一章1 『少女との出会い』
風を感じる。
温かい東風……いや、方角はわからんが。
それと草の香り。
ここは屋外のようだ。
目を開くと、青空。
身を起こし、辺りを見やる。
かなり広い草原のようだ。
遠くに森が見え、背後を少し行ったところに土がむき出しになった道がある。
ぼうっとした頭が段々と正常な状態に戻ってくる。
それに連れて、気を失う前の記憶が戻ってくる。
はて。俺は死んだはずでは?
しかし身体を確認しても、傷一つない。どころか服もきれいだ。まあ、草原で寝てたから背中の辺りは草がついているだろうけど。
背中を払って立ち上がり、頭上を見上げる。
……天国ではないらしい。雲が地上と同じく、遠くにある。
ふと気付いたが、ショルダーバッグがなくなっている。視界を遮るものは特にないから、少なくともこの近く落ちてることはなさそうだ。
見知らぬ場所で所持品の大半を紛失したことに不安を覚える。
幸い、ポケットにはスマホがあった。
これで現在位置を調べれば……なんてことはないだろうな。
ダメもとで試したが、予想通り圏外だ。
俺はため息を吐いて、ひとまず状況整理に専念することにした。
俺は交通事故に遭った。
大型トラックに、ドカンだ。
存命は望みは限りなく低く、たとえ生きていたとしても病室で目覚めなければおかしい。
だが今いるのはどことも知れぬ草原のど真ん中。
日本の中心都市でぶっ倒れて偶然ここに運ばれてくる確率はほぼゼロ。
常識的に考えれば滅茶苦茶だ。チーやポンを鳴いた後に、立直(リーチ)をかけられるぐらいに。
つまり常識から外れたことが起きた、という結論が出る。
さらにそこから思考を進めて仮定を立てるならそう、例えば――
「キャァアアアアアッッッ!!」
悲鳴が聞こえた。かなり切迫している、といった感じの女性のもの。いや、声の感じからして少女だろうか。
森の方からだ。
……行くべきか?
今、俺自身の状況だって不明瞭なのに、人のことを構っている余裕はあるか?
なんて考えている間に、気付いたら声の方へ走り出していた。
無意識の内の自分の行動に苦笑が漏れる。
ベストな選択は、今すぐ引き返して道をひた走り、人里を見つけることだ。
そこで腰を落ち着けて、現状を知る。
こういう状況において情報は、とかく大事だ。
それがなけりゃ、相手の川すら見えぬ状況で対局をしているに等しい。
にもかかわらず、俺は悲鳴の聞こえた方へと突っ走っていた。
こんなの中(チュン)と發(ハツ)を鳴いているヤツがいるのに、わざわざ手牌に一枚だけある白(ハク)を捨てるに等しい、無謀というか浅慮(せんりょ)な行い。言うまでもないが川やドラ表示には一枚も見当たらない。
俺は小三元、下手したら大三元に命を振り込もうとしているのだ。
傷はかなり深いものになるかもしれない。下手したら命の点棒というか天命が尽きる可能性だってある。
君子危うきに近寄らず、その言葉の意味は俺も理解している。
だけど思考に反して足は動き続けている。
止まるつもりは毛頭なかった。
どうやら俺は、誰かが困ってるのに放っておけるような利口なヤツではなかったようだ。
自分のバカさ加減にうんざりしながらも、森の中に駆け込んだ。
すぐに悲鳴の主らしき者はみつかった。
ソイツはかなり昔の中国人が着ていた漢服を身にまとった、小柄な少女だった。
素人目に見ても漢服は上等なものだし、髪もきちんと手入れをされており、つややかだ。
いいとこのお嬢様らしい。
おまけにすっごい可愛い。
やや幼い感じはあるが、小顔で整った容姿をしている。
大きな瞳は意志の強さを湛え、小さな口はきゅっと真一文字に結ばれている。
その少女は、なぜかへたり込んでいた。
少女の前には下卑た笑みを浮かべた、四人の襦褲(じゅこ)を着た男がいた。
襦褲は所々当て布をされており、生地もよれてかなり使い古されている。髪も適当に布で巻かれているだけで、誰も見た目には大して気を遣っていないようだった。
だが人物よりも俺の目を引くものがあった。
四人の前の宙、そこにはよく見慣れた、麻雀牌が並んでいた。
机はない。全ての牌が浮いているのだ。
しかも手牌らしきものは、他の牌より一回りサイズが大きかった。
今行われている局はもう終盤間近、川には三列目まで牌が捨てられていた。
四人の男の内、対局に参加していない、大柄で熊みたいな風貌の、いかにもリーダー格のヤツが嘲(あざけ)るような声音で言った。
「もう諦めるでごわす、嬢ちゃん。さすがの華族(かぞく)サマでも、三対一じゃあ勝ち目はないだろう?」
仲間の猿顔のヤツが言う。
「そうそう。大人しく言うことをきいてくれれば、痛い思いをしなくても済むんだぜ」
「まあ、気持ちいい思いはするかもしれないけどな!」
男達は声をそろえて笑う。
少女は拳を地面に打ち付けて怒鳴った。
「ふっっっざけんじゃないわよッ! あたしは絶対に、何があっても、あんた等みたいなヤツには従わないんだからッ!!」
「へへっ、強がんなよ」
「もう立ち上がることだってできねえんだろ? お前さんはもう、負けたんだよ」
板面を見る限り、まだ誰も牌を倒していない。
対局は続いているはずだ。
なのに、あの子が負けた……?
点差のことを言ってるのかと思ったが、点棒は見当たらない。
それにもう一つ気になることがあった。
少女の姿がやけにボロボロなのだ。
服は上質なのだが、所々焼けたり、裂けたり、濡れたりしている。
汗まみれで、息も上がっている。
ただ麻雀をしているわけではなさそうだ。
一方の男達は誰一人そんな状態ではなく、いたって平然としていた。
「なあなあ、ヒノモトって国じゃあ、負けたヤツが服を脱ぐ脱衣麻雀ってのがあるらしいぜ」
ヒノモト……? 日本のことだろうか。
「へえ、そいつぁいいな! おい嬢ちゃん、お前さんも負けたら服脱げよ」
「華族サマがそんなみすぼらしい格好してちゃあ、示しがつかねえだろ? 俺っち達がふさわしいおべべを着せてやるからな」
普段から練習でもしてんのかってぐらい、男達はぴったり同時に笑いだす。
少女は何度も立ち上がろうとしているようだが、脚が言うことを聞かないのかすぐに倒れてしまう。
「……あたし、負けるの? こんな酷い、負け方……するの?」
少女の目から、ぽろりと涙が零れ出る。
それは一粒、二粒目まで地面に落ちた後、とめどなく溢れ出してきた。
嗚咽を伴い、彼女は泣き続ける。
状況はまだ完全には把握できていない。
しかしもうこれ以上、見ていられなかった。
俺は隠れていた木の影から飛び出し、少女の前に立って男達を睨みやった。
「あんっ、なんだテメェは?」
「灰夢(かいむ)――今からお前達を倒す男の名だ。その足りねえ頭の中の要領を大きく圧迫するだろうが、まあ許せ」
男達の顔色がさっと青く、それから徐々に赤くなっていく。
「っ……どうやら、自殺願望者だったみてえだな?」
「どうする、お頭?」
控えていたリーダーが、醜悪な笑みを浮かべて言った。
「本気を出して構わねえでごわす」
「そいつぁつまり、命の保証はしなくてもいいってことか?」
「殺す気でやれ、ということでごわす」
男達が「ヒャッハー!」と二昔前の暴走族みたいな雄叫(おたけ)びを上げる。
少女がへたったまま、俺の服を引いて言った。
「ちょっとあんた、何やってんのよ!?」
「何って……まあ、正義の味方?」
「バッッッカじゃないのッ!?」
鬼さえ泣くんじゃないかってぐらい、すっごい形相で言われた。ぶっちゃけ、男なんかよりよっぽど少女の方が怖いと思った。
「状況をよく見て飛び出しなさいよ!」
「……まあ、親に振り込む割合は他のヤツより多いかもしれない」
「麻雀の話をしてるんじゃないわよ! っていうかあんた、家宝(チャーポー)持ってないじゃない!?」
「家宝って……なんだよ?」
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