第3話 一つ年下の後輩
······そこは薄暗く、鼻をつくカビと埃の臭気が漂う場所だった。太く冷たい鉄格子がロシーラの前に鎮座し、その行動を強制的に制限していた。
ロシーラは仲間のロッサムの裏切りによって、バリーザンの配下によって捕まってしまった。
その配下とは、五鬼将と呼ばれる恐ろしい手練達だ。アーズスは果敢にも五鬼将に挑んだが、五人の連携した攻撃に成す術なく敗れた。
血塗れになって地に付すアーズス。それが、ロシーラが最後に見たアーズスの姿だった。
「······牢屋に入れられ、少しは殊勝な性格に変わったか?黄色い髪の娘よ」
誰かが牢屋の前に立っていた。その神経を刺激する毒々しい声色に、ロシーラは勇気を振り絞り敵意の顔を向けた。
「······バリーザン」
ロシーラにその名を呼ばれた男は、膝を丸め座るロシーラを見下ろしていた。身に纏う黒地の法衣には、金の刺繍が無数に縫われている。
小柄な身体。波打つ黒い髪。年齢は四十代半ばに見え、整った顔をしている。だが、その両目は冷たく、見る者を凍てつかせるような眼光を放っている。
邪神教団ネウトス。この国に強大な勢力を誇る教団を統べるのが、ロシーラの前に立つ男だった。
「フフフ。これで七人の人柱が全て揃った。ロッサム。そなたの功績は大きい。良くやったな」
バリーザンの背後から、紺色の魔法衣を着た男が現れた。邪神教団の頭目に賞賛された
ロッサムは、黙して頭を垂れていた。
「ロッサムよ。アーズスと言ったか。あの目障りな男は始末したのだな?」
バリーザンの口からアーズスの名が呟かれた瞬間、ロシーラの胸は締め付けられる様に苦しくなった。
「······五鬼将の報告通りです。バリーザン様
。生きている可能性は皆無かと」
ロッサムは重い口を開き、アーズスの最期を報告する。ロシーラはロッサムを睨みつけたが、頭を下げたままの顔からは表情を伺えなかった。
「ふん。何度も私の邪魔立てをした割には呆気ない最期だったな。ロッサム。そなたはアーズスなる者を警戒せよと申していたが、過大評価では無かったのか?」
バリーザンは顔を横に向け、冷たい両目をロッサムに向けた。
「······私の見立てでは、アーズスは勇者の力に目覚めるまであと数歩の所まで来ていました。我々にとっては、勇者を相手にする前に始末出来た事を幸運に考えた方が良いかと」
ロッサムは顔を上げ、二重の細い瞳でバリーザンを見返す。
「······ふん。勇者しか扱えぬと言う光の剣とやらか。所詮騎士一人。どんな力を使おうと問題では無かろう」
バリーザンは過去のアーズスの活躍を思い出したのか、苦々しい表情で吐き捨てた。
「ですがバリーザン様。アーズスは「向日葵の傭兵団」出身です。彼が倒れた事を聞けば
、傭兵団が我々に報復行動に出るやもしれませぬ」
「ロッサム。そなたは少々心配性だな。高々傭兵団一つに何が出来ると言うのだ」
バリーザンは話は終わったとばかりにマントを翻し、衛兵達を引き連れ歩き出した。
「黄色い髪の娘よ。仲間だと信じていた男とゆっくり昔話でもするが良い」
バリーザンは機嫌良さそうに笑い、牢屋から去って行った。その瞬間、ロシーラは鉄格子に体当たりする勢いで格子を両手で掴んだ
。
「······ロッサム。私達を裏切って得た褒美は何?富?名誉?それともバリーザンが侵略した村や街の土地?」
ロシーラは際立った器量良しでは無かったが、感情を露わにする時に見せる表情は、見る者に美しいと思わせる輝きがあった。
裏切者と罵られたロッサムも、そのロシーラの瞳に浮かぶ意思の強さに一瞬息を飲んだ。
「······怒るなロシーラ。俺だって好き好んでアーズスをあんな目に合わせた訳じゃない。
アイツは良い奴だよ。おとなしく降伏してくれれば死なずに済んだんだ」
ロッサムは苛立ちをぶつける様に、拳を黒ずんだ壁に叩きつけた。
「背信者の言い訳にしては余りにも陳腐ね。ロッサム。いつか貴方が死の世界に旅立った時、アーズスに同じ事が言えるの?」
