2-1 私を、リア充にしてください!

 その日はたまたま、泰記が法事で学校を欠席していた。

 なので放課後、俺は澄夏と二人で部室に向かったのだが……。


「あ、こんにちは……あれっ?」

「よっ、八瑛ちゃん」

「やっほー」


 先に来ていた八瑛ちゃんは、入ってきた俺たちに視線を向け、次に俺たちの背後を覗きこむように首を伸ばした。


「あの……今日はその、副部長はいらっしゃらないんですか?」

「あぁ、泰記? 今日は休みだよ。えっと、なんだっけ、ホウキじゃなくて……」

「法事な」

「そうそれ! 会ったこともない遠い親戚の法事なんだって。律儀だよねぇ」

「そうなんですか……」


 八瑛ちゃんが泰記のことを気にするなんて、意外だな。二人が会話してるところ、ほとんど見たことない気がするし。まぁでも、いつも三人セットなのに突然一人消えたら、そりゃ気になるか。


「そうだ八瑛ちゃん、昨日貸した例のラノベ、読んでくれた?」

「はい、まだ三分の一くらいですけど」


 八瑛ちゃんが入部してまだ数日だが、話のネタは早くも枯渇しつつあった。そこで澄夏は私物のラノベを貸し与えることで間を繋ぐことにしたのだが、ラノベ初体験だったらしい八瑛ちゃんは澄夏の思惑以上にラノベに熱中してしまい、今度はそれに気をよくした澄夏がお気に入りのラノベを布教することに熱中してしまった、というわけだ。


「あ、じゃあちょうどヒロインの妹が出てくる辺り?」

「その辺りですね」

「ね、ね、どうだった?」

「けっこう面白いです、ヒロインの妹も可愛いですし」

「だよね! さっすが八瑛ちゃん、わかってる!」


 ……どうかしたんだろうか?

