一章5 『麻眼の女騎士』
「……貴様と、対局?」
怪訝な女性の声が合図だったかのように、周囲の男共がざわつく。
「おいおい、アイツマジか?」
「うちの団長に挑むなんて……」
「命知らずなヤツだぜ」
女性を睨みやり、俺は訊いた。
「団長……?」
彼女は鼻で軽く笑って言った。
「そうです。私は筒流柚衣(ホンリョウ・ユーイ)。水青家が有する騎士団の団長であり、使用人も務めています」
話している間も、柚衣は中国刀をこちらに向けている。おかしな動きをすれば、息の根を止めに来るだろう。
俺と女性の間には、十五メートルほどの距離がある。
常識的に考えればこれだけ離れていれば、刺されるかもしれないなんて考えない。
だがここはどうやら、今まで培(つちか)ってきた常識が通用しない世界らしい。
……あの構えからどんな攻撃が飛んでくるか、わかったもんじゃない。
しかし向こうだって、俺の戦力はわかっていないはずだ。
まさか無策で突っ込んでくるバカだとは、向こうも思っていまい。
柚衣はこちらを探るような眼差(まなざ)しを向けて問うてくる。
「……貴様がお嬢を欲する理由はなんですか?」
「お前等を酷く嫌がってる。なら、助け出さない理由はないだろ?」
「あっ、あんたバッカじゃないの!?」
その助けに来たはずの麻燐から、なぜか怒声が飛んでくる。
「一人で乗り込んでくるなんてっ、しかも破邪麻雀すらロクに理解してないくせに!!」
……おいおい、助けに来たはずの本人からこっちの手の内を明かされたんだが。
男共が一斉にゲラゲラ笑いだす。
「バッカじゃねえの、アイツ!」
「団長にケンカを売り来たから、どんなヤツかと思ったら!」
「ただの無知野郎かよ!」
こりゃ、詰んだかなと思ったその時。
「ゲッヘッヘッヘ。オラにもその話、一枚噛(か)ませるでごわす!」
さらにイヤな声が森の中から聞こえてくる。
さあっと、血の気が引いていく。
弱り目に祟り目ということわざが頭に浮かんだ。
すぐに森の茂みがガサガサと音を立てて、そこからさっきの山賊共が姿を現した。
「……なんだ、貴様等は」
「オラの素性なんざ、どうでもいいでごわす。それよりも、王国五本指に入る雀士が麻雀の勝負を挑まれて、まさか断らんでごわそう?」
柚衣はちらりと麻燐を見やり訊いた。
「ずいぶん、おモテのようですね」
「ソイツ等のことは知らないわよ!」
「ヘッヘッヘ、さっきあんなに遊んだ仲じゃねえでごわすか」
「ほう、お嬢に危害を……」
柚衣の視線がにわかに殺気を帯び、槍のごとき鋭さを持つ。
山賊共が一斉にびくりと委縮する。
「お、親分、やっぱり、マズかったっすよ」
「そっすよ、あの麻眼(まがん)の女騎士に挑むのは、やっぱりヤバいっすよ」
「麻眼……ってなんだ?」
俺が問いを発した瞬間、柚衣が俯き、肩を震わせ始めた。
具合でも悪くなったのかと心配しかけて、すぐに。
「ククッ、クククククッ!」
空気を切り裂くような笑声。
それは徐々にデカくなっていく。
「クハッ、ハハッ、私を知らずに挑んでくるとは! 愚かです! 実に滑稽ですッ! ハハハッ、アハッ、アーッハッハッハッッッ!!」
涙さえ浮かんでいる瞳が、徐々に色味が変わっていく。
いや、何かの文様が浮かんでくる。
あれは……。
「ぴっ、筒子(ぴんず)……?」
そう。柚衣の目には、イーピンらしき文様が浮かんでいた。
見たことのないデザインだ。今まで見てきた花を模したものとは違って、充血したバケモノの目のような。しかしそれがイーピンであると、なぜか直感的にわかった。
「ほう、貴様……」
柚衣の目が俺の方を向く。
その瞬間、まるで心の底を見透かされたかのような恐怖が襲ってきた。
「……ふむ、面白い呪いにかかっているようですね」
「な、なんのことだか」
「とぼけなくていいですよ。毎度大変ですね、九種九牌を連続で引かされるとは」
背中を幾筋の冷や汗が伝ったかのように冷え込んでいく。
「……そうですね。それでは勝負にならなそうですし」
柚衣は懐に手を突っ込み。
「受け取りなさい」
