浮気ができない男【浴衣・足跡・ベース】

「A公園のミニ音楽フェスに行って、ヴンヴン鳴るベースの音の中で大盛り上がりして。そのあとブルックリン風の内装のおっしゃれーなカフェに入って、ここでも身体に響くベースに酔いしれながら語らって。で、……そのあとだよね、そこの浴衣の女の子をひっかけたのは」

 その日一日。たっぷり遊んで家に帰ってきた俺の前に、彼女は仁王立ちで立ちふさがった。

 俺は一瞬息をとめ、のどをひくつかせた。彼女は、『元彼女』だ。別れたのではなく、半年前から『妻』に昇格した元彼女――。

「や、あれ……今日って、君も出かけてたんじゃなかったの。それに、どうして今日の俺の行動、全部……。途中で寄ったカフェの音楽まで……」

「あのさ。あなたは地点地点で張り込まれてるみたいなもんだから気を付けたほうがいいよって、前にわたし警告しなかった? 実は今もぞろぞろついてきてるのに、気づかなかった? あなたの足跡は、わたしには全部拾われちゃうんだよ」

「……探偵か……?」

「そんなようなもんだね」

 俺はうなる。

 やってくれるなあ、と口の中で呟いたのが聞こえたらしい。彼女は前髪をうるさそうにかきあげると、呆れと諦めを含んだ顔で俺をねめつけてきた。

 俺のジャケットの裾あたりをぎゅっと握りしめる感触があった。伝わってくるおびえとひるみと、警戒のような何か――それが俺の後ろの浴衣の彼女から発せられているのだと実感したとき、俺の身体全体から、はじめて汗が噴き出してきた。 

「ね。あなた今日、何をするって言ってた? 趣味友達とフェスに行くっていってたよね?」

「い、いや、俺の行動はさっき君が話したとおりで。フェスは行ったよ……ちゃんと友達と」

「で、友達と別れて、そのあと神社の縁日に寄った。その浴衣の子と会ったのはそこだよね? どうしてそういうことするの。どうしてよりにもよって、そういうタチの悪そうな子を持ち帰ってくるのよ!」

 俺は何も言えず、唇を噛みしめる。

 ジャケットの裾を握る力が、強くなったように感じた。背中に伝わるおびえとひるみが、わずかに怒りをまとったような感触もあった。俺に隠れ、ぴったりくっついて震えているらしい、浴衣の彼女――。

「おい……タチの悪そうって、そんなこというなよ」

「悪いよ。すんごく悪い。そうやっておびえてるふうを装いながら、時々笑ってるのがわたしにはわかる。その子、かなり性悪」

「頼むからもう……」

「何よ、かばうつもり!?」

「いや、その、いくらなんでもさ……なるべく穏便にいこうよ」

「穏便に? よく言うよね、こういうこと何回目? あなたが指輪をしないで出ていった時点で、わたし、ろくでもないのをお持ち帰りしてくるんだろうなって思ってたよ。そもそもさ、そういうタチの悪いのをよけるための指輪なのに、しれっと洗面台の横に置いてあるってどういうことよ」

「わ、わざとじゃないよ。顔を洗うときに外して忘れたんだ」

「とにかく!」

 彼女は腕を組み直し、ぐっと顎を上げて俺を見た。

「とっととその子と別れてきて! もう絶対連れてこないで!」

「いや、でもさ、勝手についてきちゃうんだから自分ではどうすることも……」

「何よそれ。モテて喜んでんの!?」

「そ、そうじゃないけど、どうやって別れたらいいのか……」

「前も言ったでしょ、5000円! 5000円払うのっっ!」

 剣幕に押されて思わずお札を差し出そうとすると、彼女は「わたしじゃなーいっ!」と拳をふりまわし始めた。

「誰が慰謝料払えって言ったのよ! そのお金で、早くお祓い受けてきて!」


**


 そう。結婚するとき、彼女は打ち明けてきた。彼女は中途半端な「霊感体質」で、俺は「拾う体質」だと。

「だから、結婚指輪と一緒にお守りの指輪もつけていてくれないかな。でないと、別に知りたくもないのに、あなたの足跡がわかっちゃう」

「俺、全然分かんないんだけど……そういうもんなの?」

「行く先々で拾った霊が、よってたかってわたしに話しかけてくるんだよ。探偵が張り込んでるようなもんだと思ったほうがいいよ。あと、タチの悪い霊もいるから気を付けてよ?」


 彼女との会話を思い出しながら社務所に5000円を差し出していると、「チッ」と小さな舌打ちが聞こえた。とっさに振り向くと、目の端にちらっと紺の地と朝顔の柄がひっかかり、流れるようにすぐ消えた。

 彼女が言ってた「浴衣の女の子」か。どうやら本当にタチが悪かったんだな――。

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