四回分麻燐の攻撃を封じることができたのだ。
けれどもリスクを考慮した上ではやはりさっきの選択が正解だったのだと思い込むことにする。
麻雀において、後悔というのはつきものである。
待ちを変えた瞬間にさっき捨てた牌が必要になったり、立直をかけた次の巡目に手牌と同じ種類の赤ドラが来たり、無理して突っ張ったらロンで高めの直撃を食らったり。
しかし済んだことをいつまでも悔やんでいても仕方がない。
雀士に取って一番必要なのは、何よりも切り替えである。つまり反省はしつつも、過去を引きずらずに未来を見る前向きさだ。
麻燐はサンソウを切ったが、戒めの目の効果で何も起きない。
鎖は解除され、次の俺の手牌が来る。
發の効果を受けた、三倍の技を繰り出す時が。
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