2-3 先輩、なに言ってるんですか?

「俺は泰記。長谷川泰記ってんだ。泰記の漢字は泰子やすこの“泰”に日記の“記”って書くんだ。好きな食べ物はフエラムネ、嫌いな食べ物はフーセンガム。愛用しているゲーム機はゲームボーイポケット、今欲しいゲーム機はゲームボーイライトだ。ちなみに好きなゲームボーイのボタンはセレクト。理由は響きがなんとなくカッコいいから?? こんな馬鹿丸出しで救いようのない俺だけど、これからもよろしくなっ!!」

「長谷川先輩はそんなこと言いません……」


 机を挟んで向かい側に座る八瑛ちゃんが、俺のモノマネに渋い顔で抗議してくる。


 より本番に近い形式を模索した結果、素の俺を相手にするより、俺を泰記に見立てたほうが効果的なのではないか? そんな結論に達したんだけど……どうやら無理があったようだ。


「いやいや、八瑛ちゃんは知らないと思うけど、小学生のころの泰記はわりとこんな感じだったぞ?」

「えっ、それ本当ですか?」


 おっ、食いついた。


「ああ。ちなみに内容も嘘じゃないぞ。泰記のフエラムネ好きは近所でも有名で、《フエラムネの長谷川》なんて異名で呼ばれることもあった。ほかにも《騒音少年》とか、《笛餓鬼》なんてのもあったな」

「絶対近所から煙たがられてましたよね、それ……」

「常に携帯してて、暇さえあれば吹いてたからな。あと、フーセンガムはうまく膨らませられないから嫌いなんだと」

「あ、なんかそれわかります。ちょっと不器用そうですもんね、長谷川先輩って。それでそれで? ゲームボーイの話は? 先輩たちってどう考えてもゲームボーイポケット世代じゃないですよね?」


 八瑛ちゃんは興味津々な様子で身を乗り出してきた。興奮しているせいか、口調もどこかフレンドリーになっている。


「あぁ、ゲームボーイポケットは親父さんのお下がりだよ」

「へぇ、お父様の……」


 お父様て。


「さすがに今現在の泰記はもう愛用してないと思うぞ。ライトを欲しがってたのも当時の話だからな」

「じゃあ、今現在の長谷川先輩が愛用しているゲーム機って?」

「ゲームボーイアドバンスSP」

「物持ちいいんだ、先輩……」


 うっとりした表情でどこか遠くを見つめる八瑛ちゃん。物持ちがいいからどうしたというのだろう……。


「先輩っ、私、もっと長谷川先輩のこと知りたいです! 教えてください! 泰子って誰なんですか!?」

「落ち着いて、八瑛ちゃん。これからするのは泰記の話じゃなくて、泰記と友達になるための練習だろ? 泰記のことは泰記と友達になれたら、本人からいくらでも聞けばいい」

「あ……そうでした。ごめんなさい、浦芝先輩。私がやりたいって言い出したのに……」

「まぁ、最後に一つだけ答えると、泰子っていうのは泰記のお袋さんだ」

「お母様……!」

「いつかご両親に挨拶に行かなきゃな?」

「…………」


 あれ。ちょっとした冗談のつもりだったけど、外したかな?


「あの……浦芝先輩」

「ん?」

「手土産って、なにがいちばん喜ばれると思いますか?」


 いつだって真面目な八瑛ちゃんだった。



 挨拶の予行演習もしておきたいと言う八瑛ちゃんをやんわりとなだめ、俺は改めて切り出した。


「難しいかもしれないけど、俺のことはなるべく泰記だと思って接してみてくれ」

「はい、頑張ります」

「泰記ってちゃらんぽらんに見えるけど、あれで意外と変に気を使うところがあるから、八瑛ちゃん相手にぐいぐい来ることはあんまりないと思うんだ」

「はい……私もそれは感じてます」

「やっぱりここは、八瑛ちゃんからぐいぐい攻めるしかないと思うんだよな」

「……はい。大丈夫です。いけます。ぐいぐいいけます。ぐいぐい……」


 ぶつぶつと自分に言い聞かせるように言う八瑛ちゃん。本当に大丈夫かな……。


「話題はなんでもいいから、とにかく八瑛ちゃんのほうから話しかけてきてくれ。それじゃいくぞ、よーい」

「ま、待ってください!」

「ん、どうかしたか?」

「その、いきなり話しかけたりして、変に思われないでしょうか?」

「え? 別に変じゃないだろ?」

「そ、そうでしょうか? 今までほとんど話したこともなかった部活の後輩が、突然話しかけてくるんですよ? なんだコイツ、不気味だな、関わらんとこ……ってなりません?」

「いや、ならないと思うが……」

「ほんとに? 本当にそうでしょうか? 先輩の立場で考えてみてください。後輩の女子がいきなり、『私をリア充にしてください!』とか言ってきたら、どう思います?」

「……そりゃ、ちょっと変わった子だな、くらいには思うけど。別に悪い印象は」

「ほら、やっぱり! やっぱり変に思われるんだ。どうしよう、変なこと口走らない自信なんてないし、浦芝先輩や澄夏さんに嫌われるのは耐えられても、長谷川先輩に嫌われたらって思うと、私……耐えられない」

「…………」


 俺は思った。

 花森八瑛という女の子は、俺の想像していた以上に……ヘタレかもしれない。


「うう……どうしよう先輩。このままじゃ私、長谷川先輩に嫌われちゃいます……」

「飛躍しすぎだ。泰記はそう簡単に人を嫌いになったりしないし、変に思われるとも限らないだろ?」

「けどけど、変に思われる可能性はあるわけじゃないですか?」


 このままじゃ平行線だ。別の角度から説得を試みることにする。


「そうは言っても八瑛ちゃん、人間関係なんて往々にしてそんなものだろ? いちいち他人にどう思われるかを気にしてたんじゃキリがない。なにも身動きがとれなくなる」

「それは……そうかもしれないですけどっ……」

「八瑛ちゃんだって委員長としてクラスのみんなや先生と接することが多いと思うけど、そのたびに相手の発言をいちいち気に留めたりしないだろ?」

「え? 私、委員長なんてやってないですけど……」

「えっ、マジで!?」

「はい。ただの美化委員です」

「そんなに委員長っぽいのに?」

「そんなこと、はじめて言われました……」


 悲報。八瑛ちゃんはエセ委員長だった……。


「そうだったのか……」

「なんでちょっとショック受けてる感じなんですか? だいたい私、委員長なんて絶対やりたくないです。そういうの向いてないんです私。人前に出て仕切るのとか、絶対無理ですもん……」


 どうやら八瑛ちゃんは恋愛に限らず、全般的に、基本的に、根本的にヘタレなお方のようだ。


「まぁ、八瑛ちゃんが委員長じゃないのは仕方ないにしてもだ。結局のところ八瑛ちゃんは、泰記と友達になろうとする行為それじたいを、泰記に不審がられないかが心配なわけだろ?」

「はい……」

「だったら心配はいらない。言い訳を用意しておけばいいだけの話だ」

「言い訳……ですか?」

「ああ。友達を作ろうとする行為、それは交遊部の活動内容と完全に一致する。つまり、もし不審がられたり、ないとは思うが八瑛ちゃんの真意を勘づかれたとしても、部活動の一環だと言い張ることができるというわけだ。どうだ、これなら安心してぐいぐい攻められるんじゃないか?」


 それに、部活動の一環というのはあながち嘘じゃない。『友達作り』ではなく『男女交際』が本命だというだけで。


「確かに、それなら……はい、なんとか頑張れると思います! どうしてそんな簡単なことに気づかなかったんだろうって感じです……!」


 どうにか気づくことができてよかった。今日の俺はなかなか冴えてるのかも。


「それじゃ、気を取り直して始めるぞ。俺を泰記だと思え。そしてぐいぐい来い。いくぞ、よーい……スタート!」


 俺は机の上にあったラノベを一冊手に取り、適当なページを開く。


「あの、先輩」

「…………」

「……先輩?」

「…………」


 ちょっと心が痛いけど、ここは無視を決めこむ。もっとぐいぐい来てもらわないと。


「あの、長谷川先輩っ! お話したいことがあるんですけど、少しお時間よろしいでしょうかっ!」

「……んん? あぁなんだ、花森さんか。どうかしたのかい?」


 俺は顔をあげ、極力泰記になりきって答えた。


「えっと、あの。今日は私に付き合ってくださって、本当にありがとうございます」

「え? ……あぁ、あれね、焼き芋大会の話ね。いえいえこちらこそ、楽しかったよ」


 俺は適当に話を合わせる。


「私、先輩には本当に、感謝してます。私一人じゃ、こうして一歩を踏み出すこともできなかったと思うので……」

「そんな、落ち葉をかき集めたくらいで大げさな」


 泰記に話しかけている体ではあるが、八瑛ちゃんの言葉は明らかに俺自身へと向けられたものだ。

 なんだかくすぐったくてやりにくいのが正直なところだけど、話題はなんでもいいと言った手前、やめろとも言えず。

 ……ま、いっか。


「あの、先輩?」

「ん、どうしたんだい花森さん?」

「私、実はさっきから、ずっと言いたかったことがあって」

「ほう。なんだい?」

「あの、さっきは失礼な態度を取ってしまって、すみませんでした……」


 そう言って、八瑛ちゃんは俺に向かって頭を下げた。


「…………は?」


 なんの話だ。意味がわからない。思い当たる節がまるでない。

 いや、違うか、俺に対してじゃなくて泰記に対してか? つまり架空の焼き芋大会での話か? いや、ただの演技にしては感情がこもりすぎているような……。


 軽くパニックに陥っていると、八瑛ちゃんが顔をあげた。


「さっき澄夏さんがいたとき……先輩がリア充になる方法を教えてくれる前のことです。先輩にデリカシーがないとか、そういう失礼なことを言いました……」


 そう言われて、ちょっと思い出してきた。確か、『いつから八瑛ちゃんにまでこんな扱いを受けるようになってしまったんだ』とか思った気がする。そしてデリカシー発言は正確には澄夏で、八瑛ちゃんはそれに乗っかっただけだ。


「えっ?? っていうか八瑛ちゃん、それがずっと言いたかったこと?? そんなことをずっと気にしてたの??」

「そんなこと、じゃないですよ。やっぱりあの態度は失礼だったんじゃないかって、ずっと引っかかってたんです……」


 あまりに意表を突かれたものだから、思わず『長谷川先輩』でも『浦芝先輩』でもない素の『浦芝泉』が顔を覗かせてしまったが、気づかれた様子はない。セーフ。


「私、浦芝先輩に嫌われるのは耐えられる、みたいなこと言いましたけど……やっぱり、耐えられないです」


 どこまでも真剣な眼差しで、八瑛ちゃんは言う。


「だから、こんなつまらないことで嫌われるのは絶対に嫌だから、ちゃんと言っておこうと思ったんです。先輩、さっきは失礼な態度を取ってしまって、ごめんなさい」


 それは結局のところ、八瑛ちゃんの考えすぎで、気の使いすぎで、取り越し苦労ではあるんだけど。


「まったく気にしてないし、俺はその程度で八瑛ちゃんを嫌いになったりはしないから、安心してくれ」


 俺は八瑛ちゃんの眼差しを真っ向から受け止めて、そう答えた。

 八瑛ちゃんの顔には、次第に、自然に――笑みが戻ってくる。


「はい、安心しました」

「それはよかった。ところで、花森さん」


 気恥ずかしさも手伝って、俺は少々強引に泰記に戻った。


「なんですか、長谷川先輩?」

「俺と友達にならないかい?」

「……え、それって」

「これだけしゃべれれば充分、本番でも通用するだろう。合格、って言い方は変かもしれないが……まぁとにかく、予行演習はこれで終了だ。八瑛ちゃんと泰記は無事、友達になることができた」


 俺の言葉に八瑛ちゃんはいっそう笑みを深くし、しかしすぐに不安げに表情を曇らせる。


「本番でも、うまくできるんでしょうか、私……」

「本番は部室でやるんだろ、だったら俺と澄夏も見守ってるんだから、そんなに心配するな。できる限りのフォローはするから」

「先輩……」


 八瑛ちゃんは潤んだ瞳で俺を見つめ、


「はい……頼りにしてます、泉先輩」

「おう、任せ……え?」


 今、泉先輩って聞こえたような……。


「だ、だって、澄夏さんと長谷川先輩は下の名前で呼んでるじゃないですかっ?」


 ちょっと聞き返しただけなのに、八瑛ちゃんは釈明するようにまくし立てる。その必死な様子がなんだか面白かった。


「先輩が名前にコンプレックスを感じてるのは知ってます。けど、澄夏さんと長谷川先輩には名前で呼ぶことを許してるじゃないですか。それって、あの二人が友達だから、ですよね?」

「まぁ、そうなるな。付き合い長いからな」

「だったら、私にも同じように呼ぶ権利があるはずです」


 正直、八瑛ちゃんに名前で呼ばれるのは別に構わない。実際に呼ばれる前なら拒否していた自信があるが、今実際に呼ばれてみてわかった。八瑛ちゃんに名前を呼ばれるのは、不思議と、嫌じゃない。むしろ苗字で呼ばれるよりもしっくりくる気さえした。


 ただ、なぜ八瑛ちゃんが俺の呼び方にそこまで固執するのか、そこがわからない。だから俺は、八瑛ちゃんの真意を探るように問いかける。


「こう言っちゃなんだが、言うほど付き合い長いか?」

「そっちじゃなくて、友達だから、のほうです」

「あぁ、予行演習のこと? けど、八瑛ちゃんが友達になったのは泰記だろ? 『俺と友達にならないかい?』ってのは、あくまで泰記の台詞って体なわけで、」

「先輩、なに言ってるんですか?」

「……え?」


 さも当然のことのように。

 八瑛ちゃんはキッパリと言いきった。



「今日私が友達になったのは、長谷川先輩じゃなくて、泉先輩です」



「…………」

「……だ、だめですか?」


 キッパリと言いきったのが嘘のように、八瑛ちゃんは不安げな表情で、反応を窺うように俺を見てくる。


「…………」

「先輩……?」

「だめなわけ、あるか」


 俺はどうにか、言葉を絞り出す。

 目を直視できない。

 心臓の鼓動が早くなる。


「それじゃあ、先輩……」

「ああ、今日から俺と八瑛ちゃんは友達だ。呼び方も好きにすればいい」

「はい! ふつつかな後輩ですが、これからもよろしくお願いします、泉先輩っ!」


 屈託のないその笑顔から、今度は目を逸らすことができなくなった。

 胸の内に湧きあがる感情の奔流は、歓喜のようななにか。


 そうだ。

 そうなんだ。


 


 ただ。

 俺はただ、そのことが。それだけのことが。

 ――うれしくて仕方なかったんだ。

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