第2話 レイニィデイ

―5月30日 日直 岡崎―


 今日は朝から雨だ。五月の末、梅雨入り前の今日の雨は、昨日のこともあってか、私を憂鬱にさせた。

 私はいつも通りに教室へ向かい、席について朝のホームルームが始まるのを待った。クラスメイトはもうみんな席についている。なのに会話か全くない。なにこれ? すごく空気が重い。

 私は両隣を見渡してみた。岡崎は机に伏せて爆睡中だ。はたしてこれは「爆睡中」なのか、「爆睡中のフリ」なのか。起こして不機嫌にさせるのも嫌だから、このままにしとこう。そもそも、わざわざ起こしてまで喋るほど、私は岡崎と仲良くはない。

 反対の側の席には長谷部だ。彼女は起きていた。しかし、読書中だ。脇目で観察してみると、カバーの付いた文庫本を丁寧に持ち、頻繁にページをめくっている。きっと読むのが早いから、相当な読書好きっぽい。彼女は何を読むのだろう? 今、流行の作家だろうか。上下巻が赤と緑のやつ。タイトルなんだっけ? でも、あれって出たばかりだから、文庫本にはなっていないか。じゃあもしかして明治くらいの作家かな。森鴎外と夏目漱石くらいしか知らないけど……。

 長谷部に「何読むの?」って聞こうとしたけど、やめた。そもそも、私は少女マンガくらいしか読んだことがない。聞いたところで話が分かるはずもないし、それに読書の邪魔をしちゃ悪い。

 今度は前を見た。右前から、内田、円藤、永友と3列に並んでいる。内田と円藤は、岡崎と同じように机に伏せて「爆睡」。普段うるさいが、今はこの二人本当に寝ているらしい。耳を澄ますと雨音に混じり、かすかな寝息が聞こえてくる。円藤は顔を完全に伏せ、内田は寝顔をだらしなく横に晒している。

 左前の永友を見ると、絵でも描いているのだろうか。せっせとノートに向かっている。自分の世界に完全に入っちゃってるな。

 そもそも私が前の3人に話しかけるには、席を立たなきゃならない。そんなのだるいし、めんどい。私も爆睡中の「フリ」でもしようかな。

 そういえばこのクラスにはもう一人クラスメイトがいた。左後ろの前田麻奈まえだまなだ。彼女は保健委員で、とにかくお人よし。掃除は進んでやるし、クラスのリーダー格の円藤や内田の頼み事はだいたい何でも聞く。そんな彼女がクラスの席順で一番後ろだ。



 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

   黒板


永友 円藤 内田


岡崎  私  長谷部


前田


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


 これが今の3年1組の席順。

 私が転校してくるって決まった日、私がクラスに馴染めるようにと、前田が席を譲ったらしい。そこまでしてもらわなくても、転校には慣れている私はすぐに馴染めただろうけど。

 後ろだから、前田の様子は深くうかがえなかったが、彼女もまた一人の時間を過ごしているのだろうか。脇目で下を向いているとわかったので、私はちらっと後ろを向いた。

 しかし彼女は爆睡中でも読書中でもお絵かき中でもなかった。手を組み、下を向きながら、まるで祈るように小刻みに震えていた。

 私は思った。

(なに……してるの?)

 その光景はあまりにも不気味で意味不明だった。梅雨前の雨降りの、朝の学校の、ホームルーム前の、女子中学生が行う何気ない日常の一コマにしては……。

 その時、チャイムが鳴った。朝のホームルームの始まるチャイム。私はとりあえず前田から目をそらし、前を向いた。だがチャイムが鳴り終わっても、教室は変わらなかった。いつもなら担任が入ってくるはずである。というか、いつもならもう教卓の前に立っている。担任はいつも五分前には教室にいてチャイムを待っていた。それが今日はチャイムが鳴ってもなっても教室にはこない。

 もしかして休み? 体調不良とか。あるいは親族が亡くなったとか。なくもない。前の学校でも二回あった。そうなったら担任の授業は自習。国語嫌いだから、できればそうなればいいな。

 さっきのチャイムで目覚めたのだろう。円藤と内田がほぼ同じタイミングで、むうっと起き上った。そしてほぼ同じタイミングで、黒板の上の時計を見た。

「……先生、こないね」

 円藤が言った。眠気交じりで少しおとなしめだが、昨日の冷たさを保った言い方だった。内田は答えなかった。代わりに雨音が沈黙を防いでいる。

 その時、なぜか「嫌な予感」がした。廊下を誰かが大急ぎで走る。そんな音が、雨音に混じり聞こえる。そして大きくなる……。

 不意に、教室の扉が大きく開かれる。一瞬、担任が遅刻したのかと思った。しかし、目に入ったのは意外な人物だった。白いジャケットに、白いスカート。学年主任の原口先生だ。しわまみれの顔を汗まみれにして、教卓に立つ。

「みなさん、おはようございます」

 とても早口な挨拶だった。隣の岡崎が、むうっと起き上る。

「みなさんに、とてもショックなお話があります。落ち着いて聞いてください」

 この言葉も早口だった。まず、先生が落ち着いた方がいいと思う。

「担任の川島先生が、今朝……」

 風邪ひいた? お葬式? どうせ大したことじゃないんでしょ? 

「今朝、……亡くなりました」

 私は一瞬、思考回路が停止した。

(え? 死んだ?)

 その刹那だった。私の瞳に恐ろしい像が映った。

 男の人の顔。顔の右半分は血まみれで、目は半目。左半分は、ちぎれて存在しなかった。そしてこちらを静かに見つめている。

 それは紛れものなく、担任の川島先生だった。それが目の中の瞳に、一瞬だけ映った。

 なに? 私は恐怖で固まった。原口先生の声が微かに耳に入る。

「交通事故だったそうです……。川島先生はいつもバイクで来られてたらしいんですが、今日はなぜかヘルメットをされてなかったみたいなんです。そして運悪く、ヘルメットをしてない時に、トラックとぶつかって……」

 ヘルメットをしていなかったから、あんな顔に……。再びあの顔が浮かんだ。いや、今度は私の頭で思い出した。

「とりあえず、今日はホームルームは私が、国語も自習にして私が監督します」

と、最後まで原口先生は早口だった。

「じゃあ、長谷部さん、お願いします」

「あ、はい。起立」

 長谷部は少し動揺している。

「礼」

「おはようございます」

「着席」

 私はそれ以上に動揺していた。席に着いた瞬間、体のあちこちが震えだして、どうにもならなくなった。

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