32、小道具係はやることがない


 文化祭がいよいよ翌日に迫った。


 前日のリハーサルは、本番と同じ体育館。

 小道具係の仕事を終えた、俺と猪苗代は特にやることもないので、観客席からぼうっと幕が上がるのを待っていた。


「いよいよだねー」


「衣装、間に合ったのか?」


「うん、何とかねー。春っち、めっちゃ可愛かったよ。もう見た?」


「まだ見てない」


 劇に出る生徒たちは、舞台袖ぶたいそでで準備を整えていた。ちらっとのぞけば、衣装に着替えた春姫がいるはずだったが、そう言う気分にはならず、適当に暇を潰していた。


 体育館の電灯が落とされて、スポットライトが当たる。

 福男は頭に角の被り物をつけて、顔にメイクをほどこし、おもちゃの差し歯をつけていた。


 一拍いっぱくの間があったあと、野太い声で福男はセリフを叫んだ。


「『何と恨めしい魔女の呪いだ!』」


「めちゃくちゃ様になってる……」


「あれだけ練習したらな」


 あまり準備に参加していなかった周りの生徒たちからも、「わぁ」と驚いたような声が上がる。普段、教室の隅っこで、黙々と自分の世界をきずき上げていた人物とは、思えないくらい堂々としていた。


 その後、野獣と従者との芝居が続き、いよいよ春姫が現れる番となった。


 舞台袖から彼女の声が聞こえた。


「『ここは……どこでしょうか?』」


 一旦、舞台が暗転すると、徐々に春姫の影が現れ始めた。


「……あ」


 一瞬、息をすることすら忘れる。


 舞台上に現れた春姫は、言いようがないくらいに綺麗だった。


 ブルーのドレスに身を包んだ彼女は、うっすらと化粧をしていた。丹念に編み込まれた髪を前に垂らして、胸元付近で揺らしている。肩口を出したドレスは、白い肌をさらけ出した。


「わぁ、やっぱり春っち、似合ってるなぁ」


 キラキラと目を輝かせて、猪苗代が言った。


 雰囲気が違う。俺の知っている春姫より、大人びていた。

 スポットライトに照らされた彼女は、透き通るような言葉で言った。


「『あなたは、誰?』」


 そこにいるのは俺の知らない春姫だった。子どもの頃から一緒にいても、見たことがなかった姿だった。


「『素敵なお城ね。あなたが主人かしら?』」


「『わたしの顔を見るな! 去れ!』」


 もう、春姫の姿から目が離すことができなかった。一挙一動、一言一句が心に張りついて離れてくれない。


「『大丈夫。あなたは臆病おくびょうなだけ。あなたの本当の姿はわたしが知っている』」


 春姫だけにライトが当たっているように思える。俺の視界には彼女しかもう見えていなかった。


 時折、見える春姫は少し緊張したような顔だった。ライトの熱で、額には汗を滲ませている。


「『そうだ、お前のおかげで魔女の呪いから解くことができた。お前がわたしの心の真実を見抜いてくれたからだ』


「『……あなたの清らかな心は、ずっと見えていました』」


 物語は終盤へ。 


「『あなたを愛しています』」


 ゆっくりと幕が降りていく。


「すごかったねー。本番楽しみだー」


 俺の隣で、猪苗代が子供のように拍手をする。


 ……あんなに近くにいたのに。

 俺もあの舞台の登場人物のように、素直に言葉を伝えられたら、とそう思わずにはいられなかった。

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