第201話 幸せとは?
別に幸せにならなくても良い水谷一志です…!
今日は哲学上の大問題!「幸せとは?」と言うことについて私見を語っていきたいと思います。
(今回の内容はかなり偏った内容になります。反対意見も多いかと思います。また語弊のある表現も多々出てくるでしょう。さらに、僕は常に下記の考え方をしているわけではない、あくまで下記の考え方は「一つのものの見方」であることをあらかじめ伝えておきます)
古代より哲学上の大問題として、「幸せとは?」と言うことは散々語られてきました。
それに関して僕なりの意見なのですが…。
果たして、本当に「幸せ」になる必要があるのでしょうか?
例えば職場で対立なんかがあったとします。その対立する片方の職員が辞めると…、平和になるかと思いきやまた新たな対立が生まれたりしますよね。
僕は、人間はそれの繰り返しであるように思います。
もちろん戦争は良くありません。が、それを「極端な例」(もちろん語弊があります)と置くなら、日頃の対立は避けて通れないのではないでしょうか?
また、人間には「怒り」など負の感情がつきものです。「そう言った負の感情をなくすことが幸せにつながる」みたいなことを言っている人は多いですが、それは果たして可能でしょうか?まあ、不可能だと思います。
なので、「幸せ」に囚われ過ぎる必要はないのではないでしょうか?
なら何のために生きるのか…?そこで僕の考え方です。僕は、「名こそ惜しけれ」です。何か武士みたいですが、まあそんな所です。要は、「たとえ幸せでなくとも、自分の『名前』を優先する」と言うことです。ここで言う「名前」は、人それぞれ解釈が異なるでしょうが、「名誉」「レベル」なんかを僕の場合は意味します。まあレベルアップ、スキルアップは大事ですよね?
あと人によっては「お金」を意味する場合もあるでしょう。僕自身はそのような考え方ではありませんが、「お金」も「評価」の一つですしそれなしでは生きていけません。なので僕は「お金」を中心とした生き方を否定はしません。
今語ったことの結論として、僕は「自分の幸せよりも自分の『名前』を優先する」と言うことが挙げられます。
…もう一度言いますがこれには語弊があります。笑 僕だってもちろん幸せになりたいです!あと「名前」は「名誉」とイコールではありません。「人として正しい道」+「名誉の一部」と言った所でしょうか。
ただ、僕が今語った考え方を頭の片隅に入れておけば、「今は幸せでなくても、自分のレベルは上がった」と感じれば、逆に「幸せ」に繋がっていくのではないでしょうか?これも一つの意見です。
次回はパラサイトについて語っていきたいと思います。
ではまた!
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