何かを放ってきた。それは宙できらりと光る。
俺は反射的にそれを受け取ってしまう。
危険物だったらどうするのだと自分を叱咤するが、もうすでに時遅し。
見やるとそれは、透き通った黒の宝石だった。なんか不思議な色だ。中ではパーソウが浮かんでいた。
あの女はなんでも麻雀に絡めないと気が済まないらしい。あるいはこの世界が。
「なんだよ、これ?」
「封呪の石(フォンチュー・チー・シー)です。この試合だけは貴様は、呪いに左右されずに破邪麻雀を打つことができるでしょう」
「……そりゃありがたいが、どうしてそんなお情けを?」
「足枷のある敵を負かしたところで、水青と私の名前に瑕(きず)がつくだけです。万全な相手に勝利してこそ、真に誇れるというもの」
「へえ。相手がただのド素人でも?」
「家宝を操れる相手は、等しく私の敵。取った首の数はまさしく点棒。その美醜にこだわりはありません。無論」
すっと柚衣の目が細まり、ボゥとイーピンの目が光る。
「手ごたえがあることに、越したことはありませんが」
その目が山賊共に向けられる。
「それで、貴様達は?」
ヤツ等は青くなった顔を見合わせる。
「ど、どうする!?」
「あ、あんなバケモンと戦うなんて、おりゃあごめんだぜ」
「俺っちもだ」
「ええいっ、使えんヤツ等でごわす」
肩を怒らせて、親分が前に進み出る。
「オラが相手になるでごわす」
「相手との力量さを知りながらも挑むか。クク、貴様も愚か者の一人か」
「そうでごわす、道化師さ。だからハンデが欲しいでごわす」
「ふむ。詳しくお訊きしてもよろしいですか」
「オラ達は、五人で1チームってことにしてほしんでごわすわ」
「……どういうことです?」
「麻眼の女騎士のオメエにゃ、さすがに単騎じゃ敵わねえ。だから他の四人にも守りに参加させてえってわけでごわす」
親分の言葉に部下が青い顔を紙のように白くしていく。
「ちょっ、親分!?」
「俺っち達を道連れにする気っすかい!?」
「なんで負ける気でいんでごわすっ! ここで勝てば、水青家の家宝に令嬢、それに最大の障壁を排除することができるでごわすッ! チャンスを目の前にしてみすみす引き下がれるわけねえでごわすッ!!」
「だっ、だけど相手が悪いっすよ」
「そうっすよ! そもそもあの女騎士とやりあわねえために、嬢ちゃんを狙うって話じゃなかったんすか?」
「そりゃ、真っ向からやりあったら敵わねえでごわす。だが……」
ヤツ等の目が一斉に俺の方を向く。
「混戦なら、話は違うでごわそう?」
「へへっ、なるほどっす」
「攻撃を分散して、二体一でやりゃあ、ワンチャンあるかもっすね」
自陣の戦士を増やす。戦いにおいては単純な良策ではある。
この世界の麻雀は点棒を競う競技ではない。
牌で物理的に殴り合う決闘――いや、もしかしたら戦争の規模でも行われているかもしれない。
なればこそ、自分への被害を減らせる術があるというなら、藁にだって縋(す)るべきだろう。
しかし今回ばかりは、それは悪手だ。
「団長、我等も加勢いたしましょうか?」
さっ、と山賊の顔が青ざめていく。
まさか自分達の策略が、敵の人員を増やす結果になろうとは思わなかったのだろう。
だが柚衣はかぶりを振り。
「いいや、私一人で十分です」
「で、ですが……」
「団長たる者が人の手を借りて戦ったなどと知られては、水青家と私の名に泥を塗るようなものです」
「ははっ、失礼しました」
部下は頭を垂れて引き下がる。
それを見て山賊達はほっと胸を撫で下ろした。
柚衣は俺と山賊を見比べて言った。
「これで三麻ですね。まあ、倒す相手が一人から二人――いえ、5人に増えただけです。首の数が増えるのは、むしろ歓迎――」
「あっ、あたしもッ!」
――静まり返っていた場に、必死さ溢れる叫び声が響く。
皆の視線が声の主の方へ向く。
男に取り押さえられた麻燐。彼女が、戦意に瞳を漲らせていた。
「あたしも、戦うッ!」
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