第26話 魔法の声
今日はピアノのレッスン日。
学校から帰ってきて、家でピアノを弾きこんでからレッスンに向かう。
今日見てもらう予定の曲は、バッハの平均律2巻の24番、そしてラフマニノフの音の絵Op.33-8だ。どちらも6月のコンクール予選で弾くためにエントリー済み。
ゴールデンウィークも終わったし、そろそろ本腰を入れないと予選通過が危うい。
実はロシアの作曲家、ラフマニノフの曲は初めて演奏する。小学校の頃はバッハやヘンデルが大好きで『バロックといえばタケルくん』と教室内でも有名だった。
でも、小学4年の時にロシアの作曲家、カバレフスキーの小品をコンクールで演奏した時に、はるか先生に言われた
「すっごいタケル君に合ってる!いつかロシアの作曲家の曲に取り組めたらいいね」
この言葉が印象的で、どこか心に残っていた。
今回のコンクールの課題曲が発表された時、シューマン、ラフマニノフ、ブラームス、あと邦人作曲家の曲から1曲選ぶようになっていて、先生はラフマニノフかシューマンのどちらか、と言った。
バッハの音楽が得意な僕にはブラームスかな?と思ったが、この課題曲は残念ながら僕の持つ雰囲気には合わないようだった。
悩んだ結果、僕はラフマニノフを選んだ。ロシアの作曲家の曲に取り組むなら、今だと思ったからだ。
ゴールデンウィーク初日の弾きあい会でも演奏したが、まだ彼の描く音楽の世界を掴み切れていない。
練習曲という位置づけだけど、もちろんただテクニックを披露すればよいという曲ではなく、ロシア独特の哀愁のようなものを音の響きにのせられるか、がポイントになりそう。
ある程度弾いて、よし!とレッスンに向かった。
はるか先生に会うのは、ゴールデンウィークに偶然駅で会って以来。
レッスン室に入ると、前の時間のピアノ天使こと優弥くんが演奏していた。バッハのフランス組曲…おそらくメヌエットかな?
そうか、今年の課題曲はインヴェンションじゃなくてフランス組曲にしたのか。合ってるな。先生の選曲だろうか。
レッスンが終わり、優弥くんのお父さんが話しかけてきた。
「タケルくん、5月末の弾きあい会には参加する?」
「そのつもりです」
お父さんはニッコリ笑って、優弥くんに話しかける。
「優弥!5月の弾きあい会までに、何が何でも仕上げろよ!タケルくんも弾くんだから」
「…分かってる」
優弥くんは、ご機嫌斜め。
「ゴールデンウィークはお母さんの実家に帰ったもんだから、参加できなかったんだよ、そしたら仕上がらなくて」
「あー、でも今からだから…」
そういう風に親に言われるのって、お前が弾くわけじゃないのに!と反抗したくなるよな。気持ちが分かって、軽くフォローするように返事した。
「タケルくーん、楽譜準備して~」
はるか先生に話しかけられて、僕はラフマニノフの楽譜を広げた。
「お!今日はラフマニノフからか。そうだよね~バッハはどうにかなりそうだけど、ラフマニノフがね~」
弾き始めて、低い音に下がっていってこれから、という時にストップがかかる。
「ごめん、ちょっとそこまで。入りは良くなっているけど、せっかく両手で下がって、こ~んな低音までいくんだから、もっと沈み込むような響かせ方をしてもいいんじゃない?たとえば」
先生が弾くと、なぜか音楽が変わる。
聴き取って、弾いてみるが、どうもうまくいかない。
2回、3回と弾き直してみるが、ただ下がっているだけ…。
「右手、少しテヌート気味にタッチを変えてみたら?そう、深く深く指を丁寧に入れて~響き、もっと聴く!もっと!!」
『聴いてるけど、もっと聴く!!』
僕は、はるか先生の声を聴きながら、強く想って演奏した。
「そう、ちょっと良くなったじゃない。まぐれかもしんないから、もう一回弾いておいて」
その部分だけをもう一度弾く。
「まぐれだった~~~~!!!!」
先生がうなだれた。
僕のレッスンでのあるある。
先生の声でナビゲートされると出来るのに、一人でもう一度弾くと再現できない。
「も~!もう一回、ちょっと声かけるからやり直し!今日覚えて帰ってよ~~~っ!」
先生の声は魔法の声だ。
つい、その言葉に乗せられて、上手に演奏できる。
そして、先生と音楽を作り上げられるような気がして、何より幸せな気持ちになる。
はるか先生の言葉をたどるように、僕は指先と耳に集中してピアノの響きの世界に埋没した。
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