一章4 『少女の名は』
「訊きたいことって、なんだよ?」
「そ、その……」
なぜか少女はもじもじしていて、なかなか話そうとしない。
早く話せよという苛立ちはあったが、急(せ)かすのはぐっと我慢した。
あまりにもせっかちな行動は時として裏目に出る。手を早く進めたいからといってむやみやたらに鳴けばいいという考えが、時として安牌(あんぱい)を減らして自(みずか)らを袋小路(ふくろこうじ)に追い込んでしまうように。
少女は俺の顔を窺(うかが)い俯(うつむ)きを何度か繰り返した後に言った。
「あ、あんたの名前知らなきゃ、呼びようがないじゃない」
「……ああ、そういえば」
今に至(いた)ってようやく、自分達が互いの名前を知らないことに気がついた。
俺は紅くなってそっぽを向いている少女の顔を、わざわざ覗き込んで言った。
「俺の名前は九十九灰夢(つくもかいむ)。だ。九十九とでも、灰夢とでも好きなように呼んでくれ」
「……そう」
それきり少女は黙り込んで、顔を背(そむ)けようとする。だが俺は頬を両手で挟み、逃さない。
「なっ、なにふんのよ!?」
ちょっと力を入れすぎたか、ろれつが上手く回らないようだ。
俺は少女の目を覗き込んで言った。
「俺はまだ、お前の名前を聞いてないんだが」
「あ、ふぉ、ふぉうだったわね」
ぱっと手を離す。
少女は頬を撫でながら、恨めし気に睨(にら)んできた。
「あんたって、性格悪いとか言われない?」
「いや」
「手が早いとか」
「俺は生まれてかつて、生殖行為もそれの真似事にも励(はげ)んだ覚えはない」
「言い方ってもんがあるでしょうに……」
「ムードは変わっても意味は変わらない。それより、お前の名前を教えてくれないか?」
少女はしばらく白い目をしていたが、やがてため息を一つ吐いて言った。
「麻燐よ」
「マリン……名前っぽいな。苗字はないのか?」
「聞きたいの?」
「まあ、できれば」
唇を引っ込めて形のいい鼻から長い息を出した後、少女はぼそりと言った。
「水青」
「水青麻燐(シューチィ・マリン)。あってるか?」
麻燐はうなずいた後、やや強めの口調で言った。
「でも、できれば名前で呼んでちょうだい」
「苗字が嫌いなのか?」
「打草惊蛇(ダーソーチンシュー)って言うでしょ?」
俺は曖昧(あいまい)にうなずいておいた。
「じゃあもしも何かあったら、俺を呼んでくれ、麻燐」
「ええ、わかったわ九十九」
「…………」
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
首を傾(かし)げている麻燐を尻目に俺は洞窟を出た。
見返りを期待した善行は偽善だ。
俺はそう自分に言い聞かせた。
小川には迷わず辿り着いた。
底が見えるほどきれいで、せせらぎの音も気持ちいい。
念のため、手ですくって臭いを嗅いでみる。舐めてもみる。口に含んだら、冷たくて美味しかった。多分、有害な物質はないんじゃないだろうか。もっとも素人のチェックがどこまで信用できるかはわからない。本当なら湧(わき)水を探すのが一番安全なのだろうが、そんな知識も技術も身に着けていない。みんながみんな、ディ●カ●リーチャ●ネルを視聴しているわけではないのだ。
俺はレジ袋を川に浸(ひた)して冷たい水をたっぷりと入れた。幸(さいわ)い破れ目はなかったようで、川から持ち上げても水は漏れなかった。5円もする代物なのだ、これぐらいの丈夫さはあってもらわなければ困る。
俺はきゅっと口を縛って立ち上がった。
ちょうどその時。
「ッ……キャァアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」
「チッ、この声は――」
俺は水を入れた袋を捨てて駆けだした。
まったくもって、アイツは運がない。一向聴(イーシャンテン)時に決まって不要牌が危険牌になるぐらいに。
洞窟の入り口に辿り着くと、大勢の甲冑を纏(まと)った男がいた。人数はざっと十人強ぐらい。