十歳も年下のロシーラに言われたこの言葉に、ロッサムは砂色の髪を揺らし絶句した。
そして踵を返し、ロシーラから逃れる様に牢屋から離れる。
「······ロシーラ。全てはお前が人柱に選ばれた事が原因なんだ。諦めてくれ。この世界の為に」
「何もかも他人を原因にして、それでもこの世界を守る?それが貴方の正義なの?ロッサム!?その正義の面の皮はさぞかし厚い事でしょうね!!」
ロシーラは掴んだ鉄格子を力の限り揺らす
。その金属音が地下に響き渡る。ロッサムは耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
それは耳をつく金属音からか。ロシーラの弾劾の言葉からか。ロッサムは自身でも分かり兼ねていた。
「······おのれ。許すまじ。ロッサムめ」
夢から覚めたあかねは、寝起きで力の入らない右手を握りしめ裏切者を断罪した。愛しのアーズスの生死はどうなったのか。
ロッサムやバリーザンが口にした「人柱」
とは何の事なのか。分からない事が満載だったが、現実世界に戻ると現実の問題が目の前で山積していた。
あかねは農業研究会に入部した。その日の事を思い出し、ため息をつく。自分は早まった事をしたのでは無いだろうかと。
あの日、部室に現れた超絶美女。桃塚ひよみはあかねに言った。この国に革命を起こそうと。
「か、革命はまずいですよ!だって内乱罪は死刑ですよ!死刑!」
桃塚の迫力にただ圧倒されていたあかねは
、乏しい知識の引き出しから大急ぎで反論用語を持ち出した。
「あら。麻丘さん。社会科に詳しいの?」
桃塚ひよりは高い鼻をあかねに近づけ、一年後輩の平凡な顔を覗き込む。
「い、いえ。詳しい訳では。たまたま授業で覚えてて······」
社会科の教師が若くてイケメンだったから
真面目に授業を聞いていた。などと事の真相をあかねは言える筈も無かった。
「心配は無用よ。麻丘さん。私達が起こすのは、小さな革命よ。荒島君から聞いていないかしら?この国の逃れられない社会システムの事を」
「は、はい。荒島君から少し聞きました。この農業研究会は、その社会システムから逃れる方法を研究しているって」
あかねの返答に、桃塚ひよみは嬉しそうに頷く。
「百聞は一見にしかずよ。これから一緒に中庭に行きましょう」
桃塚ひよみはあかねの手を引き、半ば強引に連れ出した。荒島亮太も黙って後から付いて来る。
校内の中庭には整備された花壇があり、農業研究会の畑はその花壇から少し離れた場所にあった。
その畑で何やら作業を行っている者がいた
。繋ぎの作業着に長靴。座りながら作業をするその後ろ姿は、あかねから見て男子と思われた。
「あら。岡山君。作業していたの」
桃塚ひよみに声をかけられた作業着姿の男子は、立ち上がり後ろを振り返った。
「紹介するわ。麻丘さん。農業研究会部員。一年生の岡山翔平君よ」
岡山翔平と呼ばれた男子は、長い前髪の下から非友好的な視線をあかねに送った。その眼光に、あかねは怯んだ。
「······また桃塚先輩の追っかけ目的の入部希望ですか?」
岡山翔平はうんざりとした口調であかねを睨んでいた。初対面で。しかも後輩から一方的に敵視され、あかねは段々と腹が立って来た。
「その点は荒島君が裏を取ってあるから大丈夫よ。麻丘さんは貴重な人材よ。是非我ら革命同好会に入部して貰いたいの」
桃塚ひよみは殺人的に美しい笑顔を岡山翔平に向けた。いつの間にか農業研究会から革命同好会などと言う物騒な名称に変っていた事に、あかねはまるで気付かなかった。
「······僕には根気もやる気も無さそうに見えますけどね。その人」
岡山翔平は覚めた両目であかねを見る。その右目の下には、小さなホクロがあった。そんな事に気づく余裕はあかねには無く、あかねは立腹と言う言葉の使い所は正に今だと憤慨していた。
それが、あかねと翔平の初めての出会いだった。
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