閑話 認識論と合理主義、経験主義に関して

1. 合理主義と経験主義に関して


まず、ここで簡単に合理主義と経験主義に関して触れておきたい。


合理主義…人間は生得的に理性を与えられ、基本的な観念・概念の一部をもつ、もしくはそれを獲得する能力をもつと考える。


経験主義…人間の全ての知識は我々の経験に由来する、とする哲学上または心理学上の立場である。(例:ジョン・ロックの「タブラ・ラサ」=人間は生まれたときは白紙である)


また、カントの見解として、「人間の認識能力は感性と悟性の二つの源泉からなる。感性は直観する能力であり、悟性は思考する能力であるが、それぞれに純粋な形式(直観の形式は空間と時間、思考の形式は12 の純粋悟性概念(カテゴリー、すなわち範疇とも称する))がある。純粋悟性概念は時間限定たる図式によってのみ感性と関係する」と言うものが挙げられる。つまり、合理主義と経験主義を足し合わせたようなものがカントの見解である。


2. 合理主義と経験主義に関する私の見解


合理主義と経験主義に関して、私もカントの見解を支持する立場である。ただ、私独自の見解として、合理主義的、生得的理性と経験主義的、経験の配分は各人によって異なる、というものが挙げられる。


その配分に関してであるが、いわゆる「理性優位」の人間は「経験」のパーセンテージが強く、「直観優位」の人間は「(生得的)理性」のパーセンテージが強いように見受けられる。


つまり、一見「合理主義的」に見える「理性的」「理性優位」の人間は直観が働きにくく、過去の経験に基づいて判断することが多いのに対し、ともすれば「経験主義的」と捉えられかねない「直観優位」の人間はその直観の働きにより生得的な「理性」の方が優位になることがある、と言うのが私の見解である。


(ここにいわゆる「逆転現象」が存在する)


さらに、この問題を過去に論じてきた哲学者を含む「学者・研究者」タイプ、さらにそれを拡張するなら「アーティスト・クリエーター」タイプは合理主義的要素、経験主義的要素のどちらが大きいにしろ、いわゆる一般的なタイプとは異なるタイプに属していることが多い。


(平たく言えば一般人の認識の仕方と異なることが多い)

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