さっきのヤツ等とは違って装備がきちんと整っている。兵士だろうか。
その中央に巨漢に羽交い絞めにされた麻燐と、長身で赤い短髪の武装した女性がいた。
女性は腰に湾曲した鞘を吊るしていた。おそらく、中国刀を収めているのだろう。そういうものを博物館で見た覚えがある。
「お嬢、黎明をどうされたのかいい加減に白状してくれませんか?」
険のある声で女性が問うと、すかさず麻燐は喚(わめ)き声で返す。
「だからっ、知らないって言ってるでしょッ! 足が生えてどっかに行っちゃったんじゃないの!?」
「あれは水青家にとって、唯一無二の家宝。もしもそれを失ったら、権威はたちまち地に落ちます。ご理解されていないわけではないですよね?」
「ふんっ、権威? 九尾とかいうわけのわかんないヤツに娘を差し出すのが権威だって言うなら、そんなもの奈落だろうが地獄だろうが、どこにだって落ちちゃえばいいのよッ!」
女性の右手がふっと一瞬消えたように見えた。
次の瞬間、パンッと音が響き麻燐の顔が左に横向き、女性の右手は振り抜かれた後のように左斜め上にあった。
呆然とした顔の麻燐の髪を上部に引っ張るようにつかみ、女性はあくまでも静かな声で詰問(きつもん)する。
「戯言を抜かすなど、水青の娘として恥ずかしくないのですか?」
「……ふっ、ふん」
「とっとと本当のこと教えてください。紛失されたのですか、それとも意図的に隠されたのですか?」
「そ、そんなの、知らない……わよ」
「……そうですか」
女性はぱっと髪を離し、背を向けた。
麻燐は密かにほっと息を漏らした。
直後、宙を銀色の刃が一閃、麻燐の鼻先に切っ先が突きつけられた。
彼女の顔から血の気が失せていく。
女性は刃よりも冷たい眼光を放ち、麻燐へ問いかける。
「――もう一度だけ訊きます。黎明をどこにやったのですか?」
「だ、だから……知らないって」
「そんな虚言(きょげん)、この私が信じるとでも?」
……ったく、これ以上見てられっかよ。
俺は森の中から飛び出し、「おいっ!」と一声を響かせた。
場にいるヤツ等の視線が集まったところで、黎明をポケットから取り出す。
男共と女性の目つきが剣呑なものに変じた。
「お前等の探してるもんは、これだろ?」
女性が麻燐に突きつけていた刃をこちらに向けてくる。
「……貴様(きさま)、なぜそれを?」
俺が声を発する前に麻燐が声を上げた。
「そっ、それは、九十九……その男が、あたしを――「黙っていてください」
麻燐の言葉を、女性は鋭い声で断ち切る。
「私はあの男に問いただしているんです。お嬢に発言を許した覚えはありません」
「うっ……」
言葉面だけで捉えるなら麻燐は高貴な身であの女性は従者という関係なのだろうが、実際は立場が逆転しているようだった。
男達はじりじりと俺を包囲しようとしているようだった。
それはかえって好都合だった。麻燐の周りの守りが薄くなったところへ突っ込み、彼女を救出してヤツ等から逃げる。
かなりハードではあるが、現状ではそうする以外に取りうる選択肢はない。
俺が隙を窺っていると、女性は黎明と麻燐を見比べて目をすがめた。
「……わかりませんね」
「何がだよ?」
「貴様の狙いですよ」
「……どういうことだ?」
女性は軽く肩を竦めた。
「貴様はすでに、黎明を手にしている。水青家の家宝の黎明さえあれば、新興華族になることも、または他の華族に売って大金に変えることもできる。それなのに黎明を持ったまま、のこのこと私達の前に出てきた」
「つまり立直(リーチ)がかかっていなくて、他家(ターチャ)が聴牌(テンパイ)してる気配もないのに、わざわざ上がり牌を捨ててるのが不思議でならないと」
「……貴様、雀士でしたか」
「ああ、そうだよ」
俺は扇子を持った手を一度天に掲げ、その先端を女性に差し向けて言い放った。
「――麻燐を懸けて一局、俺と打ってもらおうか」
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