第9話 グッドバイ

 その日、私の心はとてもざわついていた。惨劇を目の当たりにしたからだ。岡崎と円藤は早退し、前田と長谷部は黙り込んで弁当を食べている。結局、昼休みまで原口先生は戻らなかった。

 昼休みが終わりかけたころ、原口先生が戻ってきて内田が無事だということを告げた。今は市民病院に入院しているらしい。さらに午後の授業は中止にすると告げられた。

「あなたたちもひどく疲れているだろうから、今日はもう休みなさい」

 いや先生の方が疲れているでしょ。そう言いたくなるような先生の顔だ。でも実際、私もひどく疲れていた。

 家に帰って、お風呂に入り、ママの手料理を食べて、歯を磨き、テディベアを抱きしめて眠りにつく。そんないつもと変わらない時間を過ごしたい。嫌だったこと、怖かったこと、みんな忘れたい。そう思ったので、私は先生の気遣いに少し甘えることにした。

「はい、そうします」

 私はそう言うと鞄に荷物をまとめる。長谷部と前田も私に続いた。

「先生が鍵を閉めておくから大丈夫よ」

 これは鍵当番の長谷部への気遣いだ。

「わかりました。ありがとうございます」

 長谷部は律儀に頭を下げる。

「じゃあ、さようなら」

 先生が疲れた顔で言う。私たちは軽く頭をさげ、教室を後にした。


 帰り道で私は前田と長谷部に尋ねた。永友は直接いじめてはいなかったはずなのになぜ殺されたのか? 一年前のことをもっと詳しく教えてほしいと。

 二人はしばらく黙っていたが、

「本田さんにはまだ話していなかったわね。ごめんなさい」

と重い口を開いた。

「なんで永友さんが呪われているのかというとね」

 前田が気まずそうに言った。私はうなづく。

「あれはね、あの時、本当にいろいろあって……。最初は3人だけだった。柏木さん、酒井さん。それに岡崎さんと円藤さん。でもそのうちに、いじめがだんだんエスカレートしていって……、それで」

「それで?」

「それでクラスの全員でその子を無視し始めたの。うっちーも永友さんも、私と眞子ちゃんも。やがて孤立したその子は一人で何かをノートに書くようになった。それがたぶんあの日記。それでそのあと……」

 自殺した。わかっているからか、言いたくないからか、前田はその先を言わなかった。

(最低……。それだけのことをしといて、自分たちは被害者ズラかよ)

 私は素直にそう思ってしまった。呪い殺されて当然かな。

「呪い殺されて当然だよね、私たち」

 長谷部が私の思いを口にする。

「でもあの時はどうしようもなかった。ああでもしなきゃ、私たちがいじめられるような気がして」

 山梨の学校でも似たようなことがあったな。私はふと思いだした。あの時は誰も死ななかったし、いじめられていたのは女子じゃなくて男子だ。それもデブでメガネで無口できもいやつ。そいつのことをみんなでからかったりしていた。

 私はいじめなんて趣味の悪いことはしないで、そいつがいじめられているのをぼーっと眺めることが多かった。いじめを眺めるのはいい気分がしなかったが、だからと言っていじめられている男子を助ける気にもなれなかった。正直いじめられて当然だとも思った。あんな男子、私だって近づきたくない。

 でもそんな男子でも私は優しくしてやった。教科書を忘れた時なんか、みんなが嫌がる中、私は率先してそいつに貸してやった。私の顔を見て嬉しそうに「ありがとう」と言って気持ち悪い顔をされたけど、別にあんたのために貸したわけではなかった。

「いじめられているやつにも優しく接する本田さん」を演じるために仕方なくやってやったんだ。私はこんなきもい男子とも、いじめている低能なクラスメイトたちとも違う、一つ大人なポジションにいるつもりでいた。そんなことをふと思い出したのだ。

「でもあの時はどうしようもなかった。ああでもしなきゃ、私たちがいじめられるような気がして」

 本当にそうだったのか? 集団行動を頑なに拒んできた私にはわからない。長谷部と前田には厳しいかもしれないが、思っていることを言うことにした。

「あなたたちは亡くなった子の友達だったんでしょ? どうして助けようとしなかったの? 先生にこっそりと言うことぐらいならできたはずでしょ」

「そっ、それは……」

「それはできなかったのよ」

 言葉に詰まった長谷部を前田がフォローする。

「なんで?」

「先生も弱みを握られていたから」

「弱み? 誰に?」

 二人は目を合わせる。

「円藤さん」

「円藤さん? なんで? どんな?」

「先生の写真、撮られちゃったから」

 少し黙ったあと、前田がそう言った。

「写真?」

「うん。生徒とキスしている写真」

「えっ。あの川島先生が?」

 意外だった。教育熱心で下心なんてないように見えたからだ。

「うん。川島先生、生徒と付き合ってたのよ」

 長谷部が小さな声で捕捉する。

「もう卒業しちゃったけど、たしか一つ上の先輩だった……」

「そうそう、バスケ部のね」

 前田が相槌を打つ。

「確か名前は……」

「ムコウ アオイ」

 前田が疑惑の生徒のフルネームを言った。

 ムコウ アオイ。漢字で書くと苗字は「向日」かな。そして名前はおそらく「葵」か。素敵な名前だなと私は思った。苗字と名前を組み合わせると「向日葵」になる。

「で? 写真を撮られちゃった先生はどうなったの?」

「それ以来、円藤さんには逆らえなくなった」

 長谷部が俯き気味に答えて、

「ことあるごとにその写真を、PTAや教育委員会にばら撒くぞって脅されてね」

前田がそう付け足した。

「なるほど」

 先生も呪い殺されて当然か。まあ円藤も円藤だが……。

 それからしばらく黙って歩いた。そうして家の傍に着く。

「じゃあ、私はこっちだから」

 私は二人に別れを告げる。

「じゃあね」「また明日」

 手を振って、小さくなる二人を見送る。

 家までの道。一人っきりの道。私は怖くなって駆け足で帰る。

 家に帰るとママもちょうど帰ってきたところだった。

「けいちゃん。おかえり。先生から早退の件は聞いたわ」

 その言葉に私は少し泣きかける。

「ただいま」







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