いざ約束の地へ
人間は、与えられた時間や予算といった猶予を、あるだけ使ってしまうらしい。
例えば夏休みの宿題を最終日にやる、なんていうのはその最たる例だろう。早いうちからコツコツやっておけばいいものを、「まだ日にちがある」などと言ってなかなかやらない。その結果、あら不思議。あれだけ余裕があったはずなのに、気がつけば最終日に全部やるハメになるのだ。これをパーキンソンの法則という。
これは高校生活も同じだ、と
「ねぇ、いいじゃん。美味しいタピオカ屋があるんだって。二人で行こうよ」
「ええ〜……。でもぉ」
「ねね、絶対美味しいからさ」
男子生徒の方が、執拗に女子生徒をタピオカ屋に誘っていた。口調こそ優しげだが、その目は「絶対に逃してたまるものか!」とピカーン。獲物を見つけたハゲタカのように光っている。女子生徒も女子生徒で、「えぇ〜」と困ったように腰をくねらせてはいるが、その実まんざらでもないようで、よく見ると顔は嬉しそうににやけている。
愚か者どもめ。
高校の三年間は決して、やることのない自由な時間ではいのだ。その後の進路、進学をするのか就職をするのか、進学をするならどこへいって何がしたいのか、就職をするならどんな仕事をしたいのか。そしてその希望進路先へ進むためには、何をしなければいけないのか。そういったことの準備期間、それこそが高校生活の三年間である。
もうほとんどの生徒は早々に教室を後にし、各々放課後の自由を謳歌しにいったが、この男女二人は、飽きもせずにこの不毛な駆け引きを続けている。
きっとこいつらはいざ高校三年生になって進路を聞かれた時、「タピオカ屋に、俺はなる!」と無計画に言ったり、「ええ〜」と困ったように腰をくねらせたりするのだ。
ちなみに、放課後男女で仲むつまじく過ごすことを妬んでいるわけではない。断じて。本当に。
誰にともなく心の中で言い訳をして、机に広げていた数学の参考書に目を戻す。賢い僕は予習復習で差をつけるのだ。ククク……と一人ほくそ笑む蔵之介のところへ、
「お疲れ〜い」
軽薄そうに声をかける男が一人。蔵之介は小さくため息をついた。
「なんだ」
少し垂れ気味の目は、男らしくキリリと細い眉毛も相まって、甘いマスクの形成に一役買っている。アッシュベージュで彩られた髪は、無造作ヘアでおしゃれに仕上がっていた。
「もう授業も終わったんだし、さっさと帰ろうぜ」
人懐っこい笑みを浮かべるこの男は、
「今日は先に帰っててくれ」
「そんな復習に時間がかかるんか?」
悠馬は蔵之介が机に広げている数学の参考書とノートを見て眉を潜めた。相変わらず勉強マニアだなぁ、といささか呆れた様子である。
「違う。今日はサークル見学に行くんだよ」
「は? 新歓は明日だろ? どこ行くんだよ」
「数学研究会」
げ、と悠吾が舌を出して苦い顔をする。
「出たよ。本当に小野寺先輩にあちちだねぇ」
「そんなんじゃないと言ってるだろう。アホめ」
悪態をつきながら、机に広げた教材を仕舞いこみ、荷物をまとめる。
「じゃあ終わんの待ってるよ。適当に時間つぶしとくわ」
「何時になるか分からんぞ。先帰ってろよ」
「遅くなるようだったら連絡くれよ。そしたら帰るわ」
適当に手をひらひらと振る悪友に、そうか、と適当に返して蔵之介は足早に教室を後にした。
悠馬にかまっている場合ではない。廊下を進む足が自然と早まる。ドキドキと高鳴る胸の高揚が抑えられない。ようやく、小野寺先輩に会えるのだ。
廊下や、通り過ぎる教室の中にも男女のペア、もしくは集団が楽しそうに乳繰り合っていた。くそ、リア充め。蔵之介は心の中で舌打ちをする。しかしこれが、この学園では当たり前の光景であり、入学してたった一週間だが、蔵之介にとってうんざりするほど見飽きた風景となっていた。
恋ヶ峰学園。十五年前に大富豪、
そんなある日、突如雲林院が「真に優秀な人材を育てる教育機関をつくる」と発表をし、「真に優秀な人間とは、恋愛能力の高い人間である」というトンデモ理論に基づき、恋愛能力育成機関……「恋愛を学ぶ学校」として恋ヶ峰学園は設立された。
設立当初は、世間から馬鹿にされ、叩かれた。勉強のできない落ちこぼれの掃き溜め、社会不適合者の集まり、若者の性の乱れ……などなど。
しかし恋ヶ峰学園は立て続けに優秀な人材を輩出した。国内外問わず超一流大学に進学する者、大企業に就職する者や研究者として名を馳せる者、芸能界で活躍する者、はたまた政界に進出する者まで、数え上げたらキリがない。
そうしてわずか十数年で、恋ヶ峰学園は落ちこぼれの掃き溜めから、卒業できればどんな夢でも叶う楽園へと評価を変えた。今では入学希望者が後を絶たないが、入学すること自体はそう難しいことではないらしい。問題は、卒業することが至難の技だということだ。
とはいえ、実はこの学園のことを蔵之介はほとんど知らない。恋ヶ峰学園は詳しい教育プログラムを世間に公表しておらず、分かっているのは先の大富豪、雲林院愛美が主導で作った『LOVE BATTLE ARENA』を使って恋愛能力を競うこと、そして、その恋愛能力によって全てが決まる、ということのみである。
蔵之介は、入学式で配られた、自身の腕に巻かれる機械の腕輪を眺めた。どうやらこれが『LOVE BATTLE ARENA』を行うための装置であることは、入学してからのここ一週間で行われた学園案内で分かった。学園内にいる間はこの腕輪を外すことを禁じられており、破った場合は即退学という厳しい処置が待っている。
それ以外のことはまだほとんど分からない。実に不透明で、謎が多い学校である。
当初は、この学園の存在に懐疑的であった。恋愛を学ぶなどという、あまりにも俗物的でくだらない学校。正直見下していた。しかし結局入学を決めたのには、二つの理由がある。
一つは、詳細はどうあれ、事実として卒業すれば優秀な進路先へと進めるということ。
研究者になりたい。小さな頃から数学が大好きで、小・中学校では常に学年トップの成績。このままエリート街道を突っ走り、ゆくゆくはノーベル学者、お金もガッポガッポ……。札束のプール……。美女もガッポガッポ……。
「……ハッ! いかんいかん」
慌てて妄想トリップから現実へと帰還する。垂れかけていたよだれを慌てて手で拭い、誰かに見られていないか慌ててあたりを見回す。幸いにも、異性と話すのに夢中な生徒たちは、蔵之介のあわや犯罪ギリギリのにやけヅラには気づかなかったようだ。
気を取り直して、小野寺のいる数学研究会……数研の部室へと急いだ。
小野寺に会うのは実に一年以上ぶりである。はやる気持ちを抑えきれず、忙しない早歩きで廊下を進む。
そう、その小野寺こそが、蔵之介がこの学園を選んだ二つめの理由であり、そもそものきっかけであった。
あの日の記憶が、鮮明に蘇る。
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