33、あの人本番始まる前にたこ焼き食べてましたよ


 カレンダーを見ると、文化祭の日はちょうど水曜日だった。


 ベッドから起き上がり、布団の隅っこで小さく折りたたまれた毛布をみる。俺が春姫とセックスごっこをしていた毛布は、最近は出番もなく、置物のように放置されていた。


 色あせたクマのマークがじっとこちらを見ているような気がする。


 もうずっと長い間、春姫と会っていないような気がする。今日もきっとそうで。彼女がもう二度とこの場所には現れないように感じる。


「フゥ」


 その気持ちは、昨日の春姫を見て、ますます深まっていった。


 舞台上の春姫は、あまりに遠くて、ついこの間までいたことが嘘に思えるくらいだった。


 春姫は可愛い。可愛いに何を足しても足りないくらいに可愛かった。


 それに比べて、俺は何一つ持っていない。華もなければ、度胸もない。全てが平凡か、あるいはそれ以下だ。


「……夢みたいなものだったのかな」


 ベッドの上で抱き合ったことは、気がつけば遠い昔となってしまっていた。記憶の中で立ち消えて、それはもう戻ってこない。


 気持ちの整理、と言うのは、大人になったことを実感すると言うことなのかもしれない。


 俺はため息を一つ付いて立ち上がって、おとなしく学校へ向かうことにした。


 のんびり歩いて行くと、後ろから幽霊のように気味の悪い声が聞こえた。


「……テツ殿」


「……福男?」


 驚いて後ろを振り返ると、そこには俺以上に顔を青くした福男がのそのそと歩いてきていた。


「おはよう……でござる」


「どうした、なんかメチャクチャ顔色悪いぞ。もしかして、また徹夜でゲームしてたんじゃないだろうな」


「いえ、むしろ……緊張で寝れませんでした」


「緊張?」


「はい、いよいよ本番かと思うと、緊張で一睡もできませんでした」


「おいおい、大丈夫かよ」


「ううむ。ダメかもしれませぬ。拙者は少し先に行って食料を補給しているでござる」


「あんまり重いもん食うなよ」


「……うむ」


 ふらふらと歩き出した福男は、足取りがおぼつかなく今にも倒れそうだった。


 一抹の不安を抱えながら、やがて俺たちのクラスの順番がやってきた。客席には保護者や学校の生徒たち、そこそこの人数が入ってきている。


「行ってくるでござる」


 顔面蒼白そうはくの福男は舞台に現れると、途中までは迫真の演技を見せていた。


 だが、舞台終盤。


 魔女の呪いが解けて、いよいよクライマックスというところで、福男はばったりと力尽きたように倒れてしまった。

 

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