 一見しっかりと受け答えしているように見えて、八瑛ちゃんはどこか心ここにあらずといった様子だった。澄夏は全然気づいてないみたいだけど……。


「なぁ、八瑛ちゃん」

「えっ……はい、なんでしょう?」

「どうかしたのか? さっきから妙にぼんやりしてるが」

「……それは」


 八瑛ちゃんはそれきり、言葉を発さずにじっと俯いてしまった。

 俺は黙って、八瑛ちゃんの次の言葉を待つ。


 数十秒後。

 顔をあげた八瑛ちゃんは、なにかを決意したような、真剣な目をしていた。


「澄夏さん、浦芝先輩。お二人に、折り入ってお願いがあります」

「えっ、なに、どうしたの八瑛ちゃん、急に改まっちゃって?」

「ああ、言ってみな」


 状況を呑みこめずに困惑する澄夏を一旦無視して、俺は続きを促した。


「はい」


 八瑛ちゃんは俺と澄夏の顔を順に見てから、大きく息を吸った。

 そして。


「お願いです――私を、リア充にしてください!」


 腰を九十度に折り曲げながら、八瑛ちゃんはそう言った。


「詳しく聞かせてもらえるか?」


 八瑛ちゃんはゆっくりと顔をあげた。


「はい……その、実は私」


 そこで一旦言葉を区切り、俺たちから視線を逸らす。


「…………好き、なんです」

「ん? なんだって?」


 急に声が小さくなって、よく聞き取れなかった。


「ふ、副部長……長谷川先輩のことが、好きなんです!」

「うそっ!?」

「マジで!?」


 俺と澄夏は同時に驚きの声をあげた。

 八瑛ちゃんの顔はみるみるうちに赤く染まっていく。


「あぁ、ごめんね八瑛ちゃん、ちょっと驚いちゃっただけだから……」


 限界まで真っ赤になって俯いてしまった八瑛ちゃんの背中を優しく撫でながら、澄夏が声をかける。


「ああ。まさか八瑛ちゃんが泰記を……なんてな」


 全然気づかなかった。

 驚き方から察するに、澄夏もまったくの予想外だったのだろう。


「いつからなんだ?」


 八瑛ちゃんが落ち着きを取り戻したタイミングで、俺はそれとなく訊いた。


「……入部する前から、です」

「へぇ、そうなんだ。……あれ? じゃあ八瑛ちゃんは、入部する前から泰記と知り合いだったってこと?」

「いえ、私が一方的に知ってただけです……。あの、澄夏さん、前に私が冗談で澄夏さんに告白したときのこと、覚えてますか?」

「え? あー、そんなこともあったね。確か、この馬鹿に無茶ぶりされたんだっけ?」


 まだ記憶に新しい、八瑛ちゃんが入部した日のことだ。


「はい。あのとき言った台詞って、相手が澄夏さんってこと以外、ぜんぶ本当のことなんです。とっさのことだったから、つい本音が……って感じで」


 そう言って、八瑛ちゃんは少しだけ非難のこもった眼差しで俺を見た。


『実は私、前に廊下ですれ違ったときからずっと、先輩のことが気になってて。それで、この部活に入れば、もっと先輩の近くにいられると思ったんです……』


 確かそんなようなことを、八瑛ちゃんは言っていた。


「ほんとごめんね〜、泉って昔からデリカシーなくて……」

「いえ、大丈夫です。薄々気づいてましたから……」


 ……澄夏はともかく、いつから俺は八瑛ちゃんにまでこんな扱いを受けるようになってしまったんだ? 八瑛ちゃんの前では常にカッコいい男で通していたはずなのに。

 まぁ、それだけ俺に気を許してくれたってことなんだろう。そう思うことにしよう。


「けど……なるほどなぁ。じゃあ、一目惚れかぁ」


 澄夏は一人、神妙な顔をしてうんうんとうなずいた。


「はい……あの、澄夏さん。……正直、どう思いますか?」

「えっ?」

「一目惚れについて、です」

「えっ? どう、って?」

「一目惚れって、なんかちょっと軽い感じがしませんか? 本気で好きって感じが薄いんじゃないか、って思って……」

「そんなことない!」

「えっ?」

「一目惚れだって、充分恋愛だと思う!」

「そう、思いますか……?」

「うん、だって、八瑛ちゃんは泰記のこと、本気で好きなんでしょ?」

「それは……はい」

「うんっ。だったらやっぱり、一目惚れだって文句なしに恋愛だと思う!」


 女子二人の会話に、俺が入りこむ余地はなかった。


 だって正直、よくわからないし。恋愛なんてまともにした覚えがないから、一目惚れが恋愛としてどうかとか言われても、いまいちピンとこない。それが本音だけど、そんなカッコ悪いことは八瑛ちゃんの前ではもちろん、澄夏の前でさえ言えない。絶対馬鹿にされるし。


「あのさ、八瑛ちゃん」


 俺は強引に話を進めることにした。


「結局、八瑛ちゃんの『リア充になりたい』っていうのは、具体的には泰記と」

「長谷川先輩とお付き合いしたいってことです!」


 俺の言葉を遮って、八瑛ちゃんは力強く、その意志を表明した。


「そ、そうだよな?」

「はい!」


 そうハッキリと言葉にされてしまうと、なんだか俺のほうが照れくさい気持ちになってしまう。


「よし、リア充だな……」

「はい。ご協力、お願いできますか……?」


 早い話が、俺たちで八瑛ちゃんと泰記の恋のキューピッドをしてあげようってことだけど……

 それって、具体的には、どうすればいいんだろう?

 どうすれば、二人の距離を近づけることができる?


 ……………………だめだ。

 いいアイデアはなにひとつ浮かんでこない。

 俺は人をリア充にする方法を知らない。知っているならとっくに自分がなっている。


 ――なので。


「どう思う、澄夏?」


 俺は澄夏に丸投げした。

 澄夏は自分のことを非リアだと言う。だが、今しがたの恋愛トークを聞く限り、少なくとも俺よりはその手のことに頭が回るだろう。俺よりは、リア充寄りの人間だろう。


 そう踏んでいたのだが。


「…………」


 澄夏は難しい顔をして、虚空を眺めていた。


「おい、澄夏?」

「……ごめん、八瑛ちゃん」


 まっすぐに八瑛ちゃんの目を見ると、澄夏は言った。


「は? なに言ってるんだよ?」

「……」


 俺の問いに、澄夏は答えない。


「……だめ、ってことですか?」

「違うの、八瑛ちゃん。だめってことはないの。私に協力できることがあるならなんだってする。もちろん応援もしてる。ただ……私からアドバイスできることは、なにもないから」


 八瑛ちゃんの視線から逃れるように、澄夏は顔を俯けた。


「私って、非リア充だからさ。どうすれば付き合えるのかとか、そういうの全然わかんなくて。だから……ごめん。私じゃ、八瑛ちゃんの力にはなれそうもない。なんでも相談して、なんて言ったくせに、ほんと、ごめんね……?」

「あ、謝らないでくださいっ、私が変なお願いしてるだけだって、自覚ありますから! それに、澄夏さんに応援してもらえるだけで……充分、すぎますから……」


 それきり八瑛ちゃんは口を閉ざし、俯いてしまった。部室に沈黙が訪れる。


 応援してもらえるだけで充分――口ではそう言ったが、八瑛ちゃんは落ちこんでいるように見えた。おそらく、八瑛ちゃんは少なからず、澄夏に期待していたのだろう。


 リア充にしてくれ、なんて言ったくらいだ。八瑛ちゃんが求めていたのは、きっと、泰記と付き合うにはどうすればいいかという、具体的な言葉アドバイスだ。自分だけではどうにもならないから。交遊部のメンバーである澄夏や俺に、助けを求めた。


 そして本命は平部員の俺ではなく、部長であり同性であり友達の、澄夏だ。澄夏もそれをわかっているから、こんなにも深刻そうな顔で押し黙っているのだろう。


 ふぅ……仕方ない。

 そういうことなら、俺が一肌脱ぐしかないかな。

 うまくいくかはわからないけど、いつまでも女の子二人に暗い顔させておくわけにもいかないしなぁ……。


「――八瑛ちゃんも澄夏も、安心しろよ。リア充になる方法は、俺が知ってる」


 と、俺は言ってみた